極限が教える信頼の重さ
開戦の狼煙は王樹の雄叫びが果たす。
天にも届く巨躯を持ち上げ、空を掴まんばかりに六本の腕が開いた。そして王樹はこれまでのように遠方から鞭を振るうのではなく、何本もの脚で大地を踏み砕きながらこちらへと進撃を始める。
同時に周囲の木偶も消えゆく仲間の残骸を踏み潰し、戦略もなにもなく突進してきた。それはまさしく数の暴力、質量の波。改めて見ると、これに立った二人で挑むとか正気の沙汰ではない。
しかし今の俺は構えた七色に微かな揺らぎも見せず、触れた風が切れていく感覚さえ明瞭な程冷静でいられる。夢の中の俺と今の俺との境界線が曖昧になり、頭に浮かぶイメージが現実の身体に重なった。
次に使う型は向かってくる敵を一刀のもとに斬り伏せる剣技。
『木枯らし』とは違い下半身は軽妙なる捌きでもって走り、木偶の突き出される凶器を掻い潜って七色を胸から鳩尾に斬り込むと、次の瞬間には腕の捻りで傷口から開く。
それら一連の動きを迅速の踏み込みと同時に終えた結果、一番槍を決め込んだ木偶は爆散するが勢いで縦に割れた。
型の名を『火花』。
神速の斬り込みから内部を切り開くことで、さながら弾けたと見紛う程の勢いで割断するものだが、その性質上この型は柔らかい相手よりも固いものにこそ真価を発揮する。
そう、丁度この木偶たちのような相手に。
割れた木偶の奥から枝剣を振りかぶる木偶が迫り、間合いに踏み込んだ瞬間脇腹から入れた七色で切り開く。縦横無尽に綾辻の周囲を走る俺を木偶の手が追いすがり、気付いた時にはその手だけを中空に残して地に伏せていった。
弾け飛ぶ木偶の破片を尻目に次の獲物の喉仏へと右手の七色を突き込むと、火花によって頭を飛ばす。俺はその力を残したままを即座に手首を折って鶴嘴の形を作り、隣にいた木偶の側頭部を打ち抜いた。
月光を照り返すアッシュブロンドの周囲で漆黒の剣閃が木偶を殺して刻まれる。
そうしている中で、巨大なる圧力に身体が反応した。噴石が如き勢いで斬るというよりは叩き潰さんばかりに振り下ろされる王樹の大剣。
「っ‥‥!」
決断にかけた時間は一瞬。これまでは避けるか捌くかが限界であったが、今の俺は正面からその大剣を迎い討った。
仮にも七色を持つ俺が相手の剣を前に逃げるなど言語道断。
踏み込みと共に左腰に溜めた右手を抜刀するかのように振りぬき、大剣を斬り付ける。分厚い刃と切り結んだ七色は静かにその刀身に潜り込んだ。だが、長大なる大剣を馬鹿正直に七色で斬るのは至難の技。
故に、俺はここで火花を放つ。斬り込んだ勢いを決して殺さず、足の裏で踏み締めた大地から力を切っ先に伝え、刀身の中腹まで斬り進んだ七色から全ての力を解放させる。
王樹の大剣が、その半ばから爆散した。
砕け散った朽ち木の破片の奥から空が覗き、そこに王樹がいる。剣を落とされたことに驚愕しているのかどうかも分からない虚ろな目が視えるが、反応は即座に返って来た。
再生した大剣も含め六本の腕がそれぞれに烈火となって攻めを打つ。
時には足元から根が槍衾となり、茨の鞭が曲線的な軌道で翻弄する。それら全てを叩き斬る合間には蕾から矢の雨が吐き出され、思い出したように〝恐慌〟の叫びが頭を震わせた。
全身が燃えるように熱い。際限なく七色に力を注ぎ込んでいる証として黒きコードの光が陽炎の如く立ち上る。限界なんてとっくの昔に訪れていた。こちとら十五年走る以外の運動らしい運動をしてこなかった人間だ。〝強化〟のコードなんて使った日には翌日筋肉痛で死にかける程度のもやしっ子だ。
ブチブチと身体の奥から聞こえる音は筋線維が斬れる音か血管が弾ける音か判別もつかない。踏み込む度に骨が悲鳴を上げ、いくら呼吸をしても酸素が足りず溺れているようだ。
しかし、動く。斬れ、斬れ、と意思が重い身体を突き動かし、血に視界が汚れても、叫びに耳が塞がれても、振るう七色の刀身が世界の全てを教えてくれた。
きっとあいつが感じていた世界がこれなのだろう。
剣と思考だけに自分という存在が支配され、呆れる程に巨大で未知たる世界を斬り取っては貪欲に次を求める。
その時、俺は全てを忘れて楽しんでいた。この世を生きていて、初めてあちらの世界の俺を実感することが、この上もなく心を湧き立たせたのだ。
大剣を斬り飛ばし、槍を縦に割断し、鞭を縫い止め、根は薙ぎ払う。
王樹が吠え、業を煮やしたのか六本の腕で俺を捕えんと迫った。ぶ厚く、高い壁が意思を持って俺と綾辻の周囲を覆い尽くし、圧力という単純なる凶器をもって殺そうと狭まって来る。
ここに全ての再生能力をつぎ込んだのか、斬り付けた掌はすぐに再生した。ギチギチと繊維が押しつぶされる音は過回復する先から自ら握りつぶしているからだろう。
上等だ、そっちが力押しで来るというのなら、こっちも小細工なしで行く。
顎が閉じるように世界の全ては闇に閉ざされ、大地が削れる音と身体を押す大気の重さが全身を息苦しくなる程に圧迫する。
決意したはずなのに、ふとこれが俺たちを潰すまでにかかる時間はどれ位であろうかと雑念が頭を過ぎった。
「‥‥ぁ」
その瞬間、理想であったイメージから身体が乖離し、疲労と共に重い身体の感覚が圧し掛かる。神経の全てが途中で断絶し、四肢が棒切れと化した。
元々、これまでが綱渡りだったのだ。七色を出してからの状態は極限のトランス状態と溢れ出すアドレナリンのお陰で実現した奇跡であり、擦り切れた身体に限界が来た今、そこから柔な精神が露呈し崩れていく。
それでも集中し型を作らんとするも、暗闇の中で鋭敏となった感覚に突き刺さる殺意が隠されていた恐怖心を撫でつけ、脚が震えた。
は‥‥、情けなさ過ぎるだろ。この場面で動かなきゃなんのためにここに来たんだよ。こんな死ぬ程痛い思いをして、心臓が張り裂けそうな程に苦しくて、なんで俺はいつもいつも重要な場面で役立たずなんだ。
背中を押してくれた咲良を、願いを託してくれた三神を、力を授けてくれたあいつを、隣に立ってくれた綾辻を裏切りたくない。そう思っているのに、歯が震えて音を鳴らし、固まった身体は自分の物ではないようだ。
その時、血の気の引いた感覚の中で、背中に仄かな暖かさを感じた。
首筋を撫でる髪の感触に、鼻腔を擽る柑橘系の香り。氷が溶けていくように、背中から熱が全身を伝わっていく。
「七瀬、あなたに私と晶葉の命を預けるわ」
背中合わせに俺に寄り添った綾辻が、落ち着いた声色でそう言った。
信じてくれるのか、こんな状況でも。
綾辻は死の淵に立つ今であっても、決してコードの発動を途切れさせず、その力を高めている。自分の命も三神の命も賭けて信頼してくれたのだ。俺が道を開く未来を。
「ああ、預かるよその命」
自然と、震えの治まった口からそう言葉が出た。
全身が鉛のように重く、骨の髄まで滲んだ疲労が辛い。だが、身体はじんわりと熱く、心は落ち着きを取り戻していた。
この一撃だけ動けば、それでいい。
後ろに立つ綾辻の存在を感じながら腰を落とし、前傾姿勢を取る。両腕は肘を浅く曲げ、後ろに引き絞る。
つい先程、盲目の女の見ていた世界を知ったと思ったものだが、それは随分甘い考えだったらしい。こうして本物の闇の中に囚われた時、これ程までに心許ないものか。
ようやく、これで本当だ。
踏み締めた大地の感触と、近づく破壊音。俺は脚と背骨に力を溜めながら機を待った。草に伏して獲物を待つ獣の如く、牙を突き立てるその瞬間までこの地の重さに自らの身体を一体とさせて、崩落と起立の境界を保つ。
そして、来た。
「あぁぁぁぁああああああ!!」
本来唐竹割に上から下へ振り下ろす単純な型は、しかし両手に七色を宿した俺には使い辛い。
故に、俺は振り下ろす滝の流れを自らの身体を斜面とし突きの濁流に変える。張り詰めた均衡によって保たれた姿勢は一瞬で崩壊し、倒れ込むように踏み出した脚は溜めた力の堰を外す。腰から背骨を伝って七色の切っ先まで伝えるその力は、自らの物だけではない。
それは、大地の重さだ。己の身体を地の一部と化し、踏み込みと共に全てを崩して剣へ注ぎ込む。
型の名を『落星』。
来た、と感じた瞬間に突き出された両の貫き手は星の瞬きとなって輝き、暗闇を塗りつぶす。
轟っ!! と爆音が耳を貫き一拍遅れて衝撃が全身を打った。
気付いた時、目の前にあったのは壁に穿たれた穴と、六本の腕全てが塵となって背後へ傾ぐ王樹。その後ろでは空恐ろしい程に大きな月が浮かび、その光でもって俺たちを照らしていた。
アッシュブロンドの髪が夜風に靡き、コードの燐光が粒子となって散っていく。
全ての力を出し切り倒れていく俺の身体を抱き留めた綾辻が、何かを口にした。五感の全てが遠く、その言葉が俺の耳に届くことはなかったが、言いたいことなんて大体分かる。
だから、俺は聞こえているかどうかも分からないが、答えた。
「やっ‥‥ちまえ」
薄れゆく視界の中で、綾辻が微笑んだような気がした。
◇ ◆ ◇
横たえた七瀬を背に、綾辻日々乃は巨大な穴から一歩を踏み出した。
目前にある抉れた大地の先で、全ての腕を失った王樹が態勢を崩している。完全なる暗闇の中であっては、日々乃にも七瀬が具体的に何をしたのか分からない。
だが、重要なのはそんなことではなかった。
七瀬は、日々乃の信頼に応えてくれた。どこまでも身勝手で我儘な願いを、なんの見返りを求めることもなく死ぬ気で叶えてくれたのだ。
本当はその傷ついた身体を労わって、伝えたい言葉は山ほどある。けれど、彼はそんなことは望まないだろう。呪いに侵されながらも戦い続けた晶葉、何の義理も無いのに助けに来てくれた七瀬。二人の為に、自分は自分の為すべきことをする。
日々乃が振りかぶった右手に握られるのは、それまで振るっていた短剣ではない。二振りの重牙を一度解体し、錬成し直した長槍だ。二本の黒槍が捩じれ合い、一振りの穂先を形作るそれは、互いが互いを喰いあっているかのようですらあった。
本来コード・アームとはその存在を固定するために形を変えるようなことはしない。それを限定的とはいえ可能としたのは、紛れもなく日々乃の類稀な才と積み重ねた努力であろう。
見据えるのは、体勢を立て直さんと脚を地に埋めた王樹。
その背後の月すらも穿たんと、日々乃は左脚を踏み込み、その上に腰を乗せて上体に溜めた力を解き放った。
「あ――――――――――――――!!」
天地を這う双子の蛇はやがて龍となり、互いを喰い合って唯一へと昇華する。
コード・アーム――『餓龍天斉』。
飢えたそれは全てを喰らい尽くす重力の化身。
――オオオオォォオォオオオオオォオ!!
夜空を切り裂いて一筋の閃光と化した黒槍を前に、王樹が叫んだ。それは全ての為す術を奪われた王が、唯一出来る抵抗であったのかもしれない。
朽ち木の喉が裂けんばかりに迸る声を食い破り、『餓龍天斉』は鳩尾に突き立つ。
衝撃の瞬間に爆発音が響き渡り、複雑に樹々が絡み合った王樹の身体が槍を中心にして大きく凹んだ。
次に起きたのは、暴食であった。
獲物に牙を突き立てた黒槍はその身に秘めたコードの力を発現させ、自身を中心とした高重力の力場を創り出す。龍が巨大なる咢で噛み砕くように、王樹はその身を徐々に拉げさせ、喰われていった。
その時あたりに響き渡ったのは果たして断末魔であったのか、あるいは呪詛の声であったのか、分かる者は既にこの世に存在しない。
後に残されたのは、主を失って光と崩れゆく木偶の残滓と、月に照らされた二人の少年少女だけだった。
夜の帳はまだ尚濃く、暁にすら遠いと空に浮かんだ月が言う。周囲は激闘があったことも忘れて静寂に包まれ、世界はいつも通りの時間を刻んでいた。
けれど、倒れた七瀬を抱き上げた日々乃は、確かにその時、長い夜が明けたことを感じていた。
次回からエピローグになります。
概念武装となっていた部分をコード・アームに直しました。




