5-2:胆力
大司教と話し合った結果、聖女は本日まで参拝者とふれ合い、明日の昼にシーラを発つということになった。
噂を聞きつけたが初日には間に合わなかった信徒がかわるがわる訪れ、聖堂は昨日よりも更に盛況だ。
「最近、川の水をそのまま飲んだことは。面倒でも必ず煮沸してください」
「古い小麦粉を使いませんでしたか? おそらく虫が湧いています。すぐに捨ててください。今後も、湿気の多い季節を過ぎた小麦粉は料理に使わないように」
アーユイは治癒を求めて訪れる者の症状から、彼らの行動を言い当てていく。
彼女にとっては、毒として使えるものは何でも知識の範囲内であったが、医者でもない若い少女が次々と診断していく様は、信徒が見ればまさに奇跡のようだった。
「今私が治しても、同じことをしたらまた同じ病気になる可能性があります。今日言ったことは、今後も守ってください。周りの方にも伝えてください」
予防できる病については、優しい口調で必ずそう言い添える。
信徒たちは、医者が言うよりも真剣に頷き聞いていた。
しかし人が増えれば、よからぬ輩も増える。
「聖女様、ここの調子がどうにも悪くて……」
酒臭い男が鼻の下を伸ばし、握手した手を下半身に持っていこうとする。
「お前!」
騎士隊が即座に引き離そうとしたが、アーユイはあろうことか、自分の手を掴んだままの男を自分のほうに引き寄せた。
「ぴっ」
奇妙な悲鳴と共に、男は股を押さえてその場に崩れ落ちる。
「あら、大変。どうなさいました?」
大半の者は、男が勝手に倒れたようにしか見えなかったはずだ。しかし、
「酒の飲み過ぎでしょう。聖女様はお気になさらず」
側にいたロウエンは見ていた。暗殺姫の強烈な膝蹴りが、布の多い装束に隠れて男の股間に一瞬めり込んだことを。
「そうですか。お大事になさって」
外に放り出される男にしおらしく手を振るアーユイの姿に、同じ内臓を持つ者として背中が寒くなるロウエンだった。
聖堂が閉まると、司祭がアーユイたちを呼んだ。
「ぜひ、見て頂きたいものがあるのです」
そう言って通されたのは、先日夕食を取る際に使わせてもらった通路だった。小部屋を抜け、地上へ向かう。
「あちらです」
「わあ!」
ロウエンが思わず歓声を上げる。
誇らしげな司祭が手で示した先にあったのは、夕日に赤く染まったシーラの街だった。
「これは……、見事だ」
隊長も思わず息を漏らす。
ピュクシス像も、周りの山も、遠くに見える農耕地帯も全てが温かい色に包まれ、平野に流れ行く川はきらきらと輝いていた。
「私はこの景色が大好きなんです。ぜひ聖女様たちにも見ていただきたいと思い、大司教様にわがままを」
恐縮する司祭。
「わがままなどではありません。私も、この景色が見られて良かったと思います」
アーユイは、司祭に微笑んだ。それは心からの言葉だった。
日が落ちるまでの短い間、景色を眺め、宿に戻りながらアーユイはぼそりと言う。
「……いろんなことが片付いたら、本当に教会預かりになってシーラに定住するのも悪くないかもしれません」
「聖女様!?」
「冗談です」
ふふ、と笑い、アーユイは肩を揺らす。
神に愛されすぎたこの少女に勝てる者など、世界にはもはやいないだろう。騎士たちは肩を落とすのだった。
***
いつかの真っ白な空間に、アーユイは立っていた。
「アーユイちゃん!」
美しい金髪の神がすぐに駆け寄ってくる。
「ピュクシス様。どうなさいましたか」
「うふふ、急に呼んでも全然動じないところも、好き!」
きゅっと抱きしめるピュクシス。
「ありがとうございます」
しばらく誰かに抱きしめられるということがなかったアーユイは、母のことを少し思い出した。
それから前回と同じようにソファを勧められ、また手探りで形を見極めながら座る。
「この前言ってたじゃない。部下の神を紹介するって」
「ああ、はい」
「それで、ぜひ会いたいって都合を付けてくれた子がいたから、紹介しようと思って。出てらっしゃい!」
笑顔のピュクシスが声を掛けると、ボッという音と共に、何もない空間から人影が現れた。
「炎神フィーゴ。ピュクシス神の愛し子に、火の祝福を授けよう」
腕を組みアーユイを見下ろすのは、燃え盛る赤い髪を持つ、色黒の男性神だった。
「お初にお目に掛かります、フィーゴ様。アーユイと申します」
立ち上がり、一礼するアーユイ。
するとフィーゴは意外そうな顔をした後、がははと笑った。
「良いな! その豪胆さ、気に入った!」
「でしょう?」
二柱は急に盛り上がった。
どうやら、筋骨隆々の大男が突然現れても一切怯える様子がなかったところが評価されたらしい。
「アーユイ、困ったことがあれば我を呼べ。この怠け神と違って、俺はいつでもお前に応えてやろう」
「あら失礼ね。怠けてるんじゃなくて、節度を持って接してるだけよ」
「扇と光る棒を持ってきゃあきゃあ叫んでる奴の、どこに節度があるって?」
「ホントはずっとアーユイちゃんの側にいたいのを、見守るだけにしてるのよ! 十分節度があると思わない? ねえ、アーユイちゃん」
「は、はあ」
光る棒って何だろう、と思いながら二柱の口喧嘩を聞き流していたアーユイだったが、急に話題を振られて曖昧に相づちを打つ。
「まあ良い。今後は火の魔法も、アーユイの思うままに使えることだろう。薪でも国でも、好きなものを燃やすがいい」
「オススメは、お湯を沸かしたり、冷めたご飯を温めたりする時かなっ」
ピュクシスが口を出す。
「それは便利ですね」
燃やすと言われるとピンと来なかったが、温めるというのであれば大変使い勝手が良い。
「……確かに、民には竈神と言われることもあるが」
アーユイの反応に、フィーゴは少々腑に落ちない様子だった。一応、最大でどれくらいの火力が出せるか、戦ではどんな使い方ができるかなどもレクチャーしてきたが、
「アーユイちゃんはね、戦争なんか望んでないのよ」
ピュクシスに窘められ、フィーゴはぐぬぬ、と唸った。




