選択が教える苦渋の決断
二枚だけになった盾に、腹の部分に亀裂の入った騎士長が、こちらを睨みつける。
その姿は確かに傷ついたものであったが、そこから放たれる気迫も重圧も一切衰えることなく、より一層増して俺の身体を打ち付けた。
対してこちらだ。
――正直、ヤバい。
分かってる。
今の一連の動きは記憶の中の俺が極限状態になって偶々表出したものであって、決して俺が安定して再現できるようなものじゃない。剣を交えている間の記憶は酷く曖昧で、刹那の夢に浸っているかのようでさえあった。まるで、別の人格が身体を動かしていたような感覚。
では何故それを今更になって自覚しているのかと言えば、それは落星を使った右腕である。
――腕が、動かない。
七色を顕現している右腕は、しかし途中で神経が切れてしまったかのようで、こちらの意に反してまるで動こうとしない。
完全に自分の身体を顧みず七色を振るった結果だ。俺の持つ前世の記憶と今の俺とでは身体の造りがまるで異なる。右腕に限らず、全身が鉛のように重い。
この程度で済んでよかったと思うべきなんだろう。
これまでの俺だったらこの時点で既に動けなくなっていただろうから。
ヒビノーズブートキャンプの恩恵がこんなところにも出てきているとは、この場に居なくても存在感の強い女である。チラリと思い出してしまうと、戦いの場であいつの気配がいないことに途轍もない寂しささえ覚える程だ。犬の如く順調に調教されてますやん。
さてそんなアッシュブロンドの女を思い出して比較的落ち着いた。
右腕を後ろに回し、半身になって左腕を構える。
直後、暖かな感覚が右腕を包んだ。
三神が察して治してくれてるのか。……成程、ナースが白衣の天使と言われるのも保険医がやけにエロ本に使われるのも頷ける話じゃないかこれは。
とはいえ、〝治癒〟のコードは本来直接触れ合って使用するものであり、距離が開けば開いただけ効果が落ちる。
今の攻めで決めきれなかった以上、相手は疲れ知らずのアウター。
時間が経てば経つ分だけ不利になるのはこちらだ。
なら、どうするか。
俺は苛烈に振るわれる剣を左手で捌きながら、徐々に後退する。盾は蹴り飛ばすか避け、どうしても避け切れないものだけは身体で受けた。殴られた拍子に口が切れたらしく、顎を伝って血が滴り落ちるのが分かった。
白光の向こう側に佇む神像が、まるで哀れな子羊を見ているように感じるのは、俺が神を信じない不心得者だからだろうか。
「……」
三神の懸命な治癒のおかげで、後少しすれば右腕はほんの少しであれば動かせる。
左腕に宿した七色の黒き奔流がその勢いを増した。
優先順位を間違えるな。俺が目指すべきはこいつを倒して全員で帰還すること。
だが、もしそれが叶わないというのであれば、何かを捨てて何かを得るために取捨選択する必要がある。
「っら!」
肉薄してきた騎士長の剣を七色で上から抑え込み、蹴りを叩き込んで吹き飛ばすと、俺は一度息を吐いた。
ああ、ちくしょう。嫌だなぁ。まだ咲良にゴールデンウィークのことちゃんと謝ってないし、綾辻には模擬戦で一度も勝ててないし、三神との約束は破ることになる。女子との約束を三十分も経たずに破るとか、歌舞伎町デビューも近いかもしれないな。嬉しくねえ。
大体家族にしたってあの姉貴がちゃんと結婚できるか不安だし、父さんを母さんがヤッてしまわないかも心配だよ、俺は。
それに、やっぱり咲良の顔を最後に一目でいいから見ておきたかった。こんなことならあいつの写真を一枚でも撮っておけば、ここに来る前に見れたものを。ついでに綾辻もな。
でも、エリシアも三神もちゃんと無事帰すと決めたんだ。
なら、迷っている余地は少しもない。
俺の想いに応えるように、左腕の七色がコードの光を強く散らした。
騎士長が俺の変化に気付き、攻めの姿勢から一転、その場で油断なく構えを取り直した。常に俺の視界の外にいた二枚の盾も奇襲を止め、騎士長の前方に浮ぶ。
アウターになっても勘は衰えずってわけか。ふざけんな、そこは追い詰めている側なんだから躊躇なく突っ込んで来いよ。これだから騎士って輩は保守的過ぎるだのなんだの言われるんだ。
……本当に、手負いの獣が怖いということをよく知っている。
それでも、左腕をフェイクに差し違える覚悟で踏み込めば、十分に殺せるはずだ。
どうせ待っていても死を待つだけだ。俺の命と引き換えに最強と呼ばれた剣士の技を、その身に思い知らせてやる。
俺と騎士長の間に張り詰めた空気が、痛い程に肌を突き刺さした。
お互いのコードの気配が高まり、空間を奪い合ってせめぎ合うのが分かる。
「――!!」
俺と騎士長以外の全てが隔絶された世界で、何かを察した三神が声を上げるのを、俺は頭の中で認識だけしていた。その声の内容は、届かない。
何か機があったわけではない。
ただ示し合わせたように同時に、俺と騎士長は一歩を踏み出した。
白と黒の光が音を置き去りにして走り、瞬きする間もなく俺たちはお互いの間合いへと突入する。
赤の眼光と俺の視線とが鎬を削り、その衝突点へと導かれる様に俺たちの七色と剣は振るわれた。
全ては刹那の間に始まり、終わる。万物を切り裂く刃となった左腕が騎士長の放つ〝極光〟を切り払うのではなく、受け流して構えられた二枚の盾を続けざまに穿ち、騎士長までの道を作る。
そして、流されるだけだった騎士長の剣は即座に切り返し俺の胴体を捕らえ、同時に俺の右腕もまた黒を伴って騎士長の傷へと届いた。肉に冷徹な刀身が潜り込む感触と共に、七色は罅から鎧を貫いて突き進む。
確かな死の感触が、指先と腹の双方から、背筋を通って身体を冷たくした気がした。
死ぬのが怖いと思えるのは、たぶんそれだけ俺がこの世界で生きてきた人生が幸せだったからだろう。そう思えることがすごく嬉しくて、同時にここで終わることが悔しいと感じた。
それでも尚、止まらない。
俺と騎士長の武器は気持ちとは裏腹に少しの躊躇も見せることなく進んでいく。
そして。
真っ赤な光が、視界を覆った。
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