10-4:潜入
アールの首都に着いたのは、三日後だった。
道中魔物は一切出ず、山道で一度だけ出た賊は三人で返り討ちにした。
おかげで、その後に同じ道を通った他の馬車も安全に通れたらしい。
こんなことは珍しいと、御者が不思議そうにしていた。
そして、いよいよ王宮へ向かう。
「こっちだ。正面から入ると目立つから」
フーヤオは、荘厳な朱色の門から離れたところに地味に備え付けられた使用人専用の小さな扉に案内する。
何の変哲もない木の板を、数回ごとに数秒空け、四回に渡ってノックする。
と、一拍置いてから扉がゆっくりと開いた。
「感圧式のパスフレーズを使った扉か」
頭を屈めてくぐりながら、アーユイがぼそりと言った。
「そういえば、アーユイはこういうからくりが好きだったな」
「アールの古代建築は特に、魔法を使わない妙な仕掛けが多くて面白い」
「後でゆっくり見物できるよう取り計らうから」
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
緊張感のないやり取りで、強張っていたフーヤオの肩から少し力が抜けた。
と、
「フーヤオさん? エンネアに行ったはずじゃあ」
通りかかった使用人が、驚いて駆け寄ってきた。
「想定より早く聖女様を説得できたから、急いで戻ってきたんだ。そんなことより、姫の容態は?」
「それが、数日前からまた悪く……。今は落ち着いておられるようですが、明日まで持つかという噂が――」
声を更に小さくして、ひそひそと耳打ちする使用人。
「急ぎましょう。お偉方へのご挨拶は後で構いませんね?」
アーユイが割って入った。フーヤオが頷き、先導する。
「ああ、こっちだ」
「ええ? あの……」
「報告ありがとう。ここで私に会ったことは、私が直接報告するまで口外しないでくれ」
「わ、わかりました……」
金貨を握らせると、疑問符を浮かべながらも使用人は頷いた。遠ざかる三人の後ろ姿を見送り、
「……あの二人、聖女様の付き人さんか何かかな……。ご本人は、今はいらっしゃってないのかな……?」
男にしか見えない客人二人のシルエットに、首を傾げた。
***
「慕われているんだね」
見張りの死角になっているという壁をよじ登り、王族の居住区へ不法侵入する。
貴族の娘だとは誰も思わない身のこなしで降り立ったアーユイに呆れつつ、
「平民出身からはな。アーユイが言ったとおり、成り上がりの期待の星ってところか」
フーヤオは力なく笑って答えた。
「姫を救う勇者のお伽噺に、私のことも書いてもらおうかな。さしずめ、仲間の魔法使いだ」
「逆だろう。聖女様の伝説に、一行くらい載せてもらえればいいが」
と、軽口を叩きながら長い廊下を進んでいると、豪奢な刺繍の入ったアールの伝統衣装を身に纏った男性が通りかかった。
「フーヤオ? どうしてここに」
「……聖女様をお連れしました。早急に姫のところへ向かっていただくため、手続きを少々省きました」
面倒な奴に出会ってしまった、という心の声が、背中越しにアーユイとロウエンにも伝わってきた。
「……また抜け道とやらを使って入って来たな? これだから平民は癖が悪くて困る」
「罰なら後からいくらでも受けます。今は、姫の容態が最優先と判断しました。失礼いたします」
「待て、どこに聖女様がいるんだ。そもそも、どうやってこの短期間で戻ってきた。本当にエンネアに行ったのか? 後ろの二人は何者だ?」
こんな奴に構っている暇はないのに。苛立つフーヤオの気配を察知したアーユイは、
「御免あそばせ」
ごく短距離を転移で移動し男の背後に回り込むと、手刀で首の後ろを的確に叩いた。
途端に男は崩れ落ちる。
「大丈夫、二時間くらいしたら起きるよ。多分ね」
ひょいと男を抱え上げ、近くの人気のない部屋に放り込む。
ついでに亜空間から、野宿になった場合に備えて用意していた毛布を取り出して被せた。少しでも発見が遅れればいい。
「大臣様にも休息が必要だ」
「……アーユイ。ずっと思っていたんだが、お前は何者なんだ?」
とうとうフーヤオが訊ねた。アーユイは微笑んだ。
「水の巫女を曾祖母に、剣聖と呼ばれた男を父に持ち、これからアールの英雄になる男の友達で、神にちょっとだけ愛された、ただのエンネア貴族の娘だよ」




