5-3:敵襲
市民一同に惜しまれながら盛大な見送りを受け、聖女一行はシーラを発った。
「ということで、早速試してみよう」
馬車に乗り込んだアーユイの手には、陶器のカップがある。朝作り置きし、すっかり冷めた茶が入っていた。
両手で包み、温まるよう願いながらじっと見守ると、
「おお」
その手にじんわりと温かさが伝わってきた。
「こんなものかな」
しっかり握るには少々熱い、というくらいになったところで、リーレイに渡した。
「本当です。湯気が立っています」
さすがのリーレイも、目を丸くしていた。
「フィーゴ神と言えば、北方での信仰が盛んな神ですね」
「ああ。寒い地域では、火はまさに命を司る存在だろうから」
エンネアは比較的温暖な地域にあるが、北に位置するトリーという国では、ピュクシス神よりも強く信仰されていると聞く。
「……ますます、お嬢様が人間離れしていきますね」
「うーん、なるようにしかならないさ」
アーユイ自身、ははは、と乾いた声で笑うしかなかった。
***
復路は町ごとの教会に寄っていくため、往路よりも時間が掛かる。行く町行く町で歓待され、握手を求められ、夜は時々抜け出し、半月ほど掛けてエンネストに戻る予定だ。
そうなるともちろん、行きの道では通らなかった小さな町や、見晴らしの悪い場所を通ることもある。
一週間が過ぎ、懐かしい首都まであと半分という頃のことだった。
『聖女様。敵襲です』
ロウエンから、そんな伝達が入った。カーテンから少し覗くと、森の木々の間に複数の人影。
『何だと思いますか』
「私狙いでしょうね。優秀なエンネアの軍部なら、聖女が通るルートに元からいる賊は予め潰しているでしょうし」
何なら、アインビルドが請け負っているかもしれないくらいだ。
『僕もそう思います。どうしますか?』
「念のため着替えておきます。必要なら呼んでください」
『了解です』
それからすぐに、外で交戦が始まった。
「司祭様」
『はっ、こ、これは、聖女様!?』
伝達魔法で別の馬車に乗っている司祭を呼ぶと、案の定声が震えていた。
「ご無事のようですね。騎士隊の方が良いと言うまで窓を覗いたりせず、なるべく低く伏せておいてください」
『わかりました。お気遣い感謝いたします』
この一行の中で一番戦慣れしていない司祭を落ち着かせ、ついでに窓の外を見ないよう言い含める。騎士の隊服に着替え、合図を待った。
『侍女さん。馬を守れる?』
「仰せのままに」
短い伝達と共に即座に馬車から飛び出し、アーユイは前方へ駆ける。
各地で名産品など貰って荷物も増えており、ここで馬を潰されるのは厳しい。
最悪亜空間か転送の出番だが、アーユイは騎士隊にも手の内をなるべく晒さないつもりだった。
「シッ」
途中の町で護身用にこっそり調達してもらった短剣が光る。
突如現れた新手の騎士に、覆面の男は跳び下がった。
「何だこいつら、双子か?」
アーユイはリーレイと共に馬の前に立つ。御者には馬を落ち着けることに専念してもらわねばならない。
「随分若いな。帯刀もしてないし、見習いじゃないか?」
くぐもった声の男二人を見据えてから、アーユイはリーレイに、目で合図した。
「御免あそばせ」
次の瞬間、リーレイは男の背後にいた。
女の声に驚き、男たちの気が一瞬逸れたたのを、アーユイは見逃さなかった。
見事に首を掻き斬られて絶命している二人の男の遺体と、短刀を手にして顔にべったりと他人の血が付いている二人の騎士に、騎士隊はドン引きしていた。
「怪我をした方はいますか。軽い打撲や擦り傷でも、この際ですから申告してください」
自分は一切怪我などしていないことが明らかな血塗れのアーユイを見て、きらきらと目を輝かせているのはロウエンだけだった。
「まだ生きている者がいれば、少し話がしたいのですが」
「わかった」
ロウエンが素直に応じ、縛られている数人の元へ案内した。いずれも、すでに覆面は剥がされている。
中でも一番傷が少なく、意識を保っている男の前にアーユイが屈み、視線を合わせる。
首筋に手を当て、じろじろと容赦なく顔や衣服を観察した。
「肌の色や暗器の形から見て、西の方……。ヘプタの者でしょうか」
脈が少しだけ速くなり、男の瞳孔が一瞬動いた。
「当たりのようです」
アーユイはさらりと言う。
「ボスは誰です? この短期間で聖女を攫う算段を立てたということは、首都に潜り込んでいますね?」
しかし男は答えない。かわりに、
「ぎゃあっ!?」
森の中に悲鳴が響いた。男の腿に深々と短剣が刺さっていた。
「もう一度お訊ねします。貴方のボスの名前は?」
男は奥歯を噛みしめ、脂汗を浮かべながら激痛に耐える。
その様子を、アーユイは表情ひとつ変えずにじっと見る。
「……いい忠誠心です。ここでは拷問具も調達できませんし、後は専門の者に任せます」
あっさりと諦めると、ひょいと短剣を抜き血振るいした。剣が抜ける際に再び男が悲鳴を上げた。
「貴方にはこれでじゅうぶんです」
そして傷口に手を翳すと、じゅっ、と嫌な音と臭いがして、三度男が叫ぶ。
いわゆる焼灼止血法という奴だ。若い騎士が数人顔を背けた。
「私だ。聖女を狙った賊を数名送りたい。空いている部屋はあるか。……わかった。転送後、確認ができ次第連絡を。詳細は父に話しておく」
事務的な伝達をする姿に恐れ慄き震える男たちを、興味を失った顔で見下ろし、アーユイは告げた。
「今日は良い天気ですね。空は十分に拝みましたか?」
――後に口を割った男は言う。いっそ神々しいほどに美しい騎士だったと。




