表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/52

第37話 悪役貴族と、騎士団長の過去

 ブリジットは、武名を馳せるフィエリテ侯爵家の末子として生を享けた。

 戦場で武勲を立て爵位を授かった先祖から、代々受け継がれる騎士の精神。それがフィエリテの誇りである。 

 三人の兄はいずれも騎士として戦場を駆けることを期待され、文武に励んでいた。

 だが、ブリジットに求められたものは、兄達とはまるで違った。


『お前に剣は必要ない』


 それが父の口癖だった。

 兄達が汗とまみれて訓練に励む一方、ブリジットはいつも遠くから眺めるだけ。

 堪えきれず、剣を学ぼうと何度も訓練場に踏み入った。そのたび、激昂した父に放り出された。


『剣は遊びではない!』


 兄妹の中で自分だけが仲間外れなのだと、枕を濡らした夜は数知れない。

 母は優しく抱きしめてくれたが、言葉は救いにはならなかった。


『あなたは剣など握らなくてもよいの。女はいずれは誰かの妻となり、家と家を繋ぐ橋となるのよ。それが女に与えられた役目であり、誇りなのだから』


 やがて反発を募らせた彼女は、誰にも頼らず一人で剣技を磨き始めた。

 木の枝を剣に見立てて振れば、兄達は『真似事だ』と笑い、父は渋い顔をし、母は困ったように首を振った。


「わたしが何を望もうと、家門にとって女児は駒にすぎなかった」

「駒?」

「政略結婚の、な」


 幼い心に意地が芽生えた。否定されるほど、剣に執着した。

 毎夜、家が寝静まった後の庭で黙々と木剣を振るう。掌に豆ができ、血が滲もうとやめなかった。

 剣を握れば、望む自分になれる気がした。強くなれば、認めてもらえると信じていた。


 それでも現実は変わらない。

 朝には母に飾り帯を結ばれ、貴族の娘としての礼儀作法を仕込まれる。

 稽古場に入り込んだことが知られれば、父に叱責された。


『無駄なことをするな。自分の役割を果たせ』


 そんな言葉を浴びるたび、反発の炎は一段と燃え盛った。


「わたしは、幼心にこう思っていた。剣で自分の価値を証明してみせる。誰に否定されても剣を諦めたりはしない、と」

「騎士団長様は、子どもの頃からお強かったのですね」

「いや、強さなどではない。今にして思えば、子どもの我儘にすぎなかった。だが……その拙い意地を本物の覚悟に変えてくれたのが、マルスだった」


 ブリジットが七つの頃、父は『将来のため』と言ってある貴族を屋敷に招いた。

 バレンタイン伯爵。魔術の分野では他の追随を許さぬ聖国でも指折りの名門。その嫡男こそブリジットの婚約者候補だった。


 侯爵家と伯爵家。血筋と権勢を結びつけるには申し分のない縁談。

 父は縁組を強く望み、母もまた娘にとって最善の道であると信じていた。


「婚約者だったのですか」

「候補だ。結局、縁談は流れた」

「なぜ……?」


 その日。陽光が差し込む部屋で、ブリジットは母に髪を結われ飾り帯を締められた。窮屈なドレスが体を締め付ける。


『今日、あなたは将来の伴侶に会うのよ。剣の事など忘れて、淑女らしく振る舞いなさい』


 嗜めるように言った母は、ブリジットに小箱をひとつ手渡す。その中には、精緻な細工が施された鈴が収められていた。

 いわゆるエンゲージ・ベルである。

 聖国では、婚約の際に鈴を贈り合う文化が根付いている。鈴は女神レガリアの象徴であり、それを贈る行為は女神への誓いを示すものであった。


 ブリジットにとってその鈴は、自らを貴族令嬢という檻に閉じ込める錠にも等しい。

 憂鬱を抱えたまま屋敷の庭で来客を待つ。整えられた花壇と噴水のきらめく庭園は、夜な夜な剣の稽古する場所。

 やがて執事の声が響く。


『バレンタイン伯爵とご子息がご到着されました』


 庭のアーチをくぐり、バレンタイン伯爵に続いて現れた少年に、ブリジットの視線は釘付けになった。

 淡い灰色の髪が陽光に透け、同色の瞳がこちらを見据えている。子どもには似つかわしくない静謐さが宿り、その眼差しに射抜かれた瞬間、胸が跳ねた。

 灰の瞳は冷たく研ぎ澄まされ、まるで名剣のように鋭い。


「マルスの第一印象だ。あの時の姿は、今でも忘れられない」

「……今の彼からは想像もできません。お調子者ではなかったのですか?」

「まったく違う。幼き日のマルスは、夜の大海のような、静かで底知れぬ雰囲気を纏う男子だった」


 父母と伯爵が社交の挨拶を交わす間、ブリジットはマルスから目が離せなかった。

 彼は伯爵の傍でじっと佇んでいるだけで、少年の無邪気さとは無縁。同じ歳だというのに、この落ち着きようは一体なんなのか。

 ブリジットは自身の未熟を突きつけられているように感じて、大人達の会話を遮るように口を開いた。


『申し訳ございませんが、婚約は致しません。わたしは、騎士になりたいのです!』


 庭の空気が凍りつく。

 小鳥のさえずりすら遠くに消え、誰もが言葉を失った。

 父の眉間には深い皺が刻まれ、母は蒼ざめた顔で口元を押さえている。兄達は嘲るような視線を投げかけ、客人である伯爵すら口を噤んでいた。

 その中においてマルスだけは驚きもせず、ブリジットの前に歩み出た。


『騎士に?』

『はい! 兄さま達と同じように剣を振るいたいのです!』

『剣を握ったことは?』

『あります。兄達の稽古を手本に、毎日……』


 言葉が途切れる。兄の嘲笑が背中に突き刺さった。

 だがマルスは笑わなかった。むしろ、その瞳にわずかな好奇を宿す。


『フィエリテ侯爵。私もすこしばかり剣を嗜みます。レディ・ブリジットとの手合わせをお許しいただけませんか』


 父は驚いた顔をしたが、これを機に娘が剣を諦めてくれることを期待し、手合わせを快諾した。


「そんな……! 七歳の子どもが手合わせだなんて」

「兄達は三つの時から家門の騎士と打ち合っていた。七つでは遅いくらいだ」


 ブリジットが兄のお下がりの訓練着に着替えて戻ってくると、場にいた使用人の注目が一斉に集まった。

 整えられた庭の一画。花壇の脇に広がる芝生が、即席の決闘場となる。

 母は蒼白な顔で必死に止めようとしたが、父の『良い機会だ』の一言で押し切られた。兄達は面白がるように腕を組む。


 マルスとブリジットは、侯爵家の騎士から訓練用の木剣を借りていた。

 柄を握った瞬間、手のひらがひりつく。積み重ねてきた独り稽古の夜が、勇気を与えてくれる。


『今こそ証明します! わたしは、兄さま達と同じ場所に立てると!』


 対するマルスは灰色の髪を風に揺らし、静かに構えていた。


『はじめっ!』


 騎士の号令がかかった瞬間、ブリジットは跳ねるように踏み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ