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花咲くとき、騎士は請う  作者: 久浪
『王家の秘密と逃亡者』編
125/246

9 否定



 師の部屋は暗かった。

 窓にはカーテンが引かれ灯りはひとつもついておらず、一見すると部屋の持ち主も誰もいないように思われる。


 けれどもノックもせずに入ってきたアリアスに暗い中にいた部屋の主がすぐに気がついた証、部屋にあるろうそくのいくつかに火が灯り室内を照らす。隅には薄暗さをわずかばかりに残す室内に、入ったところで止まるアリアスはなぜか心の隅でほっとした。

 室内には執務机についている師に顔を上げることなく静かに問うてこられる。


「なぜここにいる。ルーには会ったのか」

「……いいえ」

「そうだろうな、会ったのならお前を部屋から出すどころかベッドから下ろすはずがない」

「……」


 朧気な記憶、しかし泣いていた兄弟子を見た。

 彼にゼロに言ったことと同じことを言えばどんな顔をするのか、また辛そうな顔をさせてしまうのだろうか。


「どうした」

「……」


 どうしたのだろうかアリアスは自分でも分からず、何のために師の部屋に来たというものが明確にない。だからアリアスは問われても答えられなかった。


「何を見た」




 形の変えられた問いにもしばらく沈黙を置き、しばらくしてアリアスはわずかに口を開く。師にしか確かめられないことがある。


「師匠……サイラス様の、側には魔族がいるんですか?」

「いない」


 残酷な即答だった。


 確かにアリアスが自分の目で見た光景があった。

 視界が閉ざされる寸前サイラスのはしばみ色であるはずの目が、目に赤の光彩が薄く過ったのだ。あれは血か、違う。目の錯覚であれと何度否定するしかなかったろう。

 目を閉ざしても閉ざさなくても、瞼の裏に頭の中に甦る色。前に見たことのある色。人が持たない色彩で、すぐに消えたのに分かったのはそれゆえだ。


 それよりももっと焼けついて離れないのははしばみ色に滲んだ――呆然とした、哀しげな、またかというような。全く知らないサイラスに恐れを抱いて倒れていくときのことで、一度サイラスに()()()と思ったのは……錯覚であれと思っても違う何かに突き動かされたのであってほしいと願っているからだろうか。かき集めた違和感を信じたくて、だからゼロにもああいう風に言った。

 人であるのに赤い色の過る瞳を見たことがあったからきっとそうだと思い願ったのに、そうだというのに師は否定した。

 別の存在がいたわけではない、と。


「でも、サイラス様の目の色が確かに……」

「赤くでもなったか」


 聞き返されるが確固たる自信は最初からない、あのようなアリアス自身のことに起きたことでさえとっさに理解できなかった状況だったのだから。大半を占めているのは望み、見たものは断言できるかと言われれば頷きに迷いを覚えるアリアスは唇を噛んだ。


「サイラス=アイゼンと言ったか、それは」

「……はい」

「俺も以前にもその子どもには会ったことがあった。おそらく」

「おそらく、ですか」

「仕方がないだろう、そんなに一々覚えていない。それに覚えていないということはそれほど会ったことはないということだろう。引っかかるものもなかったということにもなる――かつては」


 静かにつけ加えられた。


「お前が襲われた後に見たあれは不可解極まりないものだった」


 ジオがそのときはじめて顔を上げ、続ける。アリアスの記憶がない後師が来たということなのだろうか、「襲われた後」、そう見えたことがまた胸を締めつける。


「しかし力を貸している魔族は側にいない。魔族とも思えない」


 再度否定するジオの言はどこか考えをまとめきれていない、今整理して話しているように聞こえる。


「まるで――」


 何かを思い出すように宙を探る目。アリアスにも向けられた目は、すぐにどこかに逸れる。


「曖昧な……」


 魔族であるという師は何を感じ、何を考えているのだろう。しかしながら師にも結論が出ていないことはその様子で分かった。


 寝不足だと言いくまができて、まるで具合が悪そうだったサイラス。彼自身が魔法を放ったことは事実でも彼自身の意思でなければいい。けれど魔族が側にいるのではなく、そもそも側にいたとしても力を借りるには彼自身の意志が関係するのではないだろうか。でもやっぱり――。

 疑問が絶えず生まれ増え続けて、頭の中を処理しきれないくらいに満たしてもひとつとして消化されずどこまでも「かもしれない」「そうであればいい」でしかない。

 本人はいないのだから。


 だから誰にも何も正確には掴めていないのだ。


「サイラス様は、どこに」

「分からん。消えた」


 この城から、王都からもだろうか。

 半ば予想していた答えが返ってきた。姿を消した、そういえば前に城を王都を出たいと言っていたような気が……。


「アリアス」


 絡まった思考をもて余して過去のことを思い出してしまっていたアリアスは呼ばれてゆっくりと、無意識に下げかけていた顔を上げた。

 ジオが紫の瞳をアリアスに向けていた。


「考えるな」

「……そんなに簡単に、」

「出来ないか。だがどうせお前の中で答えは出んだろう」

「……」

「それからお前はしばらく安静だ、ベッドで大人しくしていろ」

「……でも」

「ベッドにいるのが嫌なら俺の手伝いでもしておけ」


 正式な魔法師となる前と同じように。

 言われた通り、アリアスはきっとベッドでじっとしてはいられないと思う。それはそうだが、それに。


「私は、仕事には」

「俺が許可しない。誤魔化しておいてやるから従え」


 有無を言わせない師はこれ以上は取り合わない、と言う代わりみたいにアリアスから顔を逸らした。


「腹の傷は一度では治さなかっただけでレルルカが直に塞ぐ」


 他に何も問うことはなくなり立ち尽くすアリアスに、顔を下に向けて机の上の書類か何かに目を向けている状態でジオはつけ加えた。

 腹部で痛みを訴えてくる傷はどうも今より酷かったようだ。やはり、と言うべきか。死ぬところだったと言われたから。レルルカが治療してくれていたのだということをそのときアリアスは知った。


「部屋に飛ばすぞ、ルーに心配させたくないだろう」




 *





 言葉通りに魔法で部屋に戻され、戻ってきた位置から動かずに、動く意志が生まれずアリアスは立ったままだった。


 塔の部屋。定期的に掃除しているものだから埃など目立った汚れはなく、生活をする中心は宿舎へと移ったために生活感はあまりなくなってしまった感じもある部屋。

 しかし、起き上がってそのままにしてきたためにベッドの上は毛布が乱れている。それだけでも、それに加えて服装感覚甦る記憶全てで、全部が現実だと知らしめられているみたいだ。



 何から、何から整理すれば良いのだろうか。未だ突如渦の中に巻き込まれた、否、放り込まれたみたいに思考は無駄にぐるぐるとぐちゃぐちゃとなっているのに何ひとつとして上手く整理できない。

 先ほど師と話した結果、何も憂いは晴れずむしろ突き詰めていくと悪い考えしか浮かばないような気がする。もう、生まれているのかもしれない。


 頭の中はサイラスのことと、「怒っていた」ゼロのことでいっぱいだった。アリアスは受け止められても理解してもいない何かに耐えたくてぎゅ、と胸元で手を握って目を強く閉じた。


 それで現実がなくなるわけでもないのに。








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