8-4:敵の意図
状況を説明するにあたり、アーユイは再び王太子妃の部屋に戻ってきた。
先ほどもやに襲われていたドレスの女性は、隣に立つフィーゴが俵担ぎしている。
倒れていた従者たちは、まだ息があることを確認した後、ひとまず人を呼んで医務室へと運ばれた。
「見ての通り、この部屋には呪いが仕掛けられていて、術者は彼女でした」
もやが消えさっぱりとした室内で、アーユイは担がれている女を親指で差した。ヴェールはいい加減邪魔なので取った。
「なかなかの怨念だったぞ。我が潰していなければ、あのまま魔物になっていたところだ」
フィーゴはがははと笑う。
予想通り、女はヴィンス王子の側室だった。
自分には見向きもしてくれない王太子殿下から一人寵愛を受ける正室が、とうとう子供を授かり、嫉妬に狂っての犯行と見て間違いない。
「魔物って、そうやって産まれるのですか」
「呪いから産まれる場合はそうだ。尤も、人間が魔物に堕ちたとて、知性も何もない、何故己がそうなったのかも思い出せぬ哀れな獣に成り果てるだけだが」
暢気に物騒な会話をする一人と一柱を、リーレイ以外の全員が、理解が追いつかない顔で眺めていた。
「さて、後は人間同士で解決することだ。戦になったらまた我を呼べ」
「ありがとうございます、フィーゴ様」
炎神はぽいと女を床に投げ捨てる。
「じゃあな、アーユイ」
アーユイの頭をわしゃわしゃと撫でくり回すと、短い挨拶を残し、ひゅぽっと音を立てて消えた。
「と、いうことです」
乱れた髪を手櫛で直す聖女に対し、突っ込みたいことがたくさんありそうな王族の方々は、結局、何も聞かずに本題に戻ることにした。
「確かに、この置物も、あのジュエリーボックスに入っていたペンダントも、懐妊祝いにと彼女から送られたものですが……」
ヴィンスは悲しげに目を伏せる。元はと言えば、彼、そして王室の仕組みに原因があるとも言える。
「聖女様、赤ちゃんは大丈夫かな」
心配そうに王太子妃の顔を覗き込むロウエン。母体が呪いを受けていたら胎児にも影響があるのではと、一同が心配した。
「さすがに胎内のことは、私には何とも」
と言いかけて、水の巫女のことを思い出した。
「タラッタ様ならわかるかもしれないけれど……」
水神は母子の健康や安産の神とも言われる。
とはいえフィーゴ神と違い、あの寡黙な神には呼べば来るとは言われていない。
「……呼んだ?」
唸っていると、噂したばかりの神がトゥルン、と姿を現した。子供の姿だった。
「うわっ、タラッタ様」
「……今度は、驚いた」
「来てくださると思わなかったので。応じて頂きありがとうございます」
「……」
タラッタはアーユイが驚いたことで満足したのか、眠っている王太子妃に寄り添い、腹の辺りに耳をつけて、
「大丈夫。元気」
それだけ言うと、またトゥルンと消えた。
様々な奇跡をいっぺんに目撃してしまった一同は、一旦アーユイを待たせ、額を付き合わせてごそごそと話し合った。
幸いにも、炎神と水神までもが聖女に手を貸した事実は、王家しか目撃していない。
「元々聖女様には水の巫女の資格もあるわけだし、タラッタ様が呼びかけに応じてくださるなんてバレたら、二度と南から戻って来られないかもしれないよ」
「フィーゴ神にしてもそうです。炎神教を国教にしているトリー人にでも見られたら、誘拐どころの騒ぎではありません」
と、二人の王子からくれぐれも人目につく場所では彼らを呼ばないようにと言いつけられた。
「それは承知していますよ……」
アーユイだって、緊急事態でなければ呼ぶつもりはなかった。
「ですが、私は聖女である以前に『王国の影』、アインビルドの人間です。エンネア王家が危険に晒される時には、惜しみなく持てる力を振るいます」
その眼差しはあまりにも真っ直ぐで、オリバーですらたじろぐほどだった。
***
何やら名残惜しそうな王家一同に見送られ、アーユイは再び聖堂奥の呪術研究室に来た。
「聖女様、お待たせしました」
現れたのは、明るい紫色の瞳をきらきらと輝かせる、整った顔立ちの青年だった。
アーユイは誰だこいつ、と一旦首を傾げた後、
「……室長ですか?」
着ている白装束のずぼらな皺と仕草から、もっさりメガネと同一人物であるという結論に辿りついた。
「さすが聖女様、よくおわかりになりましたねえ。家族からまで別人みたいだって言われるのに」
室長はわしゃわしゃと後頭部を掻いた。
普段は目に刺さりそうな長さの前髪が、今日は丁寧に後ろに撫でつけられている。
「先ほどまで、トリーの支部長が来ておられたもので。外部の人間に会うときくらい小綺麗にしておけと、部下から怒られまして」
普段は小汚い自覚があったらしい。
本当は聖女の前でもいつも小綺麗にしていてほしいと部下たちが思っているのは、言うまでもない。
「なかなかの変装ですよ」
「変装? なるほど、そう考えると少し面白いですね」
アーユイは、呪い以外の部分では意外と会話のキャッチボールが可能なのだなと、彼への認識を改めた。
「それにしても、エンネア国王の部屋と、王太子妃の部屋にまで呪具があるとは」
王の執務室で破裂したランプの破片や、王太子の側室が仕掛けた置物は、既に研究室に運び込まれていた。
室長は早速、興味深そうにそれらをいじり始める。
見た目は爽やかになっても、呪いが絡むと楽しそうに手をわきわきさせる仕草で全てが台無しだった。
「身内の醜聞を晒すようでお恥ずかしいのですが、どうやら貴族の間に呪い紙や呪具が蔓延しているようです」
「どれも貴族らしい、お金のかかった美しい呪具ですね。ライトの傘なんて、内側の模様が、巧妙にカムフラージュされた術式になっていますよ」
室長は解呪の際に割れたかけらをパズルのように並べ、大興奮している。早速会話が噛み合わなくなった。
「万が一解呪されても、どんな呪いだったかわからなくするために爆発するのでしょう! もったいないなあ、こんなに綺麗な術式を壊すなんて」
話しながらすいすいと破片の模様を合わせていく室長に、アーユイは感心した。
「室長は、随分呪いにお詳しいのですね」
「ええ、先代の室長だった父から研究成果を聞かされているうちに、個人的にも興味を持ちまして。ピュクシス教会に所属している以上、建前上は対抗するための研究ということにしておきますが」
しれっと信仰心の薄さを暴露され、思わず呆れてしまった。
「……聞いておいてなんですが、私に正直に話していいのですか」
「聖女様に嘘をつくほうが、罰当たりというものですよ」
「信心深いんだか浅いんだか」
そういう所は自分と似ているかもしれないと、アーユイは思わず笑ってしまった。
「ところで、術者である貴族たちは、あまり呪いについて知らないように感じるのですが……」
父の執務室にあった栞の持ち主は、万が一解呪された時のデメリットを知らないように思えた。
もし知っていたなら、強力な浄化の魔法を使える聖女の父親を呪うなんて、馬鹿なことはしなかったはずだ。
「効果だけを聞いて、飛びついたのかもしれません。あるいは――呪いを広めた誰かが、わざと副作用を教えなかったか」
「……なるほど」
もしそうなら、聖女に解呪されるところまで含めて、黒幕の計画のうちだという可能性が出てくる。
「少なくとも、このランプの図案の制作者は、呪いと魔術両方の知識をかなり持っていると思いますよ。話してみたいなあ」
「今、ランプを贈った者を探しているところのようですから、もしかすると近々会えるかもしれません」
「その時には、是非同席させてください」
和やかに話すアーユイと室長を見て、護衛の隊員は「これはまずいぞ」と、ロウエンに心の中で緊急警報を送っていた。




