10-2:隣国への旅
ロウエンは国王と王妃にのみ事実を話した。
他の者には一貫して『聖女は連日の来客で少し体調を崩しており、式典に備えて体調を整えるために一週間ほど実家に帰る』と当たり障りのない事情を連絡することにした。
そして翌日。
正規ルート――もとい、堂々と正門をくぐって家に戻ったアーユイは、アール人の旅人がよく着ている服装に着替えた。
一晩根回しに奔走して寝不足気味のロウエンも旅着に着替えさせ、彼と、客人として待機していたフーヤオの手を、それぞれ掴む。
「あれ? 侍女さんは来ないの?」
見送る使用人たちの中に混ざっているリーレイに、ロウエンが声を掛けた。
当然付いてくるものだとばかり思っていたのだが。
「ええ。あたしは万が一お嬢様が戻ってこられない事態に備えて、影武者の練習をしなければなりませんので」
「……世話を掛ける」
フーヤオは静かに頭を下げた。
「それじゃ、ちょっと行ってくるよ」
散歩にでも行くような気軽さのアーユイに対し、
「お気をつけて」
「「お気をつけて」」
アインビルドの者たちは、長期任務に就く前と同じように、一斉に敬礼して主人を見送った。
***
次の瞬間には、三人は見慣れない木々が生い茂る林の中にいた。
「ここは?」
ロウエンが、明らかにエンネアとは植生の違う風景をきょろきょろと見回す。
「母の実家の裏手だ。フーヤオの実家も傍にあるよ」
「……本当に一瞬なんだな」
フーヤオは、見覚えのある景色に目を丸くしていた。
「転移魔法のことは、誰にも言わないでくれ。フーヤオの主人にも」
ことあるごとに呼び出される羽目になるかもしれないし、何か悪巧みを持ちかけられる可能性もある。面倒事はごめんだった。
「わかった。……どうせ誰も信じないだろうしな」
「あと、不法入国がバレた時のフォローは任せた」
「任された」
拳の小指側をぶつけ合い、二人はにやりと笑い合う。
幼い頃に遊び相手だっただけだというが、やはり年頃の男女としては気安いような気がする。
ロウエンがもやもやと考えていると、
「それじゃ、時間も惜しいことだし、早く行こう」
フーヤオはすぐに真面目な顔に戻って、踵を返した。
「ああ。王子……、と呼ぶのはまずいか。人前ではロウエンと呼んでも構いませんか? 私のことも、聖女様とか姫ではない呼び方でお願いします」
「えっ、あっ、はい。じゃあ……アーユイ」
またしてもフーヤオに張り合い、呼び捨てにしてみる。
「はい。こっちです、ロウエン」
にっ、と満足げに笑ったアーユイに見蕩れているとも知らず、勝手知ったる二人はさっさと獣道を掻き分けて歩き始めた。
林はさほど広くなく、ほどなくして視界が拓けた。林は、少し小高い場所にあったらしい。
「ここから東にしばらく歩く。最寄りの宿場から馬車に乗って、二つ宿場を経由して、今日の宿がある町には夕方に着く予定だ」
どこまでも広がる田園地帯の中にぽつりぽつりと民家があり、田畑の手入れをする人影や草を食む牛の姿が見える。
その更に向こうに、背の低い建物の密集地帯が見えた。あれが宿場だろう。
――目で見れば近い気もするが、歩くとなると一時間はかかりそうだ。
「わかった。魔物の心配はしなくていい。私自身が魔物除けみたいなものだから」
「それも権能って奴か? 便利だなあ」
「逃げてくれない人間のほうが、魔物よりよっぽど厄介だよ」
「違いない」
宿場と宿場を繋ぐ街道はここ数十年でかなり整備され、治安も良くなってきたとは言うが、それでもまだ、賊が全くいないわけではない。
「フーヤオも随分鍛えてるみたいだね。城で何の仕事をしてるんだ?」
身長はロウエンとそう変わらないが、フーヤオのほうが筋肉質で一回り大きく見える。
「姫の警護だよ。国の武術大会で優勝して、スカウトされたんだ」
「すごいじゃないか! 平民が姫の警護役に成り上がるなんて、お伽噺みたいだ」
「アーユイに勝てないのが悔しくて、ずっと修練していたのが役に立つとはな。お前には助けられてばかりだ」
「そんなことはないよ。フーヤオの努力の結果だろう。エンネア語も随分上手くなったし」
アーユイに褒められたのが嬉しいようで、フーヤオは照れくさそうに頭を掻いた。
「姫は外交の場に出ることもあるから、他国の言葉で何か言われた時に、警護役が聴き取れないと差し支えるだろ? 隣接しているエンネア語は、最優先で覚えたんだ」
「なるほど」
本当にそれだけだろうか。アーユイの母国語だからではないのか。醜い嫉妬心だとは知りつつも、ロウエンは邪推しないわけにはいかなかった。
「それにしても、王子殿下とアーユイが親しい関係で助かりました。正式な手順を踏んでいたら、こんなにすぐには彼女を借りられなかったでしょう」
ロウエンの心境はつゆ知らず、フーヤオは穏やかに笑う。
「し、親しく見えますか」
「確かに、分不相応に仲良くさせてもらっているけど。歳も近いしね」
アーユイも否定しなかった。ロウエンは少しだけ気分を持ち直した。
「大方、アーユイが王子に手合わせでも申し込んだんじゃないのか?」
「逆だよ。私のほうが挑まれたんだ」
「その言い方だと、アーユイが勝ったみたいだな」
いつかの手加減された試合のことを思い出し、持ち直した気分がまた少し落ちた。
「剣術だけなら押し負けていたかもしれない。最近は父に鍛えられているし。強いよ、ロウエン様は」
「それは是非、私も一度手合わせ願いたいところですね」
「ええ、機会があれば是非」
彼に勝てば、アーユイも見直してくれるかもしれない。
姫を守る騎士同士、社交辞令ではなく本当に一戦交えてみたいものだと、ロウエンは静かに闘志を燃やした。




