昼休みが教える二人のこと
連休明けの陵星高校は、生徒も教師もどことない倦怠感に包まれていた。
それも無理からぬことだ。五日間も休みが続いていたのだから、突然気持ちを切り替えろという方が無茶だろう。
話題の中心は勿論決まっていて、休み時間には皆口々に自分のゴールデンウィークについて語っている。華やかな女性徒は如何に自分の休日が充実していたかを、部活に所属している生徒は部活の愚痴を、どちらでもない生徒は自虐染みた口調で笑いを取っていた。
お昼休みも話しの種は尽きないらしく、一年A組の生徒たちはそれぞれお弁当を食べながら思い思いに話を咲かせていた。
それは文学少女、咲良綴も例外ではない。
「綴はさー、連休中もずっと家にいたの?」
シンプルな二段のお弁当から筑前煮を取り出したところ、綴は対面に座った少女に話しかけられて顔を上げた。
そこにいるのは、日に焼けた肌に、ショートの髪をヘアピンで横に流した活発そうな女性徒。綴の中学の頃からの友人、鴨上伊草だ。
綴とは趣味、性格が大凡正反対で、部活は陸上部に所属し、考えるよりも先に身体が動くタイプの人間である。
そのせいかどうかは分からないが、二人は中学時代から馬が合い、この陵星高校でも幸運にも同じクラスになれていた。
綴はこの五日間を思い出し、答える。
「お母さんとお出かけしたりはしましたよ。後は確かに家での用事が多かったですね」
「はー、名家ってのも大変だ」
「何度も言いますけど、私の家は別段名家という程のものではありませんからね」
綴は中学の頃から何度目になるのか訂正した。
確かに綴の家は昔土地を持っていた影響で、この辺りの旧家とは大体古くから繋がりを持っている。その中には確かに名家と呼べるような家柄もあるが、彼女の家自体は昔から続いているだけの一般家庭である。
少なくとも綴はそう思っていた。
「その言葉を信じて綴の家に連れてかれた私の衝撃だよね」
「土地を開発の影響でほとんど手放した時に建てたみたいなんですけど、無駄に広いだけですよ」
「アパートに住んでる身としては十分羨ましい話だよ、それ」
「でも冬場なんかは廊下歩くだけでも寒いんですよね」
綴の家は木造のお屋敷とでも言える大きさで、見事な枯山水の庭に広々とした縁側。昔ながらの家屋が多い地域といえど、綴の家と同じレベルは珍しかった。
生まれてこのかた狭いアパートで兄弟たちとプロレスごっこをしては怒られる伊草からしてみれば贅沢な悩みだ。
「あーあ、私なんかゴールデンウィークは毎日部活部活部活! こうさ、高校生らしい青春とまではいかなくても、どっか遊びには行きたかった!」
「私は部活もいいと思います‥‥」
声を上げる伊草に対し、綴はどこか拗ねたような表情でそう言った。
すると、伊草は途端に悪い笑みを浮かべる。
「あー、確か七瀬くん、だっけ? 何綴、予定蹴られて怒ってんの?」
伊草は既に綴から、七瀬が来なくなったことでゴールデンウィーク中の部活がなくなったことを聞いていた。
軽く唇を突き出した綴が答える。
「別に怒ってません。ただ来れなくなったのなら、もう少し連絡をくれてもいいかと思っただけです」
「ふーん、綴がそんなこと言うなんて珍しいね」
「珍しいですか?」
伊草は綴のお弁当から鮭の柚庵焼きを一切れ取り、代わりに自分のハンバーグを放り込みながら言う。
「なんだろう、綴って良くも悪くも自分一人で楽しめる人間じゃん? 予定すっぽかされたら、それはそれで時間が出来たって嬉々として本読み始めるみたいな」
「む‥‥、そう言われると否定はし辛いです。というか勝手に交換しないでください」
「いいじゃんいいじゃん、私の家のハンバーグ美味しいよ」
「それは知ってますけど」
綴はハンバーグを口に入れると、「あ、美味しいです」とご飯も食べる。
そんな綴に、伊草は笑みを深めて言った。
「そんなに特別かぁー、その七瀬くんとやらは」
瞬間、綴が今まで見たことのないような表情をした。
「そんなことはありません。七瀬くんは大事な部員であり友達というだけです」
「そうかなぁー? 今まで綴がこんなに男子と仲良くしてるの見たことないんだけど」
「それはっ、たまたま接する機会がなかっただけです」
綴の言葉に伊草は、はいはいと笑いながら言った。
確かに中学の頃から綴に積極的に話しかける男子はいなかった。それは単純に本を読む彼女の邪魔を出来る人間がいなかったという話で、人並みに女子な伊草は、綴が男子から人気があったことを知っている。
何物にも侵されない、良くも悪くも純朴で、純粋な少女。
それが伊草の知る咲良綴だった。
(ま、そんなところが可愛いんだけどね)
だからこそ、こうしてからかうと面白い。これまでは本当に男の影が無かったので、伊草も驚いてはいるのだ。驚いた上で、堪能している。
ここまでくると、是非その七瀬くんとやらのご尊顔を見てみたいものだ。最近では嘘なんか本当なのか分からない噂が出回っているし、と伊草が思っていると、綴がお弁当を食べる手を止めて伊草の後ろを見ていた。
誰か来たのかな、と背後を振り返るよりも早く、声が発せられた。
「お食事中ごめんなさい。咲良綴さん、この後少しお時間いただけるかしら?」
「っ!」
反射的に伊草は背筋を伸ばした。
それは一年A組の人間なら絶対に聞き覚えのある、忘れることの出来ない凛とした声。
伊草の対面で、綴は落ち着いた声で返す。
「勿論大丈夫ですよ、綾辻さん」
伊草はそこでたまらず振り返った。
そこに居たのは、アッシュブロンドの髪に精巧なビスクドールを思わせる顔立ちをした絶世の美少女。
綾辻日々乃だ。
女性にしては背の高い日々乃に見下ろされて、伊草は思わず委縮してしまう。それはたった今、彼女に関する噂について思い出していたという妙な負い目もあったからだろう。
しかし綴と日々乃の二人は伊草の狼狽など気にもかけず話し続ける。
「ありがとう、そんなに時間は取らせないと思うわ。それじゃあ、ご飯を食べ終わったら声をかけて。私はその辺りにいるから」
「分かりました。すぐに食べ終わりますね」
「ゆっくりで構わないわ」
日々乃はそう言うと、二人の席から離れていく。
伊草はそこでようやく一息つくことが出来た。
「伊草は何をそんなに疲れた顔をしてるんですか?」
「疲れた顔って‥‥、そりゃ気疲れするでしょ綾辻さんに話しかけられたら」
「そんな、クラスメイトですよ?」
「クラスメイトでも!」
というか同じ人間とさえ思えない。伊草は本気でそう思っていた。
周囲でも、男子生徒たちから微かに「一位と七位が話してる‥‥」という声が聞こえてきた。推しメンコンテストの影響は予想以上に大きい。
「それにしても、綾辻さんから私にわざわざ話となると、なんでしょう」
「いやー、それは私にも分かんないかなー」
なんとなくの予想はつくけど、と伊草は口の中で呟いた。
周りの生徒たちは推しメンコンテストのランカー二人が話していたというだけで盛り上がっているようだが、もし二人の間に共通の男の影があると知ったら驚きで顎が外れるかもしれない。
とはいえ、綴に隠しているような様子はないので、そう遠くないうちにバレるだろう。
その時どんなことになるのか、伊草にも分からなかった。
「すいません、それじゃあ行ってきますね」
「え、あ、うん。頑張ってね」
「そんな鬼に会いにいくわけじゃないんですから」
綴はそう笑って日々乃へと話しかけに行く。
きっとこの場に七瀬が居れば「いや鬼だぞ? マジで鬼、餓鬼とか生温いもんじゃない正真正銘の鬼だよ」と力説したことだろうが、幸か不幸か彼はここにいなかった。
日々乃に声をかけた綴は二人連れ立って教室を出て行く。
その日A組のもう一人、渦中の少年と交流を持つ少女が休んでいることにはほ、伊草も含めとんどの人が気付いていなかった。
綴と日々乃の二人が来たのは、いつだったか七瀬が日々乃に呼び出された空き教室だった。
先に口を開いたのは、日々乃だ。
「わざわざ時間を取ってもらってごめんなさい」
「いえ問題ありません。それで、綾辻さんが私に一体なんのご用件でしょうか」
綴は単刀直入に聞いた。
彼女が日々乃について知っていることと言えば、文武両道、人当たりのよい性格に、目立つ美貌とプロポーションで、クラスにおけるアイドルということだけだ。
そして文芸部唯一の部員、七瀬凛太郎と親交があるらしい。
だからなんとなく、伊草にはああ言ったけれど、彼女がわざわざ自分に話しかけて来るとしたら、それは、
「七瀬凛太郎のことよ」
「‥‥」
その言葉に、綴は自分でも想像以上に衝撃を受けた。
自分と日々乃の接点なんて、七瀬くらいしかいないとは分かっていても、こうして目の前で日々乃から彼の名を聞くと、妙な感覚を覚えずにはいられなかった。
「七瀬くん‥‥のことですか」
「ええ。ゴールデンウィーク、本当は文芸部の活動があったのでしょう?」
「それは、七瀬くんから?」
それ以外に文芸部の予定を知っている人間などいないと知りつつも、綴は問わずにはいられなかった。
まるで自分たちしか知らなかった秘密の情報が漏れてしまったかのようなこの感情は、なんと名をつければいいのだろう。
日々乃は当然頷くと、そして、そのまま頭を下げた。
「ごめんなさい」
アッシュブロンドの髪が目前に突き出され、綴は珍しく狼狽えた。
「っえ、えと」
綴にとっても日々乃の印象といえば完璧超人。人に頭を下げているような場面はほとんど見たことがない。
「あの、顔を上げてください。私は綾辻さんに謝られるようなことはなにも」
「いえ、謝らせて。七瀬がゴールデンウィークに文芸部の活動に出れなかった原因の一つは私にあるから」
「え‥‥」
その言葉に綴は一瞬フリーズした。
ゴールデンウィーク初日に、確かに七瀬から予定が全て入ってしまったという連絡は受けた。
突然のことに綴も驚き、理由をメールで聞いたところ、返信が返って来たのは五日後。理由も要領を得ず、しかも今日からまた暫く部活には出られないと言う。
綴は七瀬が誠実な人間であると知っているし、今回の行動には随分違和感を感じるものだった。
しかし理由が分からないことにはどうすることも出来ず、その後彼からの返信も途絶えてしまったのだ。
その原因に、綾辻日々乃がいる。
(ま、ままままあゴールデンウィークですしっ、男女でそういった予定が入ればそちらを優先するのは当然というか! いえそもそもやっぱり七瀬くんと綾辻さんはそういう関係に?)
瞬間、綴の中で凄まじい量の思考が駆け巡った。
純粋で純朴な少女という伊草の印象は決して間違っていない。しかしながらライトノベルを愛読している文学少女、その手の想像力はむしろ普通の人よりも豊かだった。
どうやら変な勘違いをされているらしいと気付いた日々乃が、綴の思考を中断させる。
「‥‥言っておくけれど、私と七瀬に恋愛感情のようなものは一切ないわよ?」
「へ? え、あ、はい。そうでしたか」
「最近、変に噂されることがあるから無理もないけど」
日々乃は気だるげに呟いた。今更ながら社交的な日々乃が、自分に関する噂について知らないはずがないと綴は思い至った。
羞恥心に、顔が赤く染まるのが分かる。
「とはいえ詳しい理由ばかりは私の一存では言えないから、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます‥‥」
綴に言えたのはそれだけだった。
分かったのは、七瀬も日々乃も、やっぱり責任感が強いということ。だからどちらも人のせいにせずに、自分で背負って何も言わない。
わざわざ日々乃が自分に言いに来たということは、間違いなく彼女にも責任があって、けれど七瀬は行けなかったことに言い訳をしなかった。
少しくらい言い訳をしてくれてもいいのに、と思わなくもない。
「それじゃあ、時間を取らせてしまってごめんなさい。晶葉のことも、よろしくね」
「こちらこそわざわざありがとうございます。三神さんとは是非もっと仲良くしたいとお伝えください」
「それは本人に言ってあげて。喜ぶと思うわ」
日々乃はそう言い残すと、颯爽と教室を後にする。
初めて面と向かって話したが、概ねイメージ通りの人だったなと綴は静かになった教室で独りごちた。
多分、日々乃と七瀬の間には人に言えないような何かがある。
それは自分にも教えることが出来ない、大事な何か。
「少しだけ」
なんとなく、七瀬が学校で一番仲の良い友人というは自分だと、そう綴は思っていた。
彼はあまりクラスで友達もいないようで、文芸部でそんなことをよく愚痴っていたし、自分と居る時は楽しそうにしてくれている。
窓の外に見える空は晴れていて、明りのついていない教室には強い陰影ばかりが浮かび上がった。
「少しだけ、妬いてしまいそうです」
この子供染みた感情は、多分、嫉妬心と名がつくのかもしれない。
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