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第32話 悪役貴族、に訪問者きたる! ①

 夜明けの森は、まだ薄靄に包まれていた。

 冷たい朝露が葉を濡らし、踏みしめる度にしっとりと靴を湿らせる。

 エリシアは小さな籠を抱え、苔むす岩の陰に身をかがめた。薄紫色の花弁をつける薬草を見つけると、慎重に根ごと掘り起こしていく。


(よかった。ここにも生えてる)


 実家で培った知識をもとに、傷の治癒に効く薬草を採取する。

 マルスの傷はポーションだけでで癒えるほど浅くはない。出血は止まっても、痛みと熱は絶えず彼を苛むだろう。


(ポーションほどの効果はなくても、すこしはマシになるはず。すこしでも治りが早くなればいい。あの人はどうせ強がって、楽勝だとか、余裕だとか、言うだろうし)


 意地を張っているのか、心配をかけまいとしているのか。いつも飄々として、つかみどころがない。

 けれど本当は、ただ耐えているだけに違いない。

 彼の隠された心の内を想像すると、エリシアの胸は苦しくなった。


(あの人が傷ついたのは、私のせいだから)


 感謝は伝えられた。けれど、それだけじゃ足りない。彼が負った痛みを少しでも和らげたい。

 その想いだけで、エリシアは夜明けから森へ足を運んでいた。


 しばらく薬草を摘んでいるうちに、籠はいっぱいになった。これを煎じて湿布にすれば、多少は痛みも抑えられるし、回復も早まる。

 今のエリシアにできる精一杯の治療。


 空が白み始める頃、エリシアはようやく家路についた。足取りは早く、胸の内には焦りと不安が交錯している。

 少しでも早くマルスに届けたい。その一心で疲れた足を動かした。

 ところが。


「……え?」


 視界に飛び込んできたのは、にわかに信じがたい光景だった。

 ぼろ屋の前に、ずらりと並ぶ騎馬の列。武装した騎士が十数人、槍を持ったまま整然と馬上に待機している。

 さらにその後ろには、一両の立派な馬車が停まっている。


 遠路を駆けてきたのだろう、馬たちの吐く白い息が朝の空気に滲む。

 のどかな辺境の村の景色にはまるでそぐわない剣呑な雰囲気。

 エリシアが捉えたのは、獅子の紋章があしらわれた軍旗だった。


(聖国騎士団……! なんで、どうして家に?)


 鼓動が速くなり、息が浅くなる。

 エリシアは籠を抱きしめ、家に駆け寄った。


「あ、あのっ!」


 呼び声に気付いた一行が、一斉に彼女を見た。

 その威圧感に一瞬気圧されたが、エリシアは自身を奮い立たせてはっきりと声を出した。


「我が家に……何か、ご用でしょうか?」


 努めて声を整えたが、わずかな震えは隠せない。

 騎馬の前列にいた一人がゆっくりと下馬し、エリシアに歩み寄る。佩剣にあしらわれた鈴が、ちりんと音を鳴らした。

 旅装に身を包み、フードを目深に被ったその姿からは、ただならぬ存在感が漂う。


「この家にマルス・ヴィルという者が住んでいると聞いた。間違いないか」


 よく通る女の声だった。

 マルスの名を呼ばれた瞬間、エリシアの血の気が引いた。


(あの人を捕らえに? でも、なにも悪いことはしてないよね? 辺境から出たわけでもないし……もしかしてアカストで配信したのがだめだったとか――)


 いろいろな考えが頭を巡る。それも悪いことばかり。はっきり自覚できるほどに、彼女は狼狽していた。


「そなた、この家の使用人か?」


 エリシアの給仕服を見た女が、固い口調で尋ねる。

 責められているように感じたエリシアは、小さく頷くことしかできなかった。


「あの、あなた方は……?」

「すまない。申し遅れたな」


 旅装の女はフードを脱ぎ、その顔を明らかにする。

 朝霧の中でもひときわ映える美貌に、エリシアは息を呑んだ。


 漆黒の長髪は夜をそのまま溶かし込んだように艶やか。切れ長の瞳は凛と輝き、視線を交わしただけで胸の奥を射抜かれるような気迫を帯びている。形の良い唇はきゅっと結ばれ、変哲のない真顔にすら気高さを感じるほどだ。


「わたしはブリジット・ラ・フィエリテ。グロワール騎士団の長を務めていると言えば、わかってくれるだろうか」


 グロワール騎士団は、聖国三大騎士団の一つだ。誉れ高き騎士の花形として、国中にその名を轟かせている。

 女性にしては長身のブリジットを見上げ、胸の籠を抱き締めるエリシア。同じ女として息苦しさを覚えるほどの存在感だった。

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