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サクラが教えるチートの正しい使い方  作者: 秋道通
第二章 不退の騎士と高飛車な竜
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涙が教えるエリシアの素顔

「で、あいつはどこにいるんだ?」


 廊下は不夜燈の明かりだけに満ちており、先程の死闘の面影も、特徴的な赤い髪も見つけられなかった。


 気配を感じられなかったから、すぐ外にいないことは分かっていた。


 かといってどこにいるかという見当は全くつかないわけで。


 流石に一人で礼拝堂の方にはいかないだろうし、とりあえず開かなかった入り口を俺も確認しておくか。


 そう決めて足を入り口の方に向けた。


 見えてきた扉は、三神の言葉通り閉ざされていた。


「そんでもって開かないと」


 まあエリシアがこじ開けようとして開けなかったんだから、これは当然か。


 アウター、魔物ってのは所謂神々の戦いによって生まれた世界の歪だ。戦によって流された神々の血と肉と怨嗟と殺意が行き場を失くし、秘言となって仮初の命を創り出す。


 まるで未だに戦いの輪廻から逃れられないように、魔物は強い戦意を生まれながらに宿している。今回みたいに、生前の意思を強く持っている方が稀だ。


 扉に指を這わせ、なぞる。冷たい感触には、当然血が通っていることはない。


 思い出すのは、礼拝堂の扉に描かれた壁画だ。


 戦女神と、修道服の女神が向かい合う光景。あれは、俺のいた世界において、ある有名な神話の一節だった。それを、俺は忘れていただけで知っていた。


 もはや疑う余地もない。この神殿は俺の前世の世界に確かにあったもので、そして、あの騎士長は決して俺たちを逃すことはないだろう。


 扉から離れて、エリシアを探してあてどもなく歩き始める。それなりに広いとは言っても、複雑な構造をしているわけじゃない。その内見つかるはずだ。


 不自然に綺麗な神殿の中を歩いていると、今更ながら違和感が強く頭をつついてきた。


 目を閉じると、浮かんでくる。廊下を歩く修道女と、それに引っ付いていく修道女見習いの童女たち。戦争で、魔物との戦いで、様々な理由で両親を亡くした子供が引き取られ、信仰の世界に生きる。


 空っぽのベッドには少ない私物が本来は並んでいたんだろう。


 不夜燈の明かりは、こんなに寒々しく伽藍洞の部屋を照らさずに、食堂は活気に満ちていたはずだ。あのピクルスだって買って来たものを一つ一つ洗って、漬け込んで、礼拝の時間になれば、礼拝堂では全ての人が真摯な祈りを捧げていただろう。


 目を開けると視界に飛び込んできたのは、赤く染まった石の壁と、至る所に崩れ落ちる小さな体に、それを覆ったまま事切れる女性の身体。真白の修道服がどす黒い色に変わり、それが何だったのかも分からない肉の塊が零れ落ちている。聞こえるはずもない神への悲痛な祈りとすすり泣く声が肌から侵食し、胸が痛みながら鼓動した。


「‥‥」


 気付いた時、既に染み込んだ血飛沫も、討ち捨てられた亡骸もなく、一時の白昼夢は嘘のように消えていた。ただ後に残る空虚に歪んだ神殿だけが、静かにその事実を物語っている。


「人同士の争い程、くだらないこともねーのにな」


 それとも、これもまた神の思し召しなんだろうか。だとしたら、本当に神なんて碌なものじゃないと思うが、同時にその慈愛によって救われた者も多く居る。


 正しいことと悪いことの線引きがもっと単純であればいいのに。


 そうすれば、こんな思いになることもなかった。


 ままならないのはどの世界でも一緒だな。


 そして、俺の足は一つの部屋の前で止まった。


 どことも変わらない修道女たちの使う寝室だ。


 扉を開けて、静謐な空気が肺に入り込む。不夜燈の淡い明かりに影が生まれ、その中に赤い髪が隠れていた。


「見つけたぞ」


 呼びかけに、彼女の身体が動き、その白い顔がこちらに向けられる。


 泣きそうなエリシアの金色の瞳が俺を捉えた。




 ◇ ◆ ◇




「なに情けない顔してんだよ」


 俺の知るエリシアは、もっと傲岸不遜で、自信家で、そうあるために努力し続けたであろう少女だ。


 けれど、今の彼女にその面影は見えない。


 まるで帰る家を見失ってしまった幼子のように、不安げで、今にも崩れてふやけてしまいそうな顔が呆然とこちらを見ている。


「‥‥」


 本当は、何言ってんのよ、と返ってくるのを期待していた。


 けれどエリシアは虚ろな瞳で膝を抱えたまま無言のままだ。


 ‥‥これは。


「エリシア」


 一歩を踏み込むごとに、俺の知る彼女と今の彼女が乖離していって、目前に立つ頃には、そこにいるのがか弱い少女だと知った。


「なんて顔してるんだ」


 その今にも壊れてしまいそうな顔に手を伸ばすと、エリシアの方が小さく震えた。


「エリシア」


 再び呼びかけると、金色の瞳が揺れながらも俺の目を見つめ返してくる。


 そして、均衡は脆くも崩れ去り、大きな目から涙が湧きだし、一瞬とかからずに溢れて零れ落ちていく。


 ボロボロと、目を見開いたまま。ほんの少しも俺の視線から逸らすことなく、声も上げず、エリシアは静かに泣いていた。


「‥‥ごめ‥‥なさぃ」


 次に開かれた口から出たのは、掠れた謝罪の言葉。


 喉が引きつき、全ての熱と水分が瞳から零れていくように、彼女の声はこれまでの通るものとはまるで違う、小さく弱かった。


 彼女を覆っていた仮面が剥がれ落ちて、繊細で敏感な素顔が露呈していった。


 たぶん、俺が斬られたことは切っ掛けに過ぎない。思い出すのは、敵と戦う時の彼女の笑み。


 俺は前世でこれまでに多くの戦士たちを見てきた。その中には本当の戦闘狂というのがいて、そいつらはどこか感覚が壊れている、或いは戦いの中で心を病んでいるのだ。だから奴らが戦う時、本当に楽しそうに笑うのだ。笑みを浮かばせずにはいられない。何故なら、その瞬間こそが自身の生を実感出来る唯一の時間だからだ。


 だが、エリシアは違う。違ったのだ。武者震いなんてとんでもない。俺は大事なことが何一つ見えちゃいなかった。


 獰猛な笑みも、彼女の恐れを感じさせない背も、そこに感じた奇妙な不安も、それは俺の知っている本物と、エリシアのそれが決定的に違うからだ。震えていたのは怖いから、不必要に突っ込んだのも、自分の中の恐れを強引に捩じ伏せていたから。


 そうしなければ、戦えなかったからだ。一度でも止まってしまえば、二度と歩き出せないと知っていたからだ。


 今目の前で小さくなって震えている姿。これが遊里・フォード・エリシアという少女の本当の姿なのだ。


 小さな動物が自然界を生き抜くために、少しでもその身体を大きく見せるように、エリシアは守り人という過酷な環境を生きぬこうと傲岸不遜な皮を被った。


 自分は強い。誰にも負けない。そう思わなければ、目の前で膨れ上がっていく死の重圧に、簡単に押し潰されてしまうから。


「謝らなくていいよ。傷は三神が治してくれたし、おかげであいつの攻撃が見れた」


 確かに蛮勇であったとは思うけれど、結果的にいい方向には転がったし、何よりこの状態の三神を更に追い詰めるようなことを言う気にはなれなかった。


 綾辻なら、こんな時なんて言うんだろうな。


 あいつは戦闘能力だけじゃなく、天性のカリスマを持っている。そこにいるだけで誰かを惹きつける力だ。


 もしかしたら、こんな状況でも綾辻は強い言葉を使って、それでエリシアを救ってしまうのかもしれない。


 だけど、ここに居るのは俺だ。


 ついこの間まで素人で、こいつらが背負ってるものなんてほとんど知らない部外者。


 だからこそ、


「隣、いいか?」


 俺はそう言って、エリシアの返事も待たずに彼女の隣に腰を降ろした。埃っぽくはないのに、人の生気を感じさせない奇妙な空気が身を包む。


「‥‥」


 横を見ると、エリシアは膝に額を乗せて顔を俯かせていた。


 赤い髪はこんな時も鮮やかで、不夜燈の薄い光の中でも燃えているように見えた。


「なあ、エリシアの話を聞かせてくれないか?」


 聞くと、エリシアの赤い髪の向こうで金の瞳が微かにこちらを見たのが見えた。


「俺はさ、こないだまで普通に一般家庭に生まれて、普通に学校生活を送って、そんな日常がずっと続くと思ってんだ」


 ああ、そうだ。前世の夢を見ることはあっても、その平穏が一生続くものだと、なんの根拠もなくそう思い込んでいた。


「けど、ある夜にアウターに会って、なんとか倒したと思ったら綾辻に縛られて容疑者扱いだよ。あいつマジで怖いのな」


 あの時はビックリした、というか普通初対面の人間を椅子に縛り付けるかね。しかもあれコード・アームだし、下手な動きをしたらどうなってたか考えたくねーな。


「その後は三神にも会って、気付いたらあいつらの戦いを側で見ることになったんだ。保護扱いとか言ってたけど、実際には監視だし、毎晩行かなきゃいけないからすげー疲れるし」


 今考えると、俺が普段からランニングしてなかったら毎晩家出るとか、難しかったろうな。そもそも普通の人だったら突然毎日化け物と顔突き合わせるとかストレスマッハじゃない? 綾辻ってやっぱ鬼ですね、間違いない。


「そんで色々あって、戦いから離されたりもしたんだけど、結局首突っ込んでいったんだ。気付いたら王樹とまでやりあって、死にかけたけどなんとか生きてる」


 そうだ。綾辻に振り下ろされた王樹の槍を受け止めた時、俺は本当に必死で、正直危険かどうかなんてほとんど考えてなかった。一歩間違えただけで、俺は死んでいただろう。


「馬鹿だと思うけど、後悔はしてないんだ。あの時動かなかったら、俺はそれこそ死ぬ程悔やんでたと思う」


 その馬鹿が高じて、俺は今ここにいる。


 自分の意思で、戦っているのだ。


バレンタイン更新です。

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