9-2:お菓子作り
アーユイとの仲を進展させる決意をしたロウエンは、まずは雰囲気作りからと、デートに誘うためにアーユイを訪ねた。
しかし、聖女の居室にアーユイはいなかった。
「厨房に行った?」
外にいた聖堂の衛兵に訊ねると、少し前に『城の厨房に行くので、もし来客があったら聖堂で待たせてほしい』と言付けて出かけたという。
「待ちますか?」
「いや、僕も厨房に行ってみます。ありがとう」
浄化ツアーからそう日は経っていないのに、また呼ばれたのだろうかと首を傾げながら、ロウエンは厨房へ向かった。
城中の胃袋を賄う厨房は広いが、アーユイの居場所はすぐにわかった。人だかりができていたからだ。
「何事?」
遠巻きに様子を見ていた本日の護衛担当に、ひそひそと話しかける。
「お菓子を作るんだそうです」
「お菓子?」
人垣からひょいと覗き込むと、アーユイは大きなボウルの中で白い粒を細かくすり潰しているところだった。
「王子。すみません、こんな格好で」
すぐにロウエンに気付いたアーユイは、聖女の白装束ではなかった。
一応白っぽい服ではあるが、どちらかというと使用人に近い軽装で、腕まくりをしていた。
先日、夜に脱走した時に実家から持ってきた服だ。
「いえ、あの、僕は構いませんが……」
白い腕が露わになっているのを見て、ロウエンは動揺した。
「何を作ってるんですか?」
誤魔化すように、質問をしてみる。
「母の故郷で食べられているデザートです」
アーユイは喋りながらも手は止めず、白い粒に水を加えながらすり潰し、滑らかになったところで布で絞る。
「そういえば……。聖女様のお母様と侍女さんは、アールの出身なんでしたっけ」
アールはエンネアの東側に位置する友好国だ。
「ええ、その伝手で、実家に本場の材料を取り寄せてもらったんです」
絞り汁に砂糖と粉状の何かを加えて火に掛け、沸騰させたものを平たい器に流し込むアーユイ。
「リーレイの好物なんですよ。たまには彼女にも娯楽が必要でしょう?」
「恐縮です」
そう言うとおり、いつも甲斐甲斐しくアーユイの世話をしているリーレイは、今回は手伝わずに隅に控えている。
「あとは冷やすだけです」
厨房には、魔法を使った大型の冷蔵庫がある。温度を変える魔法は調整が難しいため、小型でも高級品だ。
更に、見慣れぬ赤い実の入ったシロップを作ると、
「冷えるのを待ってる間にもう一品、さっきの絞りかすを使ってクッキーでも作りましょうか」
そう言って、先ほどすり潰した白い粒の絞りかすと、小麦粉や卵を混ぜ始めた。
料理人たちも興味深そうに覗き込んでいる。
しばらくの後、厨房に芳ばしい匂いが漂い始めた。
「聖女様は貴族のお嬢さんなのに、お菓子作りもできるんですねえ」
オーブンから取り出されたクッキーを、料理人がしげしげと見ていた。
「嗜み程度ですよ」
実際のところ、きちんと分量を量って作る菓子よりも、食材を現地調達して目分量で作る野営飯のほうが得意だったりする。
「ほら、リーレイ」
粗熱を取って皿に盛ったクッキーをアーユイが差し出すと、
「いただきます」
リーレイは早速一つ手に取った。
遠慮をしないところを見ると、本当に好物なのだろう。はりほりと小さな口で小動物のように囓りはじめた。
「王子もいかがです?」
「いいんですか? じゃあ、おひとつ頂きます」
「皆さんもどうぞ。あまりたくさんはありませんから、今ここにいない方には内緒ですよ」
と勧められれば、各々顔を見合わせて手に取った。
「不思議な風味で美味しいです。さっきすり潰していたのは何ですか?」
ロウエンは、小麦粉と違う甘い匂いをふんふんと嗅いでみる。
「杏仁と言って、アンズの種の一部です。食べ過ぎると毒なので、気をつけてくださいね」
「え」
暗殺姫からさらりと告げられた毒という単語に、ロウエンは一瞬固まった。
「クッキーに入っている量くらいなら、問題ありませんよ。現にリーレイはこうですし」
二つ目をサクサクと食べ進めている侍女を示し、くっくっと面白そうに笑った。
クッキーを食べ終わり、お茶を勧められて一息ついた頃。
「さて、そろそろ本命もできたでしょうか」
冷蔵庫から取り出した器の中の絞り汁は、凪いだ湖面のように平らに固まっていた。
ナイフで縦横に切れ目を入れて器から外し、皿に盛り付けてシロップをかける。
「これはまた……。不思議な食べ物ですね」
「母は杏仁豆腐と呼んでいました」
喋りながら、慣れた様子で皿をリーレイに渡す。
「ありがとうございます」
こちらも慣れた様子で受け取り、さっさと食べ始めた。
主人が手ずから作った料理を侍女が先に食べるなど、普通ならありえない行動だが、何故だかこの二人の間では自然に見えた。
「久しぶりに食べました。美味しいです」
相変わらずリーレイの表情は微動だにしないが、なんとなく喜んでいるのは伝わってきた。美味しいのは本当だろう。
「うん、我ながらいい出来です」
アーユイも自分の分を皿に盛り、一口食べて微笑んだ。
「王子も挑戦しますか?」
毒と聞いてたじろいだロウエンをからかうように、ヴェールの下で口元がにやりと笑った。
「い、いただきます」
彼女の作った毒で死ねるなら本望だと、ロウエンは杏仁豆腐の盛られた皿を受け取り、一口食べて、
「美味しい!」
良い香りと、害のなさそうな素朴な甘さに驚いた。




