9-3:デート
借りた厨房の後片付けをするアーユイを、ロウエンが手伝おうとすると、
「さすがに今回は大丈夫です。旅の最中のように人手が足りないわけでもありませんから」
きっぱりと断られた。
「それより王子。わざわざ厨房まで訪ねてくるなんて、私に何か用事があったのではないのですか?」
「あっ!」
デートに誘うためにアーユイを探していたことを、すっかり忘れていた。
「でも、ここではちょっと……。待ってますから、部屋までお供してもいいでしょうか」
「構いませんよ」
すると、王子を待たせるなんてと使用人たちが慌てだした。
「片付けは私たちがしておきますから、聖女様はお戻りになってください」
「でも……」
「珍しいものを食べさせて頂いたお礼です。杏仁は薬にもなる貴重なものだと聞いたことがありますし」
料理人は隣国のデザートについても知識があったようで、帽子を取り、改めて敬礼をした。
「そういうことなら、お言葉に甘えて」
「よろしければ、またアール料理のことを教えてください」
「喜んで」
改めて厨房を貸してくれたことに礼を言って、アーユイたちはその場を後にした。
「それで? 使用人たちに聞かれては困る用事って、何です?」
にやにやと笑っているのがわかる声で、アーユイは訊ねた。
「えっ、ああ、ええっと……」
本当はもう少ししっとりと真剣な雰囲気で誘いたかったところなのだが、どうもそういうわけにはいかないようだ。
ロウエンはしどろもどろになりながら、何かに言い訳するようにぼそぼそと言った。
「その、式典の準備が本格的に忙しくなる前に、城下へ遊びに行くのはどうかなという、お誘いをしにきたんです」
「城下に? 外に出てもいいのですか?」
アーユイはきょとんと首を傾げた。一度好意を自覚してしまうと何気ない仕草も可愛らしく見えて、ロウエンはぐっと堪えた。
「いつもの真っ白な格好でなければ、聖女様だとはバレませんから」
ロウエンはアーユイの元を訪れる前に、聖女様にも息抜きが必要だと言って渋る大臣たちを説得し、速やかにアーユイと自分の外出許可を取り付けていた。
もちろん、裏で国王と王妃からの口添えがあったことは言うまでもない。
「なるほど、堂々と外に出たい時は、王子に頼めば良かったのか」
いつでも転移はできるとはいえ、いつ来客があるかわからない状況では勝手にいなくなるわけにもいかず、日中の脱走は控えめにしていたところだ。アーユイは一つ学んだ。
ロウエンはデートの誘いを断られなかったことにひとまず安堵し、アーユイの行きたい場所優先で計画を立てることにした。
「城下にある居酒屋の揚げ串が恋しかったところなんだ。リーレイもいい?」
「もちろん」
アーユイはデートではなく、完全に本気で遊びに行くつもりだった。
本当は居酒屋よりも小洒落たレストラン、そして二人きりが良いが、ダメと言うわけにもいかない。
すると、
「外へ出たら、あたしは別行動でも構いませんか? アインビルドのお屋敷の様子を見に行きたいので」
リーレイの方からそんな申し出があった。
「僕たちが城に戻るまでに戻ってきてくれれば問題ないけど……。いいの?」
「リーレイは私以上に自由に出歩けないからね。久しぶりにゆっくりしておいで」
二人きりにしていいの、という意味でロウエンは聞いたのだが、主人に付いていなくてもいいのかという意味に勘違いしたアーユイが、代わりに頷いた。
「ありがとうございます」
それを正すこともなく、リーレイは頭を下げた。
何を考えているのかわからない侍女にロウエンは疑問符を浮かべたが、その真意はすぐに知ることになる。
***
「姫、こちらにどうぞ」
ロウエンは王子であり騎士である。女性をエスコートする礼儀と所作は弁えている。
「ありがとう」
そして一応、アーユイも貴族の娘であり潜入捜査のプロである。
紳士のエスコートに対する礼儀と所作は弁えている。
――つまり、ロウエンがどれだけ献身的にエスコートしたところで、礼儀以上の意味を持っているなどとは、アーユイは露ほども思わないのだ。
そしてロウエンはというと、世間で言われる百戦錬磨の女たらしという噂は全くの濡れ衣で、一途で清廉な男だった。
しかし今まで、彼が少し微笑めば頬を染めない女性などいなかったこともまた事実だ。
アーユイが自身の戦闘能力を『それなり』と思っているのと同じくらいには、外見や、女性から好意を持たれることに関して『それなり』の自信があったのだが。
「ロウエン様も食べましょうよ。それとも、庶民的な脂っこいのは苦手ですか?」
庶民の服を着ていても隠しきれない、通りすがりに老若男女から二度見される華やかな容姿よりも、テーブルに並んだ串揚げと酒のほうが好きな聖女へのアプローチの方法は、わからなかった。
***
リーレイは、屋敷と同僚たちの近況を確認し、少々買い食いなどもして久しぶりに羽を伸ばした。
城の門の前で二人を待っていると、背の高い人影が連れ立って歩いて来るのが見えた。
もちろんそれは彼女の主と、主の主たる一族の次男だ。
「おかえりなさい、お嬢様、王子」
「待たせたね、リーレイ。家はどんな風だった?」
「相変わらずでございましたよ。皆欠けることなく壮健です」
「何よりだ。私も、また近いうちに帰りたいな」
満足げなアーユイの表情を見て、リーレイも満足する。
「王子も、お嬢様の護衛をありがとうございます」
別に王子に協力してやったわけではない。ちょっと二人きりにしたくらいで落ちる姫ではないことは、リーレイが誰よりも知っていた。
単純に、久しぶりの外出の中で自分にまで気を遣ってほしくなかっただけだ。
「とんでもない。光栄だよ」
笑ってはいるが、心なしか金色の尻尾がしょぼくれ毛艶が失われている。
彼の思惑は何一つ実らなかったことはすぐに察知できた。リーレイは更に満足した。
翌日には、先日のデザートをご馳走になったことと、城下へ付き合ってくれたことへのお礼という名目で、ロウエンからの贈り物が届いた。
一つは国の北方で作られているチーズと、それに合うワイン。
聖女の姿で城にいるとなかなかありつけない酒精を、アーユイはとても喜んだ。
そして二つ目は、
「きっと、いろんな知り合いにマメに贈り物をするのも、王子の仕事なんだろうな。大変だね」
アーユイの好みや性格を考慮した、美しいレースの刺繍が施されたハンカチだった。
本当は首飾りかいっそ指輪でも贈りたいところをぐっと我慢し、あまり値段の張らない実用品、そしてできれば日頃身につけてくれるものを。そんな王子の苦悩と真摯な想いが伝わってくる。
「……センスは評価いたします」
繊細な布地を広げて灯りに透かし、気に入っている主の素振りを見て、ほんの少しだけ、リーレイは王子を見直した。




