187 コイル
戻ってきた我々に、すんすんと鼻を鳴らした金ちゃんは甘い香りに気付いたようだ。
ぶ厚い大きな手でばしばしと、私の頭をなにかのスイッチのように連打した。
「解ってる。金ちゃん。解ってるから。おみやげあるから。クッキーあるから。やめて。金ちゃん。首縮んじゃう。金ちゃん」
「俺も。俺も。いたわって。俺も」
機嫌の悪い金ちゃんに木の実いっぱいのクッキーを当然のごとく巻き上げられていると、安全ピンの作りかただけでなく安全ピンのぐるっと巻いたバネの部分に食い付いた職人にコイルスプリングの概念までをしぼり取られてついでに針金の弾性を利用した洗濯バサミの構造なども吐き出すことになりそれらの図解を何枚も描かされ比較的簡単に再現できそうな安全ピンや洗濯バサミだけでなくベッドやソファも試作してみようぜとペーガー商会企画制作販売委員会からぐいぐい迫られ、すっかり疲弊してしおれたメガネがへなへなとしがみ付いてきた。重い。
「じゃああれなの? ベッド作れんの? 公爵さんとこみたいな人を泥にするベッドとか、作れんの?」
「あれはベッドマットが高級魔獣の素材だからまた別だと思う。このクッキーざくざくしてておいしいね」
「そうだろ。高いお菓子最高だろこれ」
公爵家の寝具はやはり、高級素材でできていたのか。宿屋のカサカサしたベッドとはなんか全然違うから、ちょっとそうかなとは思ってた。
あのベッドと言うか、ベッドマットの部分だけうまいこと手に入らないものか。夜ごと泥になりたいんだよ私は。
高級魔獣の素材とやらがなんとかならないかと金ちゃんの口にクッキーを突っ込みながら思案していると、我々と共にお菓子屋さんに行って戻った従業員たちから買い与えられたとクッキーの包みを示されて、困り顔の男性が近付いてきた。
「うちの者にまでお気遣い頂いたとか。かえって申し訳ない事を」
その人は短い髪をきっちり後ろになで付けて、ベストを重ねたシャツのボタンを首元までちゃんと閉じている。
この清潔感ときまじめさにあふれた三十前後の男性が、ペーガー商会の長男だそうだ。
ぱっと見た感じの印象が違うからちょっと解り難さはあるが、よく見たら割とフーゴと似ている気がする。服と髪型って大事だなと思った。
「本来であれば父からご挨拶すべきところですが、どうかご容赦を。商人ギルドの会合で留守にしております。今夜の宿はお決まりで? ――ご予定はない? でしたらわが家に是非どうぞ。父も夜には戻って参りますし、大切なお客様を歓待するのは当然の事です。客室を用意させておりますので、ごゆっくりお寛ぎ下さい。それにしても、素晴らしい発明の数々ですね。シンプルですが、これまでにない発想ばかりです。安全ピンについては幸運にも我が商会で専売の許可を頂いたと弟から伝え聞きました。感謝致します。また、他の商品についても明日一番で商用登録と専売契約を結ばせて頂くお約束ですが、その件についても重ねて感謝しております。他にも何かございましたらどうぞお気軽にお声掛け下さいませ。わがペーガー商会は伝統と信頼で王都でも長くご愛顧頂いております。決して損はさせません」
「ア、ハイ」
私は思考停止した。
死んだ魚のような目で、とりあえず一回黙って欲しくてなんかよく解らんけど機械的に返事だけをした。
陽キャのぐいぐいくる感じがムリだとフーゴのことを決め付けていたが、もしかして、あいつの強引さとかはまだかわいいものだったのかも知れない。
長男、めっちゃたたみ掛けてくる。
このあとしばらくして帰宅した父親にも引き合わされて、こんなのがまだ出てくるのかよとゴクリと固唾を飲んで覚悟してたら父はおどろくほどに普通だった。いい人そうで、なんかやたらとほっとした。
長男と次男はやり手の奥さんに似ているそうで、その奥さんは父に似た末娘を連れて買い付けの旅に出ているそうだ。話に聞いただけでなんとなくだが奥さんは頼もしい感じがするし、末娘は父親同様に振り回されているに違いない。私には変な確信がある。
父と娘は苦労してそうな感じがするが、しかし長男と次男がそれぞれぐいぐいくる反動でペーガー父のお願いだったら大体聞いてあげたくなってしまう気がするから、一族で見るとうまいことできた罠なのかも知れない。
そう言えば我々は商人ギルドの、特に、お砂糖関係ともめる宿命を背負っているけどその辺はいいのか。
だいぶん話が進んでから思い出したけど、一応聞いとくかとペーガー父を捕まえてこそこそ相談してみたら人のいい親父のふくよかな顔がものすごく遠い所を見詰めた。
「そうかぁ……あれかぁ……」
ああ、平和に生きたかったなあ。みたいな感じでぼんやり天井を見ながら呟いて、それから、なにかに気付いたように「あっ」と声を上げた時には打って変わって生き返ったように目が輝いていた。
「と言う事は、新しいパンを開発したのもあなた方なのかな? 柔らかいパンの開発者とダンジョンで白い砂糖を生み出したのは同じ者達だと聞いているけど」
それから、圧縮木材の件もあったよね。すごいねえ~。発明家だねえ~。
そんなことをおっとりと、小さい子供に対するようにちやほやおだてるペーガー父は間違いなくほめて伸ばすタイプだ。
そしてまた、父の商人ギルドの会合帰りはダテじゃなかった。
なんで知ってんのかと思ったら、商人同士でそんな情報交換もするようだ。お陰で貴人だけでなく、我々のうっかりとした悪行が民間レベルでめっちゃ拡散されている。つらい。
この国でパンは日本のお米的な立ち位置であるので、酵母パンの製法に関しては国が一括で買い上げてどんどん広めている最中だと聞いた。
ナンみたいに薄く焼いた謎パンはともかく、固い試練パンはもはや石。特に前歯に容赦ないので、やわらかいパンを早急に広める方針については私も強く支持したい。
そしてこの酵母パンを広める活動の一環として、ローバストにもパン留学の職人たちが集まることになっている訳だが、人を育てるのは時間が掛かる。
まだ王都にもやわらかいパンを焼けるパン屋がいないんだよねと。
チラチラと言うにはあまりに真っ直ぐペーガー父の期待いっぱいの視線を受けて、たもっちゃんは明日の朝、やわらかいパンを焼いてあげる約束をしていた。
わかる。ペーガー父のおねだりはずるい。なんとなく生き馬の目を抜くペーガー家にあって、唯一の癒し系なのだ。母と娘にはまだ会ってないので多分だが。
我々に与えられた客室は、ペーガー商会の三階にあった。そこがフーゴや長男や父などの、ペーガー家の住まいでもあるからだ。
一階は店舗、二階は住み込みの従業員が寝起きする部屋と、小さめの食堂。そしてそう大きくはないが設備の整った調理場があった。
調理場が二階でかまどの熱とか大丈夫なのかと思ったら、なんかそれもうまいこと断熱する素材と魔法があるらしい。
そう言われるとこの世界、魔法と天然の高級素材で大体どうにかなっている気がする。
安全ピンや洗濯バサミなどと言う、シンプルな道具でさえもウケるのはこのせいかも知れない。採集できる素材の特製に全振り状態だとしたら、環境的に技術の育つ余地がない。ような気がする。知らんけど。
「たもっちゃん、我々はまたこうしてナチュラルに三つ四つの罪を重ねてしまった訳だが」
「だって押しが強いんだもん。商人の口車凄いんだもん。早く楽になりたかったんだもん」
我々はペーガー家の客室に金ちゃんを含めて落ち着いて、公爵家ほどとは言えないがこれも質のよさそうなベッドの上でふかふかの毛布にくるまりながら深刻に話し合っていた。
ビジュアルがふかふかしていて全然深刻には見えないが、我々は勢いに押されてまたも人様の知恵と技術を売り払っているのだ。せめて反省だけは一応したい。一応ね。一応。
「もう人様のふんどしで無双するのは自重しようみたいな話をしたりしなかったりしたじゃない、私たち」
「その罪の分だけ慈善事業に課金して許しを買おうって言ったじゃない、リコが」
「私の人間性に全部なすり付けてくるのやめろや」
「あのぐいぐいくる商人と職人に囲まれて黙秘を通すなんて俺には無理よぅ……やってもない犯行認めて自白くらいしちゃうから」
たもっちゃんは毛布にくるまり遠い目をして司法の闇を訴える。それで想像してみたら、私もちょっと自信が持てないことが解った。
なにしろお菓子屋さんから戻った時に、長男から一方的につらつら話し掛けられただけでなんか知らんけどとりあえず返事してこの話早急に終わらせたろって思ったほどだ。
「弁護士に同席してもらえばよかったわねえ」
「だったら普通に見捨てて買い物行くのやめてよぉ! 同席したのは金ちゃんだけなの! 弁護人が寡黙過ぎるトロールだった俺の気持ちが解んのかよぉ!」
ベッドの上にごろーんとなったメガネの恨みが思ったより深く、レイニーと二人でそれは大変だったわねと一生懸命必死でなだめた。




