師匠が教える剣の極意
俺は戦いの最中、騎士長に徐々に現れ始めた変化の兆しに気づいていた。
微かなものではあるが、確かにその動きに妙な歪みが生まれ始めている。老練された技巧と先読みが精彩を欠き、精緻であった剣閃は荒々しく暴れる。
‥‥これは。
重い剣を右腕受けながら、左の七色で鎧を斬り付けた。これまでの騎士長であれば容易く盾を挟み込むか、避けていただろう。
その様子に不気味さを覚えながらも、俺は畳みかけた。この堅牢な騎士を倒せるタイミングは、決して多くない。隙があるのであれば、攻める機を逃す手はない。
「っ‥‥!?」
しかし、次の瞬間見えた騎士長の赤い瞳。その今にも崩れてしまいそうな不安定な揺らぎを見た俺は、反射的に〝強化〟のコードを強く発動し、飛んでいたエリシアを捕まえて全力で離脱した。
ちょうど、はじめて〝極光〟の一撃を見た時と同じ状況。それ程までに、今の騎士長から感じる何かは、俺の危機感を煽った。
俺とエリシアの見つめる先で、騎士長は雄叫びを上げる。
世の不条理を嘆き、憎しみを募らせ、怒りに声を震わせるかの如く、その方向は猛々しさとは裏腹に哀しみを帯びて聞こえた。
既に言葉を失い、怨讐以外の感情だけが宿った伽藍洞の鎧は、寸前のところで留まっていた境界を踏み外したのだ。
――何故だ! 神は私たちを見捨てるのか! どうして救いの手が伸べられない! か弱い信徒を守るのが神ではないのか! 奴らに神罰を! 神の怒りを!
きっと、これは幻聴だ。
あの世界でのことを知る俺だけに聞こえる、魂の叫び。
騎士長は俺たちとの戦いの中で、危ういところで保っていた均衡を維持できなくなった。神に仕える騎士としての正しさと、消しきれない侵略者への憎悪。アウターと化して尚、せめぎ合っていた二つの魂の在り様が戦いの中で崩壊した。
より禍々しく、攻撃的に変化していく姿は、もはや聖女神に仕えし清廉なる神殿騎士ではない。
その変わりゆく様子に、俺の胸がジクジクと痛んだ。
――どうしてお前がそこにいる。何故多くの命を奪い続け、憎しみの連鎖の中に居るはずの貴様が、安穏とした暮らしが出来る。羨ましい、妬ましい、殺してやりたい。
そうだ。言霊士として戦い続けた俺の人生は、常に殺しと共にあった。それは何も魔物だけではない。人の命だって、数えきれない程奪って来た。そこに必ず義があったわけではない。
目の前の騎士長がどれ程清廉潔白な人物であったかは知らないが、あのアイリス聖教団において騎士の長を務めていたのだ。薄汚れたスラムの中で生まれた前世の俺とは、積んだ徳など比べものにもならないだろう。
なのにこいつはアウターに身を堕とし、一方で俺は家族に恵まれ、平穏な日常を享受している。
そこに何の差があったのか、俺には分からない。偶然だと言われてしまえば、それで納得してしまうだろう。
――けれど。
「‥‥」
俺は一歩を踏み出した。
思い返すのは、家族とのいつもの日常、友達のいない学校生活、夜に綾辻と三神の三人で戦う非日常。
そして、
『七瀬くん』
あの部室で柔らかい陽だまりの笑みを浮かべる咲良の姿だった。
恨んでもいいよ。憎んでもいい。その怒りのぶつけ所がないっていうなら、俺に叩き付ければいい。
だけどな。
「なあエリシア」
「な、なによ」
突然話しかけられたエリシアが、困惑した声を出す。これから言うことを聞けば、きっと更に混乱することだろうよ。
「あいつぶっ倒してさ、綾辻に三神と三人で自慢しに行ってやろうぜ。そんで神坂さんに追加ボーナスをねだる」
「はあ? こんな時に何言ってんのよ」
冷たい返事に、俺も何を言ってんだと思う。
「ん? 自分でもよく分からんが、辛いことがあったら楽しいことがないとおかしいだろ」
「楽しいことって‥‥」
「それともなんだ、映画でも見に行くか? 守り人ってそもそも遊びに行ったりするのか知らんけど」
「え、ええええええ映画!?」
おいおい驚き過ぎだろ、嫌いかよ映画。というか単純に俺と行くのが嫌なのかもしれない。例えば同じクラスの女子を映画に誘ったとしよう、間違いなくこれより酷いリアクションが返ってくること請け合いなので、エリシアは優しい方だな。
「ああ、そうだ。やりたことは沢山あるし。咲良にも謝んなきゃだし。ここで死ぬわけにはいかないよな」
この生が、どういった理由で俺にもたらされたのかは分からない。
目の前のアウターと俺との間に大きな違いがあったとも思えない。
だが、それでも俺はこの人生を悔いなく生きる。
そう決めたんだ。
隣に立ったエリシアが、俺の思いを代弁するように口を開いた。
「さて、行くわよ」
「ああ、行こうか」
後ろから、私も忘れるなとばかりに治癒の光が飛んできた。激励だろうか、少し拗ねている三神を想像したら、激しく萌えた。是非帰ったら咲良に文章に起こしてもらいたい。
俺はそんなことを思いながら、七色を構えた。
今度こそ、引導を渡してやるよ騎士長。それが多分、前世の記憶を持ってこの世に生まれた俺が、お前にしてやれる唯一のことだからな。
直後、俺とエリシアは騎士長の動きに合わせて駆け出した。
瞬く間に、両者の間にあった距離はゼロに変わる。
そして、剣戟が凄まじい音と共に交わった。
これまでの繊細な駆け引き等かなぐり捨てた、剛の剣同士のぶつかり合い。お互いが牙を剥き出しにした獣となって、一歩も引かずぶつかる。
赤い光を纏ったバスタードソードと七色が衝突し、それが弾け合った瞬間を狙って二振りの刃と化した盾が迫るが、その一枚をエリシアがフレアフィールで吹き飛ばし、残りは空いた七色で受け流す。
俺は大振りの隙を見逃さず、蹴りで騎士長の体勢を崩すと、連続で縦横無尽に斬り付けた。
騎士長はエリシアからの炎を無視し、この連撃を二振りの盾剣とバスタードソードで迎え撃つ。そこには退くという素振りは一切見えない。正面から叩き潰さんばかりに力任せの剛剣が〝極光〟を伴って振るわれた。
切り合う両手が痺れ、衝撃は臓腑の底まで響き渡る。膝を落して身体を沈め騎士長の剣を受けるが、その重さに足場が耐え切れず亀裂が走り、余波となって撒き散らされる白光は礼拝堂を無残に切り刻んだ。
既に、そこに神殿騎士として神殿を守護しようという気配は見受けられない。神像が無事なのは、偏にただそれを背後にして戦っているだけのことだ。
確かにアウターとなったことでお前の剣は重くなった。
七色すらも突き抜けて叩き込まれる衝撃は、これまでの騎士長は一線を画している。
速度も上がっただろう。三振りの剣から繰り出される斬撃の重なり合いは、ほんの少し気を抜いただけで食われる重圧を与えてきた。
だが、それでもお前は最も強力な武器を捨てた。
俺は徐々に真正面からの衝突から、徐々に動きを柔のものへと変えていく。三振りの連斬を、脚を使って丁寧に受けていった。
その動きの変化に気づいたらしい騎士長がより苛烈な攻めへと転じ、エリシアもコードの気配を高めていく。
背後から飛んでくる〝治癒〟の力を感じながら、俺は焦らず騎士長の剣を受け続けた。その威容に憶することなく騎士長の赤い瞳を睨み、時には後ろに退きながら怒涛の剣を受け続けた。
いくら剣が強くなろうと、身体能力が上がろうと、そこにこれまでの怖さはない。今までの巧みな戦術、細やかに編まれた流れは巨大なうねりとなって俺の身体を飲み込もうとしていたが、今のお前の動きは氾濫した川そのものだ。ただ圧倒的な暴力だけを叩き付ける剣は圧力こそ凄まじいが、多くの部分に穴がある。
俺の師匠が言っていた。
最も斬り辛いものは生きているものだと。人の手によって鍛えられ、熟練の戦士が持った剣はそれに匹敵する脅威になるのだと。
騎士長の剣を受けている最中、その時が来る。
バスタードソードと二振りの盾剣とが、同時に俺に襲い掛かるこの瞬間が。
もう、お前の呼吸は俺の身体に刻まれている。
完全なアウターになったことで、お前の剣は死んだ。老成された技術の粋を捨て、ただ強大なる力に身を任せた結果、後に残ったのは中身のない抜け殻の一振りだけなんだ。
右腕に全神経が集中し、時の流れが遅くなった中で七色が鳴動する。
騎士長と俺との呼吸が重なり、静かに振り上げられた七色の一閃が音もなく三振りの剣へと吸い込まれていった。
――『止水』。
完全に重なり合った呼吸の中で、先読みした騎士長の動きは俺にとって完全に死んでいた。剣を構成する粒子の僅かな隙間に七色が斬り込み、一切の抵抗なくその刀身へと潜り込んでいく。
全ての音が回帰した時、三つの刀身が宙を舞った。
〝極光〟すらも弾けることなく、斬られたことにも気づかない様子で残った剣を覆っている。
直後、お互いに全力の剣を振った俺たちを置いて動けたのは、たった一人だけだ。
赤い髪を火の粉を纏って靡かせ、煌々と燃える炎の翼を広げた臆病で勇敢な少女。エリシアだ。
「はぁぁあぁあああああああああ!!!」
俺と騎士長の間に割り込んだ彼女は、竜爪を叩きこんでその禍々しい巨体を吹き飛ばした。
ドン! という音を残して騎士長が後ろに弾丸の如く飛び、神像の土台へ衝突して動きを止める。砕けた神像の破片が、周囲へと飛び散った。
そして、俺の目前でエリシアの両翼が開いた。
その後ろ姿は、まさしく竜の如き威容。鮮烈な赤の輝きが視界の全てを塗り尽くし、膨大な熱の余波が顔を焼く。
「食らいなさいッ‥‥!!」
全ての力が放たれたのは、直後のことだった。
轟!! と爆音が礼拝堂を揺らし、竜の業火が槍の如き鋭さで騎士長へと突き立った。幾本もの火焔の槍は銀の鎧を貫き、解き放たれる灼熱は禍々しい赤の光ごと騎士長を焼いていく。
これまでのエリシアの炎とは違う、明確な指向性を持って放たれた生きた炎。
それは俺たちの見守る先で、騎士長ごと神像を真っ赤な火焔で包み込み、一切の容赦なく焼き続けた。
「‥‥」
「‥‥」
俺とエリシアは共に何も言わず、その火を見続けた。
いつの間にか隣には三神が来ていて、俺たちに〝治癒〟の光をかけてくれる。
エリシアの放った全力の炎が消えたのは、それから暫く経ってのことだった。
「嘘‥‥」
エリシアが、隣で呟いた。
それも無理からぬことだ。俺だって驚いてる。
何故なら俺たちの見つめる先で、騎士長はまだその姿を保っていたのだ。銀の鎧はいたるところが溶解し、もはや満足に立つことも叶わないだろう。朱のマントは全てが焼失し、四肢は投げ出され、もはや上体を神像の土台に寄りかからせることで身体を起こしている状態だった。
だが、何より驚くべきはそこではない。
俺が切り裂いた二枚の盾。半分になったそれは、本来の力を思い出したように、神像を挟み込んで〝結界〟を発動していた。
アウターとなった騎士長の身体が溶解する程の炎の中で、ただの石造りの神像は、尚その姿を保っている。当然多くの部分が溶け、衝突によって崩れているが、神像は未だ聖女神としての神々しさを維持していた。
アウターに堕ちても、最後の最後まで神を守り抜くのか‥‥。
俺は無意識の内に歩き出していた。
二人の制止する声にも足を止めず、崩れ落ちた騎士長の目前へと進む。
その時、微かにだが確かに騎士長の兜が持ち上がった。
「なっ!?」
「っ‥‥!?」
背後から、驚く二人の気配が伝わってくる。
「‥‥」
俺は何も言わず騎士長の赤い瞳を正面から見つめた。そこに、もう狂気の光が見えないと思うのは、俺の気のせいだろうか。
直後、騎士長に更なる動きがあった。
もはや動かすことも難しいはずの右腕がぎこちない動きで持ち上がり、左胸へと宛がわれる。
――ああ、そうか。やっぱりお前は、どこまで行っても神殿騎士なんだな。
エリシアの炎によって溶けてはいるものの、本来騎士長が手を当てた左胸は、アイリス聖教団の紋章たるアイリスの花があったはずだ。
騎士長の右腕が、ゆっくりとこちらに差し出される。掌を上に向けて。
アイリスの花の蜜を聖女は戦女神に与え、彼女は戦いに勝利した。その神話を基にしたこの動作は、アイリス聖教の信徒が多くの場面で使用するものだ。戦いに送り出す激励として、別れの挨拶として。
そして、感謝と相手の幸運を願う、祝福として。
「っ‥‥!」
俺は、差し出された掌に、拳を重ねた。蜜を受け取る動作は、俺が前世で一度たりともしなかった返礼の動作だ。
どうして俺がこの世界に生きているのか。この神殿に来たのは果たして本当に偶然だったのか、俺にはまるで分からない。
けど、この戦いの結末だけは正しいことなんだろう。
俺が返礼すると、騎士長の赤い眼光は薄れ、消えていく。腕は硬質な音共に床に投げ出され、神像を守護していた二枚の盾も地に落ちた。
これが本当に終わりなんだと悟った瞬間、神像を中心に光が溢れた。
「キャッ!」
「っ!」
俺の視界は一瞬で光の濁流に飲み込まれ、背後で同様に光に包まれたらしい二人の声が聞こえる。どうせなら、三神の女の子らしい悲鳴も聞きたかったと益体のないことも考えている間に、全ての光は空に昇って消えていった。
晩春の風が頬を撫で、葉擦れの音と共に夜が染み込んでくる。月の光に照らされて、荒廃した遊子理神社の姿が浮かび上がった。
既にそこには石造りの神殿があった面影は、全て夢幻であったかのように、消え失せている。
「終わった‥‥のよね‥‥?」
いつの間にかすぐ隣にまで来ていたエリシアが、そう聞いてきた。
振り返ると、想像以上に近くに亜麻色の髪を揺らした三神が居て、その向う側ではエリシアが俺を見つめていた。
きっと、騎士長との最後の動作とか、聞きたいことはあるんだろうけど、二人共静かに俺の言葉を待ってくれていた。
そうだな。
見上げれば、そこに広がる空も風も、全てがいつも通りの光景だ。けれど、全身の傷の痛みと倦怠感が、先程までの死闘が嘘ではなかったと教えてくれる。
「ああ、終わったよ」
そして、また帰ってこれた。
「そう」
「ん‥‥」
俺は笑う二人に笑みを返した。皆で帰るか、綾辻も咲良も首を長くして待っていることだろう。うん、多分。待ってくれてるといいな。
そうして俺の初任務は、様々な思いを後に残し、幕を閉じたのだった。
ついに長かった二章も終わりですね。
あとはちょこちょこエピローグです。




