第36話 悪役貴族、のメイドが行く!
村はずれの草地に、騎士団の小さな野営地ができつつあった。円を描くように立てられた天幕、干した手綱、湯気を上げる携帯鍋。朝の冷気に焚き火の香りが混じる。
まだ朝露の残る地面を踏みしめながら、エリシアはその場所を訪れた。見張りの騎士を前にするだけで、その威圧感に胸の鼓動が速まるばかり。
「用件を」
「騎士団長様に、忘れ物をお届けに」
「ご苦労。ここで預かろう」
「恐れながら、主人より直接お渡しするよう仰せつかっております」
騎士は訝しんだが、年端もいかぬメイドを脅威とは見なさなかったようだ。
彼が合図を送ると、天幕の前で指揮を執っていたブリジットがこちらに向いた。漆黒の長髪が風に揺れ、佩剣の鈴が澄んだ音を鳴らす。
彼女は近くの部下に何事か囁くと、まっすぐにこちらへ歩み出す。ブーツの足音は驚くほど静かだ。
「そなた。エリシア、だったな」
低く澄んだ声。
エリシアは慌てて一礼する。
「はい。団長様のマントを届けに参りました」
「気を遣わせた。礼を言う」
外套を受け取ると、ブリジットは目線で天幕を示した。
「先ほどはすまなかった。すこし中で話したい。よいか?」
エリシアは首肯する。願ってもない提案だった。促されるまま、ブリジットの背中に従う。
天幕の垂れ布を払って一歩踏み入れると、外よりもわずかに温かな空気が頬を撫でた。香炉と革の匂いが混ざる空間に、簡素な卓と二脚の椅子が並んでいる。
「座ってくれ」
そう言って、ブリジットは自らも椅子に落ち着いた。佩剣の鈴が、張り詰めた空気を飾る。
「マルスは壮健であったな」
「強がっているだけです。深い傷なのに」
「そういう男なのだろうよ」
おかしそうに笑んだ口元に、意外なあどけなさが覗く。
「つかぬことを聞くが、そなた歳はいくつだ?」
「先月、十七になりました」
「おお、そうか」
ぱっと表情を明るくするブリジット。
「ところでわたしはいくつに見える? いやな、いつも実年齢より上に見られるものだから、多少なりとも気にしているのだ」
エリシアはいささか面食らった。質問の内容にではない。ブリジットのフランクな物言いにだ。騎士団長という肩書から、もっと堅苦しい女性であると思っていた。
エリシアはすこし心を和ませながら、姉達の姿を思い返す。ブリジットの威厳、落ちついた佇まいは、二十代半ばの長姉よりも大人びて見えた。
「二十二か、三くらいでしょうか?」
実年齢よりも上に見られるということなので、あえて若く答えたエリシアだったが、ブリジットが苦笑したのを見て誤りを悟る。
「むぅ。そなたの目にもそう映るか。やはりわたしは老けているのだろうか」
「十分お若く見えますが。おいくつなのですか?」
「十七だ」
「……えっ?」
「そなたと同じ、十七だ」
エリシアは、自分があんぐりと口を開けているのを自覚して、慌てて表情を整えた。
「これは、大変な失礼を――」
「よい。いつものことだ。今となっては、会話の掴みとして重宝している」
ふっと笑みをおぼす。その微笑みが、すでに大人っぽい色を含んでいた。
「エリシア。同年として気楽に答えてくれて構わない。そなたはマルスとどういった関係なのだ?」
不意を突かれ、エリシアは一瞬言葉を失った。
「わ、私は……」
目を泳がせながら、どうにか声を絞り出す。
「付き人として、身の回りのお手伝いをしております」
「それだけか?」
ブリジットの瞳が細くなる。問い詰める声音ではなかったが、その射抜くような視線がエリシアの鼓動を速めた。それはまるで、試すような眼差しであった。
「マルスはそなたを庇って傷を負ったそうだな」
「それは……」
「意外だった。あやつがそれほど殊勝な真似をするとは。他人に対して決して心を開かぬ、冷淡なエゴイストではなかったのか」
「彼は、そんな人じゃありません」
「そうか? そなたも聖都に住んでいたのなら聞き及んでいるだろう。マルス・ヴィル・バレンタインの、耳を塞ぎたくなるような悪評の数々を」
「そう、ですけれど……でも、あの人は」
必死に否定しようとする声に、ブリジットは小さく首を振った。
「言い淀む姿が、かえって答えを語っている」
エリシアは俯いた。口を閉ざしても、頬の赤みが彼女の動揺を隠しきれない。
ブリジットはそんな彼女をしばし見つめ、やがて低く息を吐いた。
「無理もない。若い男女が一つ屋根の下。睦まじくなるのは自然なことだ」
「っ、ちがいます! 私達はそんな仲では……!」
「では、そなたの片想いか?」
「ちがっ……そもそも、あの人とは出会ったばかりで――」
「恋に時間は要らぬ。わたしも同じだった」
ブリジットは椅子の背に身を預け、佩剣の鈴に軽く触れた。
「すこし、わたしの昔話を聞いてくれるか? おもしろい話ではないかもしれんが」
エリシアは思わず姿勢を正した。今から語られるものが決して軽い思い出ではないとわかったからだ。
「十年前。あれはまだ、わたしが七つになったばかりの頃だ」
そう前置きして、彼女は静かに語り始めた。




