10-3:幼馴染の事情
エンネアでは黒髪のアーユイのほうが珍しいが、アールではロウエンの金髪のほうが目立つ。
友好的な関係を築いている国なので混血の民も多いものの、悪目立ちをしないようにと、ロウエンはアール人がよく被っている布の帽子に長い髪を仕舞っていた。
「相場より高くないか? あと五レム下げてくれ」
「この時期にたった三人で馬車を貸し切るなら、それくらいは貰わないと」
商人のふりをして貸し馬車の値下げ交渉に堂々と参加しているアーユイを、ロウエンは数歩後ろで眺めていた。
「元々四人乗りの馬車でしょう。あんまりぼったくるようなら、今後貴方のところを使わないよう主様に進言せざるを得ない」
「わ、わかりましたよ。三レム値下げでどうです。これ以上は本当に厳しい」
「うーん、まあ仕方ない。交渉成立だ」
現地人にも言い負けないほどの言語の堪能さも踏まえ、完全にアール人の中に馴染んでいる。
何ならエンネアにいるよりも馴染んでいるのではないだろうか。
聖女でもエンネア貴族でもないただのアーユイは、活き活きとしていた。
無事に馬車を借り、ようやく一息ついた車内で、遠ざかる景色を窓越しに見ながらアーユイが言った。
「時間があれば、母の実家に挨拶でもしたかったところだけど。フーヤオも、普段は首都暮らしなんだろう? しばらく帰ってないんじゃないか?」
「たまに手紙や仕送りは送っているし、家の畑は弟が継ぐ予定だから問題ない」
「ロンヤオだっけ。いくつになった?」
「十五になった。誕生日に帰った時は、随分背が伸びていたよ。まだアーユイよりは低いけどな」
「あはは、フーヤオの家はみんな背が高いからな。私もすぐに抜かれるだろうなあ」
二人の気の置けない会話を聞きながら、ロウエンの心にはまたしても不安が増していた。
アーユイは、フーヤオが相手だとよく喋る。
フーヤオは、ロウエンの知らないアーユイを知っている。貴族ではない、素の彼女を。
逆に、自分は彼女の何を知っているのだろう。
彼女が見せてくれる部分だけを見て、勝手に憧れて惚れて、幼稚な独占欲でこんなところまで無理矢理付いてきて――。
「――ン。ロウエン王子。……大丈夫ですか。やっぱり、具合が優れないのでは?」
恋愛沙汰以外には大変目敏いアーユイが、昨日から様子がおかしいロウエンの顔を覗き込んでいた。
想定外に顔が近くにあり、驚いて飛び退く。狭い馬車の壁に頭をぶつけた。
「大丈夫。昨日、みんなを説得するのに走り回ったから、少し寝不足なだけ」
あながち嘘でもない言い訳を述べながら苦笑する。
「姫のために尽力していただいて、感謝いたします」
「どういたしまして。アールに恩を売っておくのも悪くないと思いまして」
姫は姫でも、ロウエンが尽くす姫はアーユイただ一人だ。
彼女のわがままでなければ、こんなに即日で対応することなどなかった。
「本当に、返せないほどの恩になるだろう。何せ、姫が生まれた時から蝕まれている病が治るかもしれないんだ」
フーヤオはまた、骨張った大きな拳を膝の上で握りしめる。
「生まれた時から?」
「確か、アール王室の姫は今年十六だったよね?」
「そうだ。不定期に発作を起こし、徐々に身体の自由が失われていくという奇病だ。それでも、俺が警護役に任命された頃はまだ、一人でも歩けていたんだ。それが数年で急激に悪化して……」
姫に近づく人間からは護れても、忍び寄る病魔からは護ることができないのが歯痒い。
「アーユイが聖女に選ばれたことを知った時には、まさに天恵だと思った」
急に重苦しくなった車内の空気を打ち消すように、アーユイが口を開いた。
「……話は変わるんだけど、フーヤオ。単独行動をして大丈夫なの? エンネアには一人で来たわけじゃないだろう? 私はてっきり、もっと大所帯で旅することになるかと思ってたんだけど」
「もちろん、エンネアには皇帝が率いる外交団の一員として入国したさ。他の団員は今頃、エンネストのあちこちで商談に励んでるんじゃないか」
そう言って笑った顔には、自嘲が含まれていた。
「フーヤオは私担当の外交員ってことか」
「今回の外交団の目的の中でも、聖女を連れ帰る任務は一番難易度が高い予定だったからな。まだ説得に手こずってると思ってるはずだ。会えてすらいないと思われているかもしれない」
はあ、とため息をつく。
「先に戻るって、言ってないの?」
「式典が始まる前にエンネストに戻れるんだろう? 表立てて大事にしても、準備に時間を食うだけだ。今はとにかく、一秒でも早く姫を診てもらいたい」
表情に暗い影が落ちる。
「そもそも、式典の前に聖女を国外に連れ出すなんて、成功するわけがないと思われているんだ。俺は平民の出だから、良く思わない者も多いし」
それは、臣下でありながら姫の命を諦めている者が多いという意味でもある。
「……なるほどね。私もそういうのは好きじゃないな。鼻を明かしてやろう」
肩を揺らし、くっくっと悪い顔で笑う長身の女は、どう見ても悪役だった。




