既視感が教える世界の変容
暫く歩いていると、徐々に人工物が見えなくなり、緑が多くなる。気のせいでなければ最近やけに山にばかり行かされている。陵星高校での仕事も裏山が主体だしなあ。
「なあ三神」
「なに?」
「至極今更なんだが、異界化した場所って山とかが多いのか?」
確か人里近い特定の場所って言っていた覚えはある。それ以降は肉体的訓練ばかりでアウターに関する情報なんかを聞く機会もなかったが、もしか都心とかでも異界化したりしてたら相当マズそうだ。
「ああ、それは」
「私が答えてあげるわ、その質問」
質問に答えようと口を開きかけた三神を遮って、エリシアがそう声を上げた。
え、さっきまで俺のこと疑ってるとか厳しい視線で言ってませんでしたっけ、あなた? なんでそんなキラキラした目でこっち見てるんだよ‥‥。
「‥‥エリシアはこういう時話たがりだから」
「ああ、そういう」
話たがりというか目立ちたがりというか、純粋な光で輝く目を見ていると単純に世話焼きなのではとも思う。良くも悪くも嘘が吐けない自分に正直な人なんだろう。
「じゃあ、お願いします」
「ふふ、そうね。まず基本として異界化する場所は人が居る近くの場所であり、現界期は深夜に起こるのよ」
エリシアは得意げな顔で語る。
「実際、あなたたちがいる陵星高校だったかしら、そこは都会ではなくともそれなりに人口の多い場所よね」
「まあ生徒数から考えてもそれなりかな。正確には異界化してるのは学校の裏山だけど」
「そう、重要なのはそこよ」
「というと?」
「人里近くでありながら、人が寄り着きにくい場所。そこが異界化する条件として今のところは有力視されているの。実際、民家を含んだ範囲で異界化が始まった事例は今のところ存在しないしね」
「つまり、夜も人がいる都心なんかにアウターが現れることはないってことか」
「そういうことになるわね」
礼を言うと、「これも指導官としての務めよ」と鼻高々に言うエリシア。やっぱりただの良い奴なのかもしれない。
「‥‥それで、結局私たちはどこに向かってるの?」
どこか呆れたような口調の三神は、眠くなってきたのか人の腕に頭を寄りかからせ始めている。お前、来るときに電車の中で爆睡してたじゃん‥‥。
というか止めろそういうスキンシップ、つい惚れたらどうしてくる。
だが三神の疑問も最もで、俺たちはホテルを出てからそれなりに歩いていた。どこまで進んでも辺りは見渡すばかり畑と山ばかりで、目的地は皆目見当もつかないままだ。
「そうね、そろそろ着くと思うけど」
エリシアはそう言いながら歩き続け、数分も経たぬうちに立ち止まった。
そして俺たちの方へ振り返ると綺麗に腕を伸ばして横を指さした。
「ここよ」
「ここ‥‥」
エリシアが指さした先にあったのは緑色の斜面、そしてそこに通された石造りの階段だった。
随分年季の入った階段は至る所がひび割れ、草が我が物顔で生い茂っている。見上げると長さは相当なもので、急な角度と相まって相当高いところまで伸びているようだった。
「この先が目的地なわけか」
「ええ、行くわよ」
「これ上るの‥‥」
隣では三神さんが辟易とした表情で石階段を見つめている。毎日山登りしてるんだから気にするなよと思うが、頂上が見えない階段というのは確かに見ているだけで疲労が増すようだった。
「何を腑抜けたことを言ってるのよ三神晶葉。さして長くもないじゃない」
エリシアにはそんなことなど少しも気にならないようで、元気な様子で階段を上っていく。赤い髪がゆらゆらと揺れ、眩しい脚が先を行く。健康的な美がそこには宿っていた。
ふと横から感じる視線に振り向くと、三神がジト目でこちらを見ている。
「‥‥変態」
「べ、べべべ別にそんなんじゃないし!?」
目の前を綺麗な女性の脚が歩いていたら目で追ってしまう、それはついつい大きな胸を見てしまう位には男の性だ。ただ考えてみると、あまり綾辻の胸とかには視線がいかないな‥‥ああ、模擬戦の最中に見るなんてしていたら死ぬからだ、七瀬納得。
それにしても、長い階段だ。こんな山中にわざわざ石段を造る目的など大体理由は限られてくる。
俺の予想は、上り切った先にあるものによって正解だと知れた。
一足先に到着していたエリシアが振り返る。
「これが今回私たちに下された調査任務の場所、遊子理神社よ」
石段から続く参道の先にある朱の剥げかけた鳥居。そしてその向う側に見えるのはそれなりに立派な神社だった。
しかし遠目に見る限りでも建材は随分朽ちており、周囲を覆う緑からも石段同様人の手が入ってないことが伺える。
こうして人に忘れられていった神社というのは案外珍しくない。神社は寺と違い仏教由来のものではなく、その地域特有の神格化されたものが祀られていることも多いため、管理する人が居なくなり、人々の記憶から薄れていけば後に残るのは在りし日の残滓ばかりだ。
「この神社が?」
「元々は仙人のようなものを祀っていたらしいわよ。ただ土地開発の影響で村が解散していって、周辺に人が居なくなった結果、どんどん廃れていってしまったってわけ」
仙人て、昔はすごい人がいたもんだ。神社を建ててもらったってことは現人神みたいな感じだったのかもしれない。可愛い女の子を生贄に差し出させたりも出来るのかな、仙人最こ、もとい最低だな。許せん。
「でもなんでこんな昼間に神社に来たんだ? 予め戦いの場を作っておくためか?」
そう、場所は分かっても結局何故こんな時間にここまで来たのかは分からないままだ。恐らく異界化する場所なんだろうが、学校の裏山では綾辻達が予めアウターと戦い易いように樹を伐採して広場を造っていたし、それと同じことをするのか。
しかし、エリシアは首を横に振った。
「別にそういうわけじゃないわ。この時間に来た理由は、まあ、神社まで行けば分かるから」
「?」
何言ってんだ、神社まで行けば分かるもなにも、もはや目と鼻の先。鳥居をくぐればすぐにでも神社だ。
俺が訝しんでいると、隣でそれまで黙っていた三神が小さく呟いた。
「‥‥この先、妙な感覚がする」
「妙な感覚?」
言われて意識を集中させてみても、俺には特に何も感じられない。あるのは風に揺れる草花と、寂々たる神社だけだ。
「ついてきなさい」
エリシアはそう言うと、颯爽と歩き出す。未だ釈然としない俺たちはその後を追い、鳥居に差し掛かる。
そして、
「っ‥‥!?」
前を歩いていたはずのエリシアの姿が見えなくなったと思った瞬間に、俺たちはその領域に足を踏み込んでいた。
消えた、いや一足先にここに進んでいたエリシアが足を止めて前を向いている。
「これは‥‥」
驚愕に満ちた三神の声。
俺だって驚いているのだ、きっと守り人として長い間仕事をしてきた彼女にとっては驚天動地の思いだろう。
エリシアが黒く朽ちた草を踏んで、言った。
「ここが確認されたのは半月ほど前になるわね。調査員がこの状態を発見の後、戦闘を得意とる守り人を派遣することが決定。私たちの今回の任務は、あの中に入って詳しい状況を調査、情報を持ち帰ってくることってわけ」
そこにあったのは、既に俺たちの知る景色ではない。
周囲は全て現実世界のそれから乖離し、身体に纏わりつく空気すらも冷たく濁る。
異界化、という言葉が脳裏で鮮明に思い起こされた。
鳥居を潜った先は、まさしく俺たちの知らない、否、俺以外が知るはずのない世界へと変貌を遂げていたのだ。
「‥‥」
声すらも出ない程に、身体の奥底から湧き上がる衝動のような既視感。心臓が高鳴り、吐く息は知らず知らずの内に荒くなる。
どうして、こんなことになってるんだ? 三神から聞いてた話と全然違うだろ。
草は枯れ果て、晴天であったはずの空は重苦しい曇天と化していた。晩春の風に聞こえる葉擦れの音も、鼻につく青臭さも全ては霞と消え、命の息吹が一切感じられない。見える全てが退廃に沈んでいた。
そして、目前。あったはずの神社はその姿を変え、荒廃した石造りの建造物と化していた。大きさは神社よりも遥かに大きく、洋館と言うには荘厳で、最も俺が知る中で近いのは神殿か教会だ。
元は白かったであろう壁は薄汚れ、至る所に罅が入っている。柱に彫られた女性の彫刻は、執拗に全て顔の部分が砕かれていた。
この建物その物の記憶は俺にはない。けれど身体を内側から焼き尽くす強烈な既視感に、視界が揺れる。
この世界は紛れもなく俺の――夢の中の俺が知る世界だ。
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