8-3:王太子妃の部屋
翌日も、訪れた他国の美男子を適当にあしらった後、一息ついてリーレイと本日の護衛担当の騎士と共に茶をしばいていた時だった。
「せーいじょさま!」
ニコ! と相変わらずの愛嬌の良い笑顔で、ロウエンが聖女の居室に現れた。
「王子。どうされたのですか」
アーユイは立ち上がろうとするが、座ったままでいいと手で制した。
「聖女様のおかげで、城中ピカピカだね。みんな喜んでるよ」
「私のほうこそ、良い暇つぶしになっていますよ」
「そんな聖女様に、浄化して欲しいところがあるんだけど」
「? まだどこか?」
城内は概ね回ったはずだが、とこれまでの行き先を思い出しながら視線を斜め上に逸らすアーユイに、ロウエンは頷く。
「うん。国王の執務室と、王太子妃の部屋を、ちょっとね」
オルキスの件以来、久しぶりに足を踏み入れた王家の生活区を進みながら、ロウエンはため息をついた。
「実は父上にも兄上にも、お前ばっかりずるい! って常々言われててね……」
言われてみれば、エンネア王家は聖女の末裔なわけで、始祖と同じ力を持つ少女に興味がないわけがなかった。
「ずるいって……。王太子殿下にはお会いしたことがありませんが、あの厳格そうな国王が?」
「あんなの、威厳を保つための演技に決まってるじゃない。だって、僕の父だよ?」
「……」
妙な説得力だった。
「否定してほしかったなあ」
ふにゃふにゃの自覚は一応あったらしい。
「訓練中や戦闘中の王子は、キリッとしていますよ」
「本当?」
ぱあっと顔を明るくするロウエン。褒められた子供の顔だった。
「戯れてないで早く来い」
前を行く隊長、オリバーが呆れていた。
階段を上がり、長い廊下の果てに、ようやく王の執務室はあった。
部屋に入った途端、アーユイはスン、と鼻を鳴らした。
「どうかした?」
ロウエンが目敏く気付き、首を傾げる。
「いえ……」
どうして、王の執務室から例のかび臭がするのだろう。
「よく来てくれた。楽にしてくれ」
国王は、かびの臭いを気にしている様子はなかった。
「城を改めてくれているそうだな」
国王はオリバーから野性味を抜いたような顔立ちで、ロウエンと同じく憧れの英雄に会った子供の表情をしている。さあさあとソファを勧めた。
「勝手なことをして申し訳ございません」
「何、聖女の力を国のために使って貰っているんだ。感謝こそすれ、勝手などとは思わん。……おかげでいくつか暴かれたこともある」
伯爵の謀反、仕入れ先不明の呪い紙。
「それについてですが。陛下、お身体の不調などはございませんか」
「不調? いや、年相応に肩凝りや何かはあるが……」
「そうですか……。まあ、やってみればわかるでしょう」
何の呪いだか知らないが、さっさと見つけたほうがいい。
パチンと指を鳴らすと、レンの執務室の時と同じように爽やかな風が吹いた。更に、
「何だ!?」
パン、と壁際のスタンドライトが割れた。更に、机の引き出しの中と、本棚からも煤煙が上がった。
「うん? おお! 肩が軽くなった!」
「さすがというか……。お強いですね、国王様ともなると」
三ヶ所から呪われていてもピンピンしているとは。一切効かないアーユイには及ばないが、レンの上を行く呪い耐性だった。
***
執務室の呪いの後処理を聖堂の呪術研究室の職員たちに任せ、アーユイたちは王太子妃の部屋へ向かう。
「実はこっちが本命なんだよね」
「本命?」
返事を聞く前に、ロウエンは扉をノックした。
「ロウエンです。聖女様をお連れしました」
「入ってくれ」
男性の声が聞こえ、ロウエンが扉を開ける。
「うわ」
臭いどころか、目に見えてわかるほどのもくもくとした何かが、部屋中に渦巻いていた。
ヤバそう? と王子が目で訊ね、これはヤバい。と聖女はヴェールの下で眉間に皺を寄せて頷いた。
「お初にお目に掛かります。アーユイでございます」
まずは入り口で一礼。
「ご足労ありがとうございます、聖女様。ロウエンの兄、と言った方が通りがいいでしょうか。ヴィンスと申します」
ロウエンと同じつややかな金髪と緑の目を持つ王太子ヴィンスは、丁寧に挨拶した。
穏やかで誠実そうだが、今はかなり無理して微笑みを作っていることがわかる。
「……王太子妃の体調が、よろしくないのですね」
来客にも気付かずベッドで眠っている王太子妃の肌は青白く、痩せて目の下にくまができていた。
「ええ、懐妊を発表するまでは普段通りだったのですが……。急に体調を崩し、ここ一週間ほどは起き上がることもできないような状態で」
ヴィンスは頷いて、ふらふらとベッド脇の椅子へ腰掛け、王太子妃の手を握る。
原因はもはや、この蔓延する呪いの煤しか見当たらなかった。
「早速ですが、失礼いたします」
アーユイ自身、これ以上この空気の悪い場所には居たくない。指を鳴らし、浄化の風でもやを吹き飛ばす。
と、ドレッサーの上に置かれた小箱、ベッド脇サイドボードの置物の二ヶ所から、今までで一番の煤煙が吹き上がった。
「きゃああ!!!」
窓の外、王家の居住地の中庭から、女の悲鳴が上がる。
急いで窓へ向かい外を見ると、
「嫌! 来ないで! いやああぁ!!」
複数の従者が倒れ伏す中、もやが凝縮され雲のようになった何かが、腰を抜かしたドレスの女性に襲いかかるところだった。
「フィーゴ様! いけますか!?」
間に合わない。アーユイは窓を開け、いつでも力を貸すと言ってくれた炎神の名を呼んだ。
「おう!」
途端、ゴッ、という短い爆音と共に、炎がもやを握り潰した。女はその場で気を失う。
「あ、ちょっ、聖女様!?」
ためらいなく窓枠を越えて飛び降りたアーユイを、突然現れた燃えさかる髪を持つ男神が受け止めた。
「ナイスキャッチです、フィーゴ様」
「うむ!」
頼られて嬉しいという顔の炎神は、アーユイを丁寧に地上に降ろした。
「ここ三階……。はあ……」
アーユイの行動にいちいち驚いていては身が持たない。わかってはいるのだが、ロウエンはため息をついて窓枠にもたれかかった。




