第28話 悪役貴族、危険なモンスターと戦う ①
「……っ」
エリシアが息を呑む。
暗がりから姿を現したのは、全身を鋼鉄に覆われた巨大な狼だった。
その頭部はエリシアの視線とほぼ同じ高さにあり、狼にしては異様に大きい。
背中には胴体ほどもあるキャノン砲が据え付けられ、関節を動かすたびに金属が擦れる鈍い音を立てている。
牙を剥き出しにした鋼鉄の狼は、肉の獣とはまったく違う。冷たい殺戮兵器。群れで行動し、獲物をどこまでも追い詰める――ダンジョンに潜む捕食者。
「スティール・ウルフ……? どうして、こんなところに……っ!」
アカストの古参リスナーでもあるエリシアは、屈強な探索者達がスティール・ウルフに狩られる様を何度も目の当たりにしてきた。
ギルドが危険指定種に認定する、凶悪なモンスターだ。
《これ詰んだな》
《なんで危険指定種が第二層にいるんだよ》
《このダンジョン難度いくつ? ヤバすぎるだろ》
コメント欄も一気に騒然となる。多くのアカストリスナーにとっても想定外の光景だった。
エリシアの背筋に冷たい汗が伝う。呼吸が浅くなり、足はすくんで動けない。
だが、モンスターは待ってくれない。
スティール・ウルフの両目が赤く輝き、背中のキャノンが駆動音を立てて旋回した。砲口が音を立て、エリシアに照準を合わせる。
(――撃たれる!)
避けようと思った時には、もう遅かった。回避のチャンスはすでに失われている。
(うそ……っ――)
魔力を圧縮した砲弾が、発射された。
「そこ危ないって」
呑気な声とともに、マルスがエリシアの腕を引く。
直後、四半秒前まで彼女の頭があった空間を、蒼白い砲弾が唸りをあげて通過し、背後の壁に着弾。爆音を轟かせ、分厚い金属の壁を抉り飛ばした。
衝撃波がエリシアの髪を頬に張り付ける。飛来した破片は、壁になったマルスが遮っていた。
「大丈夫?」
「……ええ、はい。たぶん」
エリシアはまだ事態を呑み込めていない。
ただ荒い呼吸が、まだ生きているということだけを教えてくれる。
「奇襲攻撃ってやつだな。やってくれるぜ!」
こんな時でもマルスは楽しげだ。
《すげー威力》
《よく避けたな》
《マルスの神回避はパートナーにも適用されるのね》
コメント欄では、リスナーの緊張感と興奮が渦を巻いている。
「お、いいねー。いい感じに盛り上がってきた」
危険指定種とされるモンスターを前にしても、コメントの確認は怠らない。それがマルスの配信者としてのポリシーである。
(戦闘中の敵から目を離すなんて信じられない! 昨日もそうだったけど!)
エリシアとリスナーの率直な感想だった。
普通は戦闘中にコメントなんて見ない。それがいかに愚かな行為であるか、誰もが知っているからだ。
だが、だからこそマルスのやり方はリスナーの興味を惹きつける。
《スティール・ウルフはやばいぞ》
《逃げた方がいいと思います》
《近くに群れがいるはず》
《異端魔術はよ》
流れるコメントと、断続的に灯るエールフレアを交互に見て、マルスは顎を押さえる。
「うーむ。どうすっかなー」
いかにリスナーを喜ばせるか。また、攻略スコアを得るか。
悠長に考え込んでいるうちに、スティール・ウルフの砲口が再び光を放つ。魔力を圧縮する甲高い音が、通路の空気を震わせた。
「次が来ますっ……」
エリシアが叫ぶ。彼女の体は、まだ硬直から抜け出せない。
「よし」
ようやく考えがまとまったマルスは、ぽんと拳を叩き、腰に提げていたエリマルくんを引き抜いた。
「んじゃ、ここからはスティール・ウルフの解説と攻略法について。やっていきましょーかい! エリシアはそこに隠れててね」
マルスが指したのは、さきほど彼が起動した串刺しトラップの傍だった。太い鉄杭の束が、ちょうど防壁のようになっており、エリシアはその影に身を隠す。
「あと、これ。ちょっと借りるよ」
マルスはエリシアが羽織るマントをほどき、自らの肩に引っかけた。
「何をするつもりですか」
「あいつを倒す」
答えるや否や、マルスは颯爽と駆け出した。紺のマントがはためき、フォローカムがその背中を追いかける。
彼が疾走するのは一直線の通路。彼我の間に遮蔽物はない。
(こんなところで、避けられるわけないのに――)
エリシアの憂慮を煽るように、キャノンから蒼白い砲弾が吐き出された。
「ほいっ」
正面から迫る砲弾を、マルスはスライディングで華麗に回避。その勢いのまま再び走り出す。
《ブラボー!》
《そんな避け方あるかwww》
《ちょっとはビビれww》
フォローカムがエールフレアのエフェクトを撒き散らす。
「キャノンタイプのスティール・ウルフは狙いが正確なだけに避けやすい。あいつキャノンのくせに何故かヘッドショット狙ってくるし、発射に合わせて頭下げとけばヨユーで回避できます。みんなもやってみてね」
《やるかボケwww》
《参考になりますww》
《マジ? 出くわしたら試してみる!》
歩きプレートならぬ走りプレートでコメントを読むマルス。
「そんで、砲撃の間隔は大体三十秒くらい。一発避けたら近づいてボコる。これがセオリーな」
言葉の通り、マルスはスティール・ウルフへと接近していく。
だが、そこで異変が起きた。




