第15話 悪役貴族、家に帰る ①
家に帰り着く頃には、夜の冷気がひっそりと身に沁みていた。
軋む扉を押し開け、暗がりの中へ足を踏み入れる。月明かりが割れた窓から差し込んで、埃を帯びた床に長い影を落とした。
ボロボロの朽ちかけた家。壁のひびには風が吹き抜け、天井の梁はいつ崩れてもおかしくない。
こんな空間だというのに、自分の家というだけで妙な安心感がある。
辺境に追放された身で拠り所があるというのは、ある意味恵まれていると言えた。
「我が城です。本邦初公開。まぁ配信してないけど」
マルスはいつもの調子で軽口を叩きながら、持ち帰った鉄の棒を壁際に立てかけると、疲れた様子で椅子に腰掛けた。
エリシアは無言で奥の部屋に消え、間もなく寝間着姿で戻ってくる。長い髪を緩くまとめ、台所に向かう。
「お茶を淹れます」
「お、気が利くね。ありがとう」
「それが本来の仕事ですから」
ダンジョン配信など想定もしていなかった、との皮肉が込められた一言だった。
それを気にした風もなく、マルスはポケットからプレートを取り出す。
今日の配信。初めてのダンジョン探索が、記録としてアーカイブに残っている。薄く笑ってはいるものの、彼の指先は意外なほど静かで正確だった。
「なかなかいい感じに撮れてるな」
プレートに映し出された映像を、マルスは食い入るように見つめる。ホールでの戦闘。配信中の軽口、爆風、リスナーの熱狂。
アーカイブでも、リアルタイムの盛り上がりが伝わってくるようだ。
「初配信にしては、いい線いったんじゃない? なーエリシア」
台所で湯を沸かす華奢な背中に問いかけるが、すぐに返事はない。古びたティーセットを配膳してから、彼女はようやく口を開いた。
「認めたくはありませんが、アカスト史に残る快挙だったと思います」
「お、まじか! エリシアさんのお墨付き頂きましたー!」
溜息を吐くエリシアは、二つのティーカップに茶を注ぐと、マルスの向かいにそっと腰を下ろす。
「すこし、よろしいでしょうか」
その声色はいつにも増して真剣身を帯びていた。
マルスがプレートから顔をあげると、まっすぐにこちらを見る瞳と目が合う。
「どしたの。あらたまって」
マルスはそっとカップに手を伸ばす。
「愛の告白なら、もちろん返事はオーケーさ」
茶化すように返したが、エリシアは怒ることもなく、マルスを静かに見つめる。
「ん、マジメな話ってことね。ちゃんと聞くよ」
エリシアは一拍置いて目を伏せた。思案するように視線を泳がせ、それから小さく息を吐くと、意を決したようにマルスを見る。
「あなたは……何者ですか」
「抽象的な質問だなぁ。知ってるでしょ。俺はマルス・ヴィル」
「私が聞いていた話と随分違います。人物像も、能力も」
「人の噂なんて当てにならないもんでしょ」
「……さきほどの配信もそうですが、ダンジョン攻略について、熟知しているようでした。初めてではないのですか?」
「初めてだよ」
「それにしては随分と慣れていましたよね」
「面白くしなきゃって必死だっただけだよ」
マルスの言葉は軽かったが、その裏に何かを隠していることを、エリシアは感じ取っていた。
「本当に、それだけですか?」
マルスは一瞬、動きを止めた。プレートを置き、温かいカップを撫でる。
「ここに来る前、実況や解説をしてたことがあるんだ。そういう映像を作ってた。その知識と経験が活きたのかな」
「戦闘の経験も、ですか?」
その問いにはわずかな緊張が滲んでいた。だが、マルスは答えない。
「ボスモンスターと戦った時の動き、尋常ではありませんでした。あれが……異端魔術なんですか?」
マルスは眉をひそめる。
「ちがうちがう。俺、そんなの使えないし」
「でも、研究していたんでしょう?」
「そうみたいだね。でも使えないのはマジ」
その声音には真実味があった。エリシアはそれ以上、追及する言葉を失った。
しばらく沈黙が落ちた。
マルスは黙って湯気の立つカップを口に運び、わずかに目を細める。
「うん、うまい。上手だな、お茶淹れるの」
「ごまかさないで」
エリシアはまだ追究を諦めない。




