39 寒い日常
今日も雪が降る。
時折止みながら、ちらほらと弱いものであれどこれだけ雪模様が続くと、王都の冬も佳境の証拠。外に出て地を踏みしめると、白い地面に足跡がつく。
「寒いー」
外から入ってきたマリーは白い息と共に、外の体感を端的に表す表情、身震い、声。
「お疲れ様、マリー」
「お疲れ、アリアス。あぁなんか外とは段違いぃ」
温室の中は、冷えきった体で入ってきても仄かに暖かいと感じる。
入ってきた同僚に気がついて立ち上がったアリアスの手元には小さな篭がある。中にはほとんどの緑の失せてしまうこの季節には鮮やかな緑の葉がある。
足元には緑の葉の正体、薬草が並び生えている。
アリアスや他の治療専門の魔法師が数名いる温室は、庭園を模し、冬場でも花を育てている温室とは別。冬場でも必要な薬草を育てるための医務室専用の温室である。そのため広がる光景に、華やかな要素は徹底的に欠け、種類によって微妙に色や形は違う薬草だけが育てられている些か地味な光景が広がる。
「というか、手があああぁ。アリアス、手を握って欲しい! 切実に!」
「え、はい」
勢いよく手を伸ばされた。アリアスは摘み取って手に持ったままだった薬草を篭の中に入れて、言われるままに手をぎゅっと握る。
握った手からは度を越えた冷たさが伝わってくるから、氷のように冷えた手を、包み込むようにする。
「お疲れ様。冷たかったよね」
「うん!」
なぜ冷たいのか分かったから、もう一度お疲れ様と言っていた。
季節を問わず洗濯仕事がある。医務室のシーツ類は必ず医務室で。
どれだけ慣れていても冷たいものは冷たいから、気温の低さもここまで来た時期、ますます辛くなる仕事は洗濯仕事だろう。当番制で誰もに順にその役目が来るけれど、赤くなった手を見るのは思い出してしまうというもの。
「温かーい。ありがと、アリアス」
しばらくそうした後、手を握り開きしながらマリーが笑顔を弾けさせ、アリアスも笑った。
「よーし、手も復活したから頑張る!」
置かれていた篭を取ったマリーは薬草畑へ駆けていった。
「あら、マリー?」
「うん、洗濯が終わったみたい。イレーナ、葉っぱついてる」
背の高い木に近い植物が育てられている方から出てきたイレーナはリボンで結った髪に葉がついており、アリアスは髪を乱さないように摘まんでとっておく。
「イレーナ、どうかした?」
イレーナがじっと見ていることに首をかしげる。
「夜番明けよね?」
「うん……?」
「顔色は悪くないわね」
「うん。どうして?」
「最近竜の方へ行くことが多くて、そのせいか疲れている感じがしていたから。寝不足かしらとも思っていたの」
「そ、う?」
「そう」
緑色の瞳に覗き込まれて、頷かれる。
何だか……。
「……イレーナには、最近心配ばかりされてる気がする」
「仕方ないじゃない。流行り病のとき、帰って来たと思ったら熱を出してからこちら『奇病』にもかかるし、少し前から顔色も悪く見えていたんだもの。アリアスは今年は悪いものでも憑いているみたいに特別大変な年だから、疲れついでに風邪を引いてもおかしくはないわ」
言って、イレーナは肩をすくめてみせる。
確かに流行り病のときに医務室送りになり、実は違うのだが『奇病』にかかった。……という数ヶ月の中で起こった流れを聞くと、妙な年であるように思えるかもしれない。
「薬草茶でも作る? 叔母さまのレシピを知っているわよ」
同い年であるはずのイレーナがすこぶる母親を感じさせる様子である。
とはいえ、薬草茶の話はお茶目な面が覗いていたので、アリアスは「今さら風邪になんて負けないよ」と笑って、薬草畑へ戻った。
数時間後外に出ると、雪がすぐに頭に落ちてきた。
「昼休みー! 温かいスープが飲ーみたいなー」
マリーが弾んだ足取りで駆け出し、いまいちよく分からない音調で歌った。たぶん彼女のオリジナル。
「マリーの元気さはいつでも変わらないわね」
「えへへ」
「褒めてはいるけれど、そんなに褒めてはいないわ」
摘んだ薬草をまとめて手に、騎士団の医務室へと戻る道は、ゆっくりと降ってくる雪では隠しきれていない足跡が幾つもついている。その上を、アリアスたちも行く。
「雪だるま作れるくらいには積もらないねぇ」
「そういえば、そうだね」
王都に雪遊びが出来るほどの雪が積もったところを見たことがない。マリー風に言うなら、小さな雪だるまくらいは作れるかなというくらい。それも頑張りに頑張ってかき集めたらという話。積もっている量は一掬いどころか指でなぞれば地面が覗くくらいなのだ。
「いっそそれくらい積もってくれたら寒いのもちょっとは許せる気がするのに!」
「それでもちょっとなのね。それに嫌よ、雪は冷たいもの」
「楽しいじゃん」
「遊ぶ時間があればね。わたしは雪遊びする時間があるのなら、中で温まるけれど」
「子どものときを思い出してよ!」
「わたし、雪遊びはした覚えがないわ」
イレーナは伯爵家の令嬢である。
「ええー、雪だるまとか作らなかった?」
マリーはアリアスと同じように、小さな町の一般家庭で生まれ育った。妹弟が多いので、雪が積もると必ず雪遊びをしたのだという。
魔法師の面白いところは、身分が関係ないためにこうして実は貴族出身と平民出身が同等の立ち位置にあること。学校を経ている内に、学校の方針もあるのだろう、互いに身分意識はほぼなくなるといってもいい。卒業後も職場が同じ、宿舎も同じとなることが多いので、時々立ち居振舞い話に齟齬が出るくらい。そのときもそうだったな、となるだけ。
「私は作った覚えあるな……」
「何段派!?」
「何段?」
「あたし限界まで挑戦したなぁ!」
「それは雪だるまなの……?」
しかしアリアスの雪だるまも雪遊びの経験も幼い時の記憶までだ。
王都、城に来てからはない。このような気候である。
その代わりに、小さな頃は雪が降って寒い中でもフレデリックに連れ出されて走り回っていた覚えがある。互いに子どもであったときから見ても、元気の塊のような子どもだったのだ、あの王子様は。彼が遊学中の国にはどれほどの雪が降るのだろう。
「学園も王都だったからそういえば作る機会なかったもんねぇ。イレーナは一回作ってみるべき!」
「冷たいじゃない」
「楽しいよ!」
マリーがイレーナに熱弁する会話が、同じような会話に戻っていると気がついたものの、アリアスは口には出さなかった。
「まあ王都の冬は短いし、それが救いかなぁ。あ、寒さがましになってきたら『武術大会』だよね!」
「そっか、もうすぐだね」
雪が止み、しかしまだ寒さが残る頃に開催される『武術大会』、その後には春爛漫の頃に春の訪れを祝う『春の宴』がある。
秋から冬にかけ、彩りに欠けていた季節を補い吹き飛ばすかのように行われるそれら。
「『武術大会』はわたしたち裏方をするじゃない」
「まだ詳しい話は聞いていないけど、たぶん学園の模擬戦と同じようなことをするんだよね」
「それは近くで見れるっていうことでもあるんだよ!!」
マリーはとても前向きである。
「お城に勤められていいことって、今まで見られなかったもの見られることだってあたし思うんだよね!」
「否定はしないわ」
「『武術大会』なんてさぁ――」
嬉々として目をきらきらとさせてマリーが喋る、喋る。楽しみにしている度合いが手に取るように分かる。
「……見られる位置にいられればそうでしょうけど……」
「……うん」
その可能性は見込めるのかどうか。
『武術大会』の裏方をすることは知っていても、それは今のところ人づての前以て持っているだけの情報に過ぎない。詳細は正式に降りてきていないこともあり、どのような場所でどのくらいの治療専門の魔法師が配置されるのかは不明。
ただ学園のときにあった騎士科の模擬戦でも裏方の怪我の治療要員として医療科の生徒が待機していた。待機場所は奥の待機位置ともなると模擬戦の喧騒が聞こえるだけの場所だった。
それを考え合わせてみると……。
期待に満ち溢れているマリーの弾んだ話し声を側に、アリアスとイレーナはちらと互いに目を合わせて、口を開くことはしなかった。
「想像しただけですごいよね、寒さなんて吹き飛んじゃう! ね! アリアス!」
「う、うん」
寒いものは寒いけれど、勢いに押されて頷くことが精一杯。
どっちかと言うとマリーの元気の良さで雪が吹き飛んでしまいそうな――
「ねえアリアス」
「何?」
袖を引かれてなぜか囁く小ささの声は隣のイレーナのもの。アリアスはこっそり呼びかけられて首をかしげる。
「あそこにいらっしゃるの、アリアスのお師匠さまじゃない?」
「え?」
イレーナが見ている方向を見ると、静かに降る雪のように、音もなく誰かが立っている。
長く流れる漆黒の髪一つで、ジオで間違いはなかった。




