8-1:実験
水神の加護を試すにあたり、アーユイたちは前回の反省を踏まえ、休憩時間を狙って修練場へ向かった。
「聖女様、なんだか久しぶりだね」
今日は何をするんだと、騎士たちがわらわら寄ってきた。今回はロウエンも混ざっている。
「ロウエン様も、最近忙しそうですね」
オルキスの一件以来しばらく会話する機会がなかったロウエンだが、少し体つきが良くなっただろうか、とアーユイは思う。
父の練習メニューが効いているのかもしれない。
「まあね。いろいろとごたついてるでしょ。良いことも悪いことも」
他国の使者は相変わらずひっきりなしに来る。
あくまでもメインの用事は聖女だが、せっかく長旅の末にエンネアまで来たのだからと、観光や外交に勤しむ使者は多い。
連日国王や王妃、そして王子たちも対応に追われているようだった。
呪いの件もある。レンを呪った子爵の件は、表向きには病死ということで処理されたらしい。
簡単に解呪されたことを警戒しているのか、まだアーユイの元にもヘプタの息のかかった者は来ていない。
「それだけじゃないですよねえ、ロウエン様は」
にやにやと意味ありげな隊員。
「他にも心配事が?」
アーユイは首を傾げた。
「何のことかな! それより、今日はどうしたの?」
ロウエンは全力で話を逸らした。
「新しい魔法の実験がしたいのです。騎士隊の皆さんの練習着を持ってきていただけませんか」
「練習着? いいけど」
不思議そうな顔をして、各々練習着の替えを持ち出してくる隊員たち。
「では、適当に並んでください。いきますよ」
まるでオーケストラの指揮棒を振るように、アーユイは腕を振った。
「わあ!?」
「うおお!?」
突風よりも激しく、しかし質量は無い透明な何かが、隊員たちの間を吹き抜けていった。
「おお!」
「これはいいですね」
わけがわからない隊員たちの中、アーユイとリーレイは、目を輝かせている。
「服の汚れ、ちゃんと落ちています」
うんうんと満足げに頷くリーレイの声で、隊員たちは手に持っていた服を見た。
毎日汗と砂埃、雨上がりには泥汚れを吸収して洗濯係泣かせだった練習着は、洗っても取れなかった汚れが綺麗さっぱり消え、新品のような色合いになっていた。
それどころか、彼らが今着ている服、顔や手に付いていた砂埃、更には修練場の端に置かれていた器具までもがピカピカになっている。
「さすがにほつれや壊れた箇所を修復することはできないけど、たまに使うだけでもいくらか長持ちしそうだな」
実家の拷問器具にも使ってみるべきか、と物騒なことを考えるアーユイ。
「もしかして、水の浄化魔法ですか!?」
「これなら今日は洗濯係から渋い顔をされないな!」
と、練習着を広げて喜ぶ兵士たち。良家の子息たちには、元々綺麗好きが多いのだ。
「他の隊もやってほしいって言うんじゃないですか?」
「なるほど。洗濯するくらいなら、邪魔にならないでしょうか」
聖女は丁重に扱わねばという気持ちがありすぎるせいか、どこに行ってもなんとなく煙たがられている気配を感じていた。
あまり内政に関わるつもりはないが、友好的な関係が築ければ、お互い居心地の悪い思いをしなくて済むだろう。
「実験しに行くなら、まずは他の上級騎士隊の奴に話を付けておきますよ。きっと喜ばれます」
「え、でも……」
何故か慌て出すロウエン。
「メイド長には俺が言っておきましょうか」
そう言って挙手したのは、父が王宮使用人を統括する家令の職に就いているという隊員。
「それは助かります」
「あの、それは、うう……」
どんどん話が進んでいく中、発言しそびれて肩を落とすロウエンだった。
***
どの部署も頑固な汚れに苦労していたようで、ほとんど二つ返事の許可が下り、ささやかに聖女の城内浄化ツアーが開催された。
まずは第一上級騎士隊、そして第三上級騎士隊。
第二ほどの慣れ慣れしさはないものの、可憐な白装束の聖女はほどほどに歓迎された。
それから厨房、最後に洗濯場にも行った。
事前に聞いていたとはいえ、聖女が裏方に現れることに使用人たちも最初は緊張している様子だった。
が、見違えるように綺麗になった服や器具を見て、恐れよりも感動が先に出たようだ。
定期的に来てほしいと懇願された。
もちろん、そんな聖女の動きに好意的な者ばかりではない。
「あら、ごきげんよう聖女様。最近お掃除屋さんに転職なさったと聞きましたけれど、いかがお過ごしかしら」
誰だっけ、とアーユイは内心で首を傾げた。
茶色の巻き毛に豪華なドレス。推定年齢と衣装の形から、成人前の未婚の令嬢だ。
「ごきげんよう。ええ、やはり綺麗になると気持ちがいいですね。浄化の力を授けてくださった神に感謝しなくては」
ダメだ、どこかで聞いた声のような気がするが、姿が記憶に該当しない。
とりあえずこんなところで堂々と話しかけてくるのだから、貴族の身分的には格上に違いないと、丁寧にお辞儀をした。
皮肉が効かなかったことで、どこかの御令嬢はむっとする。
「お父上が伯爵になられたのでしょ。人気取りなのか知りませんけれど、使用人に媚びを売るなんて浅ましいこと、ご身分に似合わないのではなくて?」
「父は父です。私の身分は今教会預かりとなって、貴族ですらありません。お嬢様こそ、そのような者にご挨拶などなさらないほうがよろしいのでは」
ヴェールで表情すらわからない、得体の知れない女に淡々と言い返され、令嬢はフンとそっぽを向いて離れていった。
歩いていく後ろ姿をじっと見て、アーユイはようやく思い出す。
「思い出した。あの声、同じ日に大聖堂で聖女の儀を受けた娘じゃないかな」
そうだ、司祭に質問をしていた少女だ。
「それはそれは」
察するに、人生で初めて自分よりも他の女が優先された瞬間だったのだろう。リーレイはただ、可哀想に、とドレスの後ろ姿を見送った。




