6-3:紅弓
十年ほど行方をくらましていた伝説の射手、紅弓のオルキスが帰ってきたという噂は、たちまち城中に広まった。
兵士でなくともその技術を一目見ようと、式典の準備中だというのに修練場には身分を問わずあらゆる人間が集まっている。
終いには国王と王妃まで覗きに来て、慌てて特等席が用意された。
「こんなに盛り上がるなら、いっそ聖女誕生式典の前座に御前試合でもするか? レン、久しぶりにどうだ」
「遠慮しておく」
軽口を叩くオリバーとレンの隣に、今日は主役ではないアーユイとロウエンも大人しく控えていた。
リーレイに至っては、そのすぐ背後にいるのに存在感すら薄い。
「オルキスが、どうして弓兵として優秀かわかりますか?」
ヴェールで観衆からは表情がわからないのを良いことに、アーユイはひそひそとロウエンに話しかける。
「え? 目が良いとかでしょうか」
「もちろんそれもあります。でも、一番は――」
瞬間、タァン! と澄んだ音がして、訓練場の端に置かれた的の中心に矢が突き立った。
「――どんな時でも平常心でいられるところです」
「……確かに、これだけ観衆がいるのに、全然緊張してないみたいですね」
今日のオルキスは、見目麗しい成人男性の姿をしている。
国王の手前きゃあきゃあとはしゃぐわけにもいかず、遠慮がちに上がったメイドたちの歓声に手を振ってウィンクし、メイドの一人がよろめいて助け起こされた。
「ところで、あれも変装なんですよね。身長まで変わるのは、どういう魔法なんです?」
「オルキスは元々小柄なんです。今日はヒールの高いブーツで底上げしています。十二センチくらいですかね」
そう言われて、ロウエンは改めてブーツに着目した。
しかし、見た目にはさほど踵があるように見えない。
「そんなブーツを履いて、弓なんか引けるんですか?」
「引けるんでしょうね、オルキスなら」
再び、タァン! という音がした。二本目の矢は一本目の矢筈を割き、めり込んでいた。
場内がざわつくのも構わず、三本目も同様に二本目の矢筈を射貫く。
続けて、台の上に並べられた十個のリンゴを連射で全て射貫き、三階から落とされ不規則に舞うハンカチを射貫き、馬に乗って的の中心を正確に捉えてみせた。
最後には剣の腕にはかなりの覚えがあるという長剣を持った第一上級騎士隊の隊員三人を、弓と短剣のみで制圧し、『弓兵はかっこいいぞ大作戦』のデモンストレーションは終わった。
「人間業じゃない」
「魔法でも使ってるんじゃないのか」
「きっと第一が油断して、手を抜いたんだ」
目の前で起きた信じられない光景に、何かインチキでもしているのではと疑う者まで出てくる始末。
「魔法を使ったら、あんなものではありませんよ」
家臣が脚光を浴び、アーユイは上機嫌だ。
自分が目立っているときはすこぶる面倒くさそうにしているというのに。
そして狙い通り、一週間もしないうちに弓兵志願者が大幅に増え、軍部でオルキスを中心とした弓兵隊を新設してはどうかという議題が増えたことは言うまでもない。
***
大立ち回りの後、アーユイとオルキスはロウエンに誘われ、王族居住地にあるテラスで休憩していた。
国を回すために忙しなく動き回っている表と違い、あくまでも生活区であるこちらは静かなものだ。
「グレイス家は、どうしてアインビルド家に仕えているんですか?」
アインビルドは代々首都貴族だが、グレイス家の実家は普段、北部にある小さな領地を治めている。
アインビルドの家臣だとは、殆ど知られていないはずだ。
「起源がいつだったのかは、もはや誰も知りません。『エンネアの影』が生まれた時からそうだったとしか。ただ、僕が今のアインビルドに仕えているのは、僕自身が仕えるに値すると思っているからです」
当人を目の前にしても臆することなく、オルキスははっきりと答えた。
「レン様もアーユイお嬢様も、部下思いでとても優れたお人柄をしておられますし……」
それから、にやっと笑い。
「何よりとてもお強いですからね! 惚れてしまったのですよ!」
「オルキスのほうが私よりも強いじゃないか」
「それは弓に限った話です。レン様やお嬢様は、総合的に高水準な『なんでも屋』ですから! それに、変装術も興味を持って聞いてくださるので、教え甲斐があります」
オルキスの変装術は、元は趣味だったという。
気味が悪いと敬遠する者、好き好んで女や老人の格好をするなんてと嘲笑する者も多い中、価値を見出してくれたレン、そして良い意味で面白がってくれるアーユイの存在は、彼にとって一種の救いでもあった。
「お嬢様が結婚してお世継ぎが生まれたら、息子にも自分の意思でアインビルド家に仕えるかどうか、選ばせるつもりです。もちろん、お嬢様のお子様ならきっと素晴らしい方になるでしょうし、選ぶことを許してくださるところも含めて、アインビルド家は仕えるに値すると思っています」
そう言って美味しそうにお茶を飲むオルキスの話を聞いているふりをしながら、アーユイもいつか子供を、と考えてしまい、ロウエンは静かに動揺していた。




