相談が教える俺の考え
白太鼓を破壊してしまった後、放心した様子の紫藤さんは笑い始めて正直怖かった。そのせいかもよく分からないが、俺の登録はその後スムーズに進められた。
綾辻はやけに冷たい目で俺を見てくるのだが、あれは俺は悪くないと思っている。悪くないとは思っているが、あの装置がいくらくらいするのかは聞いていない。聞いたらたぶん罪悪感で寝れなくなるからな。
俺は一般的な金銭感覚の庶民なのである。
さて、そんな俺と綾辻は今ある部屋に居た。
この研究所でこれまで見てきた部屋はどこも機能美を追求した無機質な部屋ばかりだったが、ここは派手にならない程度の調度品が置かれ、ただの仕事部屋ではない、人を招くことを前提とした造りになっていた。
そこで執務机に座ってこちらを見ている男が一人。
スーツ姿に、眼鏡をかけた柔和な顔立ち。恐らくまだ四十には届いていないだろう。
彼はその柔和な雰囲気に合った柔らかな声で言った。
「はじめまして、七瀬凛太郎くん。私が綾辻日々乃の直属の上司になる、神坂純一だ。君とは是非会いたいと思っていてね。今日会えたことが嬉しいよ」
「はじめまして七瀬凛太郎です」
そう、この男は綾辻の直接的な上司、つまり彼女に守り人としての指示を出せる人物になる。
俺がこの登録の時にあることを言いたい相手、それが目の前の神坂さんだった。会えるかどうかは分からなかったが、王樹との戦いが良い形で作用したと言えるだろう。
うん、たぶん白太鼓破壊したのは関係ないよね。
神坂さんは笑みを浮かべながら言う。
「綾辻隊員から話は聞いているよ、王樹と戦ったとね。俄かには信じがたい話だが、彼女が嘘を吐くような人間ではないことを私はよく知っている。だとすれば君の力は本物なんだろう」
「‥‥いえ、恐縮です」
なんだろうか、全体的に人当たりのいい雰囲気で、初対面からこれだけ誉めてもらっているのに、喜びよりも警戒心が先に立つ。
それはそもそも政府とやらに俺がそこまで信頼感を持っていないからか。
俺の反応が芳しくないにも関わらず、神坂さんは少しも気にした素振りを見せず葉暗視を続けた。
「そこで一つ君に提案なんだけど、七瀬くん、守り人を目指してみるつもりはないかい?」
来た。
その言葉をここで言われるのは、予め綾辻からも忠告され、俺自身予想していたことだった。
だからこそ、ここで俺はここで前々から考えていたあることを話さなければならない。
「何、すぐにとは言わないさ。高校を卒業した後でも構わない。話に聞く君の力があればすぐにでも戦力になれるだろう。中々世間的に評価されるものではいけれど、給与や保障は相応だよ」
神坂さんの勧誘は熱心だ。それ程までに、綾辻や三神が常々言っている通り守り人の人数は足りていないんだろう。たった二人、毎夜人外のものと戦い続ける環境が正常だなんて言えるはずもない。
綾辻は俺の横で黙って立っている。彼女は忠告こそすれど、どうして欲しいかは一言も言わなかった。
一つの事実として、俺が欲したのはなんてことのない日常だ。命の危険なんてない、咲良と一緒に笑って過ごせるような平凡な日々。
だが同時に王樹との戦いの時、綾辻と三神の為に戦いに首を突っ込んだことも俺は少しも後悔していない。
戦いたくはない。出来うることなら平和に安穏とちょっとエロイ、そんな日常を送りたい。一方で綾辻たちだけが戦っているという事実に座していることも出来ないこの思いは、果たして矛盾しているのだろうか。
今俺が夜に陵星高校に行って綾辻達の仕事を手伝ったり訓練をしてもらっているのは、あくまで登録までの保護処分という名目があってこそのものだ。本来であれば、国が取り仕切っている戦いの中に俺が関与できる余地はない。
だから、これは俺の我儘だ。
「どうだろう、まだ分からないことも多いだろうし、具体的な説明の場もいずれ」
「すいません、神坂さん」
話を遮って俺が口を開くと、神坂さんは少し押し黙ってから元の口調に戻る。
「なにかな、七瀬くん」
俺は自分のしたことをするために、筋を通すべく口を開いた。
「俺は、正直守り人になりたいとは思っていません。戦い続ける人生を送りたいとは、今のところは考えられません」
「‥‥それで?」
「ですけど、俺の知らないところで綾辻や三神が戦ってるっていうのも、我慢出来そうにありません。なので、高校にいる間だけでも、俺が二人の仕事を手伝うのを認めては貰えないでしょうか」
そう言い切った。単純な話、手伝うことがグレーゾーンだというのならここで認めてもらうしかない。
隣で綾辻が俺の顔を見る気配があったが、今は神坂さんを見ることだけに集中した。
神坂さんは暫く考える仕草を見せ、そして口を開いた。
「そうか、君の言いたいことはよく分かった。綾辻隊員は彼の言うことについてどう思う?」
「私は‥‥」
突如話を振られた綾辻は、少し言葉に詰まった。
‥‥あれ、そういえば。
今更ながらこいつらに一切俺の考えを話してなかった。どうしよう、ここで、いえ必要ありません、とか言われたら。ヤバい、綾辻なら平然と言いそうな気がする。
「‥‥彼、七瀬凛太郎は確かに守り人としての訓練こそ受けておりませんが、私は背を預けるに足る実力と信頼の持ち主だと思っています」
その言葉に、思わず俺は隣を見るところだった。
なんとか鋼の意思で神坂さんを見るが、口元がにやけないようにするのに精一杯だった。
神坂さんは綾辻の言葉に頷き、そして言う。
「分かった。そういうことならある条件付きではあるが認めたいと思うよ。こちらとしても、積極的に守り人の仕事に関与してくれるというのであれば断る理由はないからね」
「条件、というのは?」
「なに、簡単なことさ。こちらとしても正式に守り人ではない人間を戦いに参加させるというにはそれを押し通すだけの根拠が必要になる。決して僕だけで決められることではないからね」
「つまり、力を示せということでしょうか」
神坂さんは柔和な笑みの中にどこか含みを持たせ、俺の目を覗き込む。
「ああ、その通り。王樹との戦いは荒唐無稽だという人間も多いからね。こちらの指定した指導官についてある仕事をこなしてもらいたい」
恐らくその指導官というのは綾辻ではないんだろう。どうやら俺のゴールデンウィークは学校が始まっても戻れるか分からない延長戦に突入しそうな様子だが、ここで断るという選択肢は存在しなかった。
「分かりました、受けさせてください」
かくして、俺の行く先を決める任務が下されたのだ。
果たしてこの安請け合いを後々後悔することになるかは分からない。だが目の前に与えられた機会を逃しては、求めるものは決して手に入らないということを俺は知っている。進める道は常に茨であり、重要なのは目的地を見失わないこと、そして如何に進むかということである。
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