第33話 悪役貴族、に訪問者きたる! ②
「はい。よく存じ上げております。姉が入団の内定を頂いておりますので」
「ほう、そうだったか。姉君の名は?」
ブリジットは形のいい眉を上げたが、すぐに咳払いをする。
「失敬。まずはそなたの名から尋ねるべきだった。教えてくれるか?」
「エリシアと申します。姉の名はミリアリス。実家は聖都にあり、しがない商家でございます」
「憶えておこう。これも何かの縁だ」
彼女は真っ直ぐにエリシアを見つめ、ほんのわずか口元を緩めた。
「そう緊張せずともよい。と言っても、無理な話か」
彼女は少し視線を逸らし、整列する騎士と馬車を見やった。
「すこし仰々しかったな。驚かせてしまったことは詫びよう」
胸に手を当てて目礼する。
その落ち着いた振る舞いに、エリシアの肩の力がわずかに抜けた。けれど籠を抱きしめる手はまだ強張ったままだ。
「我らの目当てはマルス・ヴィルだ。彼と話がしたい。取り次いでくれるか」
ブリジットの言葉は簡潔だった。その眼差しには一切の曖昧さがない。
疑念と不安の中で、エリシアはぼろ屋の扉を一瞥する。
「……あの人は今、深手を負って伏しております。話ができるような状態ではありません」
気付けば声が少し強くなっていた。半ば無意識に、マルスを守ろうとしていた。
ブリジットはエリシアが抱える籠の中身を見て薄く目を細める。
「そなたが手当てを?」
「はい」
「ふむ。そういうことであれば、無理に起こし立てるのは本意ではない。ただし、こちらも急を要する事情があることは理解してほしい」
彼女の凛とした声は、騎士団長という立場の重みを帯びていた。
「その、事情というのは……?」
「詳しい話は彼自身に伝えよう。また夕刻にでも――」
ブリジットがそう言いかけたときだった。
「おっはようございまーす! 辺境系男子マルス、朝っぱらから元気に配信していくぜぇ~!」
家の中から、ひどく元気な声が聞こえてきた。
それは紛れもなく、マルスの声だった。
「リスナーのみなさま、大変お待たせいたしました。いやー、昨日は血ぃ流しまくって死ぬかと思ったけどな……ほら、この通り。ちゃんと生きてます! 不死鳥ってまさに俺のことだなってしみじみ思うわ」
外にまで漏れ出すほどの快活さ。続けざまに笑い声と、机を叩く音までもが聞こえてきた。
ぽかんと口を開き、呆気に取られているブリジット。
エリシアは目を見開き、頬を真っ赤にして扉を振り返った。
(なんで……よりによって今なのっ!)
ブリジットは硬直し、騎士たちは顔を見合わせ言葉を失う。堅苦しい空気はどこへやら、一転して奇妙な虚脱感に包まれた。
「おおっ。早い時間なのに結構見てくれてんじゃん。意外とみんな暇なんだな」
能天気な発言に、コメント読み上げが重なっていく。
《てめーふざけんなwww》
《心配して損した! ちな俺は貴族の馬車を護衛中》
《マルス様、ご無事でなによりですわ》
ブリジットは凛とした表情を崩さないまま、その瞳に「なにこれ?」という戸惑いを湛えていた。
「あーそっか。仕事の人も多いよな。忙しい中きてくれてありがとな! まぁ一応報告だけしておこーと思って! あと護衛中にアカスト見んなよ!」
耐えかねたエリシアが、抱えていた籠を放り出して家に駆け込んだ。
「なにしてんですかっ!」
居間の椅子には、包帯ぐるぐるのままフォローカムを見上げるマルス。エリシアを見とめると、妙に爽やかな笑顔が浮かべた。
「あ、エリシアおかえりー。そんなに慌ててどうしたの」
「どうしたですって? 私、寝てろって言いましたよね!」
「ああ……うん。でもほら、リスナーのみんなが心配してるかなって。だから生存報告を――」
「治ってからやりゃいいでしょーが!」
エリシアはテーブルに置かれたプレートに手を伸ばしかけ、寸前で止めた。勝手に配信を切るのは、流石にやりすぎかと思ったからだ。代わりに、これ見よがしに溜息を吐いてみせる。
「床が抜けそうな溜息ですねエリシアさん」
「ハァ? 誰のせいだと……」
エリシアは苛立ちを抱えたまま、マルスに耳打ちする。
「外に騎士団が来ています」
マルスは一瞬だけ目を瞬かせ、開け放しの扉を見た。
そこには立ち尽くしたまま家の中を窺う十数人の騎士。
「なぜに?」
「知りません」
「コラボのお誘いかな?」
「相変わらずお花畑ですね。頭大丈夫ですか?」
「背中よりはマシ」
エリシアはフォローカムの前に身を滑り込ませ、ぺこりと頭を下げた。
「みなさん、本当にごめんなさい。今日は生存報告だけということですぐ切ります。彼、こう見えて重傷なので。いいですね?」
「……はい」
有無を言わせぬ圧に、マルスは肩をすくめて頷くしかなかった。
エリシアは停止ボタンに指を伸ばす。だがコメント欄はむしろ勢いを増していた。
《ポーション代の足しにしとけwww》
《精の付くもんでも買ってくれ》
《切らないで! マルス様のご尊顔!》
《休ませたれww》
フォローカムからエールフレアのエフェクトが連鎖して、居間の隅々までを光らせる。
(エルフレが……こんなに)
一つ一つは少額かもしれない。けれど、身銭を切ってマルスの回復を祈るリスナーの想いを、無下にしていいものだろうか。ここで配信を切るのは、リスナーへの不実ではないだろうか。
――ちりん。
葛藤の中で指を止めている間に、軽やかな鈴の音が近づいた。
「怪我で伏しているというのは、誇張だったようだな」
朽ちかけたぼろ屋に、影が差し込む。外套の裾を翻し、ブリジットが凛とした瞳で室内を見渡した。
エールフレアの花火が落ち着いた頃、マルスはようやく来客の姿を捉える。
漆黒の長髪。意志の強さと可憐さを兼ね備える切れ長の瞳。
その瞬間、マルスの中で時間が逆流する。
「ブリジット……?」
その名を呼んだ途端、記憶の蓋がぱんと弾けた。汗ばんだコントローラーの感触までが手に蘇る。




