相対が教える決戦の始まり
誤字の訂正をいたしました。
エリシアが俺の背を叩いた。→三神が俺の背を叩いた。
かの文豪、太宰治は自著『人間失格』において、「恥の多い生涯を送って来ました」と書いている。
とはいえ知ってるのはその一文だけで、太宰治の作品なんて『走れメロス』くらしか読んだことはないんだが。そういう人って意外と多いんじゃないかな。
ただ重要なのはそこではなく、後世に名を残す程の人間であっても、恥の多い人生を送っているという点だ。そりゃ一般人である俺が恥の無い人生を送れるはずがない。
「はずがないんだっ‥‥」
「‥‥突然何言ってるの?」
隣を歩いていた三神が変なものを見るような目でこちらを見てきた。
いや、ごめん。あんな大見栄切って出て行ったのにエリシアを連れ戻せなくて。
「本当にこんな役立たずでごめんなさい‥‥」
「ついさっき私に熱弁した内容を否定するようなことが良く言えるね」
「もう死にたい」
「なんだかよく分からないけど、君の言葉がどんどん軽くなってる気がするんだけど」
怒りのあまり死ぬのを憤死というわけだが、今の場合恥ずかしくて死ぬのはなんて言うんだろう。あれだな、落とし穴に落ちたい。なるべく深くて殺意高めなやつ。
「とりあえずしっかりして。君が今回の作戦の核なんだから」
そう言って、三神が俺の背を叩いた。
なんだろう、こいつってこういうことするキャラだったかな。
まあそれは置いておくとして。実際問題、この神殿から脱出する方法は恐らくたった一つだけだ。
即ち、騎士長の打倒。
そして、そのためにはエリシアが戦えない今、俺だけが唯一の戦力となる。三神がサポートしてくれるとはいえ、他の誰でもない、俺がやるしかないのだ。
「?」
グッ、と背中を叩いた三神の手がそのまま俺のジャケットを掴むのが分かった。
「七瀬」
「なんだよ」
「無茶をしないでとは、言わない。そんなこと私には言えない。だから、お願い」
強く掴む手が、こちらを見るなと言っているようだった。三神の平坦な声だけが、無機質な廊下に静かに浸透していった。
「どんなに傷ついても、私が必ず治すから、生きて。絶対に、死なないで」
それは、これまでの三神ならば考えられない言葉だった。
その言葉こそが、彼女の覚悟を痛いほどに俺に伝えてくれる。
俺も三神も分かってるんだ、礼拝堂で待つあいつが、出し惜しみとか自分の身体を顧みて勝てるような、柔な相手じゃないってことは。
救援を待つ選択肢だってないわけじゃない。けど、騎士長がずっとあそこで待ってくれる保証も、救援が無事この神殿に入れるかも分からない。そうなれば、体力と精神力だけが摩耗し、奴を倒すチャンスは、潰える。
全く王樹といい、とことんツイてないな。
それとも、別の何かに憑かれているんだろうか。こんな時まで、小説のような言い回しが頭に浮かぶ。
咲良はどうしてんのかな。きっと何事もなく平穏な日常を過ごしているんだろう、あの綾辻が居るんだ、高校は心配する必要は無い。
けど、三神が隣に居ない綾辻も、たった一人であの部室に佇む咲良も、俺はどうしてか寂しいと感じてしまった。
自惚れでもいい、俺はあそこにいたい。
部室で咲良と他愛ない話をして、夜には綾辻に扱かれて、三神に呆れたような目で見られるのだ。
そのために、進む。それを邪魔する者はなんであれぶった切るしかないのだ。
「約束する。絶対生きてお前らと三人で帰るって」
「うん」
そうして、俺たちは再びあの礼拝堂の前に辿り着いた。
そこに描かれた壁画がなんのシーンを描いたものなのか、今なら分かる。
槍の側に佇む女神は間違いなく戦女神であり、そしてその対面に佇むのは、人の身でありながら神々の戦いにおいて戦女神を祝福し、神格を得た聖女神。
二柱の真ん中に描かれた太陽だと思っていたものは、十二の花弁からなる白金の花、『アイリスの花』だ。
アイリスの花から零れ落ちる蜜はあらゆる怪我、病をたちどころに治し、蜜を舐めてから暫くの間は効果が続くとされている。
アイリスの聖女は、その花から取れた蜜を戦女神に捧げ、彼女は幾柱もの神を討ち取ったのだ。
この壁画は、アイリスの聖女がその雫を両手で受け、戦女神に捧げる神話の一節を再現したものだ。
そして、そうなればこの神殿の先にいる騎士長の正体も自ずと答えが出る。
「行くぞ」
「分かった」
俺は扉を開け、礼拝堂に足を踏み入れた。
何にも侵されることのない静謐な空気が溢れ出し、身体を包む。
冷たい湖の底にいるようだ。音が消え、あらゆる生が沈んで鎮まっていた。
三神を背に残し、俺は進んだ。
足音がやけに高く響き、心臓の鼓動さえ粛しんでいるようだ。
「来たぞ」
そう口に出したのは、俺たちを待ち構えるように、それが居たからだ。
アイリスの花と、その前で祈りを捧げる聖女神の神像。
そして、それを守護する白銀の騎士が、四枚の盾を浮かし、朱のマントを微動だにさせず立っていた。
本来は慈愛と勝利を祝福する女神に仕えた、高潔な魂を持った騎士だったはずだ。
そんな人間さえも怨恨と妄執に捕らえ、魔物に変えてしまう。それが戦争だ。どうにもならない、魂すら焼く感情の強さだ。
俺は神なんて碌でもないと思っているし、それに生涯を捧げる人間の気持ちなんて分かるわけがない。
けれど、今のその姿があんたの本意じゃないことくらいは、俺にだって分かる。
だから、言おう。柄じゃないなんて百も承知だけど。
「アイリス聖教団、聖女神を守りその神敵を排す、神殿騎士が一人とお見受けする」
三神に聞こえないように、けれど目の前の意思があるのかどうかも分からない虚ろな騎士に届くように、俺は言う。
「何にも属さぬ身ではあるが、七瀬凛太郎。義によってその仮初の命を討とう」
騎士長がバスタードソードの柄に手をかけ、俺は胸の奥で暴れ出すコードを発動し、その燐光が礼拝堂の床に散っていった。
四枚の盾が騎士長の周囲で踊り、俺の両腕は指先から混沌たる黒に染まった。これまでに、どうして発動出来なかったのかと疑問に思う程、それは強大な存在感と共に顕現していく。
〝継承〟のエクストラコードによって発現したそれは、あらゆる刀剣の要素を宿した一にして全、全にして一なる剣。
継承武装――『七色』。
そして騎士長の間合いを目前にした瞬間、お互いに一歩を踏み込んだ。
「引導を渡してやるよ亡霊」




