第16話 悪役貴族、家に帰る ②
「思えば最初から変でした。メカ・スパイダーに攻撃されても無傷だったし、ボスモンスターの攻撃はぜんぶ外れるし、それに……魔法が直撃したのに、ピンピンしていたし」
次第に語気が強くなっていく。
「おかしい。普通じゃない。なんなんです、あなたは」
「知らない方がいい」
部屋の温度が、ふと下がったような錯覚に陥る。それほどに鋭い声だった。
エリシアの指が膝の上で静かに組まれた。表情は冷静だったが、動揺を隠せていない。
(言えるわけないよな。『聖愛のレガリア』をやりこんでたから、モンスターの動きや攻撃パターンを知り尽くしてるなんて)
明らかにすれば、この世界がゲームの中であると言わなければならない。
(頭がおかしいと思われるだけだ)
〝俺〟は平穏に生きたいのだ。辺境に飛ばされた身の上で、これ以上混乱したくない。
正直なところ、マルスもいっぱいいっぱいだった。彼の軽薄な言動は、追い詰められた心の裏返しである。
だが、そんなことはエリシアにはわからない。彼女の目には、マルスが底知れぬ人物に見えて仕方なかった。
気まずい沈黙。
マルスはわざと軽く咳払いをして空気を変える。
「さてさて、お堅い話はこの辺にしようか。なんせ今日は、俺たちにとって記念すべき──」
「もう一つだけいいですか」
遮るような声。
「ボスモンスターの部屋に手に入れたあの黒い石。あなたは、あれが何か知っているようでした」
「うん。知ってる」
言いながら、ポケットの中の宝石を取り出し、テーブルに置いた。
「これは〈虚無核〉。俺がずっと探してたものなんだ」
「ずっと? 異端魔術に関するアーティファクトですか?」
「それは知らないけど、たぶん違う。これは……なんて言うのかな。隠された未来に辿り着くための鍵って言ったら、わかりやすいかも」
「……鍵? これが?」
「物の例えだよ。どうやって使うか。いつ使うのか。俺にもわからない。でも、これが必要だってことだけはわかってる」
隠された未来。マルスはそう濁したが、実は『聖愛のレガリア』におけるトゥルーエンドを指している。
女性向け恋愛アドベンチャー『聖愛のレガリア』は、マルチエンディングを採用した、いわゆる鬱ゲーだった。
どのルートに進んでも、主人公ティアナ自身、もしくは彼女と心を通わせたヒーローが凄惨な最期を迎えたり――仮に生き残ったとしても、世界が崩壊の一途を辿るメリーバッドエンドだったりする。
前半はイケメンとの恋愛が主軸のよくある恋愛ゲームだが、ストーリーが進むにつれて救いのない展開が襲いかかる。
それが『聖愛のレガリア』の魅力でもあり、難点でもある。アクションの難度も相俟って、熱狂的なファンが支持する反面、途中で脱落するプレイヤーも少なくなかった。
だが、発売からしばらく経った頃、ある噂がまことしやかに囁かれるようになった。
世界も、登場人物も、すべてが救われるトゥルーエンドがあると。
そしてそのエンドに到達する条件が〈虚無核〉の存在だった。
「あなたは、その隠された未来とやらを目指しているのですか?」
「かつて目指してたって感じかな。何回もやり直して、情報を集めて……誰も見たことのない未来に辿り着こうと躍起になってた。でも今は……わかんないな」
感傷的な笑みを浮かべるマルスから、エリシアは目が離せなかった。彼がはじめて見せた儚げな表情。その顔に、彼の真実があるように思えた。
「これは仕舞っておこう。持っておく気にも、手放す気にもなれない」
「……わかりました」
「あ、そんなことよりさ!」
それまでの物憂げな面持ちはぱっと消え、明るい口調に戻るマルス。
「なんか配信中。パンパンとか、キラキラとか鳴ってたよな? あれってなに?」
エリシアは追求を一旦諦め、呆れたように息を吐くしかなかった。
生活のため、マルスに『アルカナ・ストリーム』についての知識をつけさせなければならない。
それが差し迫った課題であった。




