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サクラが教えるチートの正しい使い方  作者: 秋道通
第二章 不退の騎士と高飛車な竜
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膝枕が教える大人の階段

 泥の奔流が、身体を押し流す。


 眼帯の女の細い手を掴んでいたはずなのに、握りしめた手からは冷たい感触だけが押し出されて逃げていった。


 声を出そうと開けた口に重苦しい泥の塊が流れ込んできて、目を開けることも出来ず、踏ん張ろうとした脚は滑って浮き上がる。


 その時、瞼の裏側に不思議と神殿騎士たちの姿が蘇った。


 風に靡く朱のマント、陽の光に照らされて光る銀の鎧。


 そして、その胸元に刻まれた太陽の紋章。


 いや、違う。あれは太陽じゃない。太陽のようであっても、まるで別の物だ。


 十二の花弁と、その中心から落ちる蜜の滴。


 そうだ、あれは――


 ◇ ◆ ◇


「‥‥アイリスの‥‥花‥‥」

 

 目覚めた時、視界に映ったのは亜麻色だった。


「‥‥ぁ‥‥」


 ぼやけていた輪郭に焦点が合い、徐々に明確な映像となっていく。


 亜麻色の柔らかそうな毛先が揺れ、その向こう側で感情の読みづらい顔が俺の顔を覗き込んでいる。


「起きた?」

「みか‥‥み‥‥?」

「喋らなくていい、まだ無理しないで」


 そう言って、三神の手が俺の額を撫でた。


 皮膚に触れる冷たい指の感触が、妙に心地よい。


 あれ、なんで俺今、こんなことになってんだ?


 確か礼拝堂で、エリシアと神殿騎士の戦いの間に割って入ろうとして、それで、


「よかった、熱は出てないみたい」

「なにが‥‥?」

「覚えてないの? 君、私たちを抱えて礼拝堂から脱出した後に倒れたの。背中にもらった一太刀はそこまで深くなかったから私が治したけど」


 ああ、そうか。


 その言葉で俺は何があったのかを大体思い出した。


 そうだ、ヤバいと思った瞬間に何も考えずに飛びだして、限界を超えて〝強化〟使って駆け抜けたんだ。


 背中を斬られていたことにも全く気付かなかった。


 多分倒れたのはその傷のせいじゃなくて、〝強化〟による過負荷のせいだろう。正直全身の感覚が薄い。


 これ、後で筋肉痛で死ぬパターンじゃない? 


 もしヒビノーズブートキャンプのおかげで反動が来なかったら、俺は綾辻に生涯忠誠を誓ってもいい。嘘ごめん。それはマズイ。


「わりぃ、ありがとう」


 それにしても、また三神に助けてもらってしまった。いい加減気を付けないと本気で死ぬぞ、俺。


 しかし、三神は少し首を傾げた後、横に振った。


「ううん。私には、こんなことしか出来ないから」

「こんなことって‥‥、そんなこと言ったら俺は何が出来るんだよ」


 結界張って治癒して、服直して、身体綺麗にして、それでこんなことってのはどういうことだ。


 普段は心中でそう思うだけだったのに、この時は意識が朦朧としていたせいか、思わず言葉が口を突いて出た。


「あんまり‥‥、自分を卑下するような言い方すんなよ‥‥」


 すると三神は一瞬驚いたような顔をして、


「何、いきなり」


 本当になんだろう。なんで俺がこんなことを言ってるんだ? 


「俺も綾辻も、お前の力を認めてるし、頼りにしてる。出来ないことと出来ることに違いがあるなんて当たり前だろ‥‥。大事なのは」


 そうだ、大事なことは、


「自分の為すべきことを、するかどうかだろ」


 たぶんこれは、三神に言いたいだけではない。


 これは、俺が自分自身に言い聞かせていることだ。


 俺に今出来ることは戦うことだけで、それにしたって綾辻に比べれば何枚も落ちる。


 今回だって神坂さんに無理言って、綾辻達を手伝いたいなんて思っても、俺がいなくたって綾辻と三神は二人だけで充分かもしれない。


 そんなことは分かっていた。


 それでも俺がそうしたいと思ったから、俺はここにいる。


 だから、確かな信頼と居場所を得て、自分のすべきことを持っている三神にそんな風に言って欲しくはなかった。


 嫉妬とも呼べない、情けない感情だ。


 三神は僅かに目を見開いて、俺を見つめる。


「でも私、戦えないし‥‥」

「俺は人を治せない。今回三神がいなかったら死んでたかもしれないだろ」

「治癒なら、もっとすごい人がいる。私はハズレだから」

「ハズレ?」


 聞き覚えの無い言葉にオウム返しにすると、三神が少し躊躇いがちに口を開いた。


「エクストラコードが守り人の戦闘に合わない人のことを、陰でそう言ってたの」

「それは‥‥」


 ふざけた話だと思う反面、第一線で常に戦い続けなければならない、そしてそれが命を賭けた職業である以上、向き不向きに敏感になるのは、俺にも分かる。


 そして、平穏な人生を送っていた俺に、それを軽々しく否定することも出来ない。


 というかだ、


「そもそも俺、お前のエクストラコードすら知らないんだが」

「ああ、私のエクストラコードは〝受容〟」


 ‥‥え?


「どんなプラスコードも使えるようになるんだけど、やっぱり相性はあるし、どんなに頑張っても特化している人には適わない」


 ‥‥はい?


「どうかしたの?」

「いや、どうかしたっていうか? 〝受容〟のエクストラコード?」

「‥‥知ってるの?」

「あ、いや。そういうわけじゃないんだが」


 嘘だ、知っている。


 〝受容〟のコード。それはあらゆるプラスコードをその身に宿すことの出来る力。


 本来プラスコードは、死した者から近くにいた適合者のもとへと移り、適合者がいなければどことも知れず消え去ることになる。


 そのプラスコードも適合率はそう高いものではなく、俺なんかは一つも持っていない。


 恐らく三神は戦闘に、特に何かを傷つけるための力と相性が悪い代わりに、他のプラスコートとはほとんど無制限に適合することが出来るのだろう。


 俺の知る限り、最強の一角を担う力。


 英雄になれる人間だけが生まれ持った天賦の才だ。


「‥‥?」


 不思議そうな顔で三神が俺の顔を覗き込もうとしてくる。


 教えてやりたい。お前の持っている力はハズレなんかじゃない。使い方によっては化け物蔓延る世界においてさえ、最強になり得る可能性を持ったコードだと。


 けれど、それは言えない。綾辻と三神に、二人に隠し事をする俺に、それを言う権利も資格もないのだ。


 だから、せめて、


「あれだ三神」

「なに?」

「俺はお前の力について詳しいことは分からんから、なんも言えん。けど、保証してやる。お前は凄いし、三神だってエリシアにだって全然負けてない。それだけのポテンシャルを、絶対に持ってる」

「‥‥なにを根拠に?」

「勘だ! しいて言うなら、お前を信頼してる俺と綾辻を信じろ」


 自分で言ってても無茶苦茶だと思う。


 三神の言う通り根拠もなにもないし、慰めにもなっていないけれど、それでも。


「とにかく俺はそういうスタンスで行こうと思います! はい」


 自分の姿勢をしっかりと相手に伝えておくことは、大事だと思った。


 すると三神は呆気に取られた顔をして、彼女にしては本当に珍しい笑い声をあげた。


「なにっ、それ」


 良く晴れた日に降ってくる雨のように、軽やかな音が踊って跳ねる。


 そんな変なことを言ったつもりはないんだが、まあ楽しそうならよしだ。


 それにしても、こうして正面から笑う顔を見ていると、本当に三神は綺麗な顔立ちをしている。


 綾辻のように目立つものではないし、咲良の柔らかなものとも違う。朧気で、不確かで、だからこそこうして霧が晴れるように笑うと、目を離せなくなる美しさだ。


 それから暫く三神は笑い続け、ようやく収まるといつもの無表情に戻った。長く艶やかな睫毛の下で、薄ぼんやりとしたガラス玉の瞳が俺を見下ろしている。


 今更ながら、マジで距離が近‥‥い‥‥?


 ――ん?


 というか待て、なんでこいつの顔が俺の上にあるんだ? それに、妙に頭の後ろに感じる感触が柔らかい。


 いや待て待て待て、嘘だろ。なんで今の今まで気付かなかったんだ。

上から見下ろす三神に、柔らかい後頭部の感触、そこから導き出される答えは一つだけだ。


 これは、もしや‥‥膝枕、というやつなのでは!?


 そんな馬鹿な、ついこの間まで夢にまで見ていた膝枕が夢見ている内に実現してただと! 


 初めての膝枕は咲良って決めてたはずなのに、私汚されちゃった‥‥? いやでもこの頭の後ろに感じる、細くても確かに柔らかい脚の感触、そしてすぐ近くにある三神の笑う顔、ほんのりと香る甘い香り。


 ああそうだ、汚されてなんていない。俺は今この瞬間、一つ男としての階段を上ったのだ。


「その、なんだ。本当にありがとう‥‥」


 色んな意味で。


「‥‥突然?」

「いや、世界の全てに感謝を捧げたいと思ってな」

「このタイミングで?」

「このタイミングで」


 男にはあるんだよ、そういう時が。


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