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サクラが教えるチートの正しい使い方  作者: 秋道通
第一章 呪殺の王と盲目の剣
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気のゆるみが教える戦いの中の失念

 一歩足を進める度に、攻撃はより一層激化する。茨によって傷つけられるとはいえ、避け切れないものは脚で、拳で叩き落として前へ進む。


 それでも肩に抱えた綾辻にだけは被害を及ばせない。全力で走り抜けながらも、細心の注意を払って躱すが、ある一定のラインを割った瞬間、文字通り王樹の手数が増えた。


「七瀬!」

「ああ」


 すぐ近くで叫ばれた名前に反応して、俺は担いでいた綾辻を降ろす。直後に彼女は駆け寄って来た木偶を蹴り飛ばして俺のすぐ後ろに立った。


 おい、滅茶苦茶動けてるじゃねーか。そう言葉に出したいのは山々だったが、こっちはそれどころではない。振り下ろされる巨槍を、大剣を、蹴って逸らし殴って弾き、鞭は踏み潰す。


 衝突するために衝撃が身体全身に響き、弾け飛ぶ枯れ木の破片が顔を打つ。


 ――重いっ!!


 一発一発、裏拳で刀身を殴りつければ肩が外れかけ、穂先を蹴り飛ばせば腰が砕けそうになる。とても朽ち木で出来た身体とは思えない程の密度と粘りのある硬さは、衝撃を吸収しながら、俺の打撃を無視して突き進んで来た。


 後ろに立つ綾辻を見る暇は一切ないが、気配だけでその位置を感じて王樹の攻撃を逸らしていく。高まるコードの気配に、着実に綾辻が力を練っていることは分かるが、あと何秒だ。今、どれ程の時間が経った?


 ゴウッ! と枯葉と砂塵を巻き上げて大剣が横薙ぎに振るわれる。本来なら上下に避けるところだが、背後に綾辻が居る以上それは出来ない。故に、俺は左の肘と膝で以て挟み込んで受け止めた。


「ぐっ!」


 刃が胴体を捉えるあと少しの距離まで迫り、不可視の斬撃が胴を薙いだ錯覚さえ覚える。


 その隙とばかりに周囲の木偶が突進してくるが、俺は大剣を蹴り上げて木偶を吹き飛ばした。視界の外から近寄って来た輩は綾辻が対処してくれたらしい。


 確かに攻撃の手は徐々に荒々しく激烈と化していく。だが、これならば対応出来る。余計なことを考えず、身体の奥底が脈打ってコードを発動し、骨の髄まで染み込んだ身体の動きが、全ての状況に対応してくれる。


 行ける、そう判断した瞬間だった。


「‥‥あ?」


 王樹と、目が合った。


 髑髏の眼窩のように何もない深淵のはずが、確かにその瞬間俺の目を覗き込んでいた。


 枯れ木の魔物は感情らしい感情も無く、戦闘における勘もない。しかし、人を害す殺意は紛れもなく本物だ。


 俺の頭上で、王樹が一対の腕をこちらに向ける。それは今までのような槍でも剣でもない。さながら歪に膨らんだ蕾のような形状をしていた。


 頭の中で警鐘が鳴り響く。あれは、マズイと。


「七瀬!」


 俺の危機感を裏付ける綾辻の切羽詰まった声。そして、その後に続く言葉は言われなくても分かっている。


「耐えて!!」

「分かってるよ!」


 怒鳴り声で叫び返し、俺は腰を落として構える。どんな攻撃が来ても、綾辻を守り切れるように。


 直後、蕾が不気味に蠢き、開いた。


 吐き出されたそれは矢の雨だ。嵐と共に落ちて来て全てを穿つ。


「っ――!?」


 思考が停止したのは一瞬。綾辻に当たるものだけを判断し、その全てを叩き落とすために両の拳を握りしめる。今自分の身体のことは致命傷さえ避ければいい、綾辻を守ることだけ考えて身体を動かせ。


「っぁぁああああああああ!」


 一本目を弾いた瞬間には二本目が来る。二本、三本、四本、数えるのも馬鹿らしくなる枝矢は、激しい暴風雨となって身体を打つ。大仰な動きで捌けば次に間に合わなくなる。蹴りは不測の事態に一歩遅れるから最小限でいい。陰に隠れて飛来する矢をはじめから想定して動け。


 決して目を閉じるな。怖くても痛くても顔を上げて目を見開いて見ろ。


 一本を弾いたら周りを巻き込んで吹き飛ばす。地面に突き刺さった枝矢は蹴り砕いて移動し、足を取られないようにする。


 なんだ、簡単な話じゃねーか。たった人一人分、その空間だけを守る壁になればいい。望んでこの場所に来たんだろうが、退くな、一歩後ずさった分だけ一手が遅れる。


 脇腹を枝矢が掠め、怯んだ瞬間にこめかみが裂かれる。受け損ねた手は甲を抉られ、右足の太腿には気づかぬ内に矢が深々と突き刺さる。


 拳を開けば二度と握れなくなるだろう、足を止めれば一歩も動けなくなり、目を閉じた時には次開くことはない。


 全てが終わったと判断したのは、血に滲む視界の中で王樹の顔を再び見据えた時だった。


「‥‥はぁ‥‥ぁぁ‥‥」


 その時ようやく呼吸を思い出したように肺が酸素を求めて動き始める。腕の感覚はなく、肩から棒がぶら下がっているような重さだけが残っていた。どれ程傷を負っていて、どれくらいの血を流したのかも定かではないが、たった一つだけ間違いのない事実がある。


 背中に、柔らかな手の感触が触れた。


「七瀬、ありがとう」


 そう掛けられた声に振り向く余裕は一切ないが、その気配と視界の端で散る燐光で綾辻が隣に立ったのが分かった。


 一分間、短いようで恐ろしく長い時だったが、なんとか守り切れた。高まったコードの余波が肌を焦がし、綾辻の一撃が今まさに放たれんとしていることを感じ取る。これであれば、あの王樹であっても貫くことが出来るだろう、隣で感じる力だけでもそれを疑う余地はない。


 そう安堵した瞬間だった。



 

 ――オオオオォォオォオオオオオォオ!!!




 視界が狂い、俺は膝から崩れ落ちた。


「‥‥‥‥は?」


 心臓が鷲掴みにされるイメージが脳裏に刻み込まれ、全身の筋肉が収縮して硬くなる。視界一杯の地面が揺れ、吐き気と共に悪寒が全身から込み上げてきた。


 混乱する頭の中で、なんとか木偶のコードとその特性を引っ張りだす。


 この声は、まさか〝恐慌〟のコードか。木偶程度の精神汚染なら素の抵抗力で弾くことが出来たが、王樹のそれは別格らしい。


 いや、それだけじゃない。全方位から浴びせられる叫びは、重なり合って響き、増大していく。数秒とかけず王樹の声は周囲の全てを取り込み何倍にもなって四方八方から襲い掛かって来た。

あまりにも迂闊。王樹にばかり気を取られ、周囲の木偶を軽視し過ぎた。その結果がこれだ。暴力的な音の拳が頭を揺らし、強制的に刻まれる恐怖が精神を汚染していく。

そして、その影響は当然俺だけではない。


「ぅぁ‥‥」


 隣から聞こえる呻き声に、俺は濃密に高まったコードの力が解けて霧消していくことに気付いた。傷を負いながらも極限の集中力を保っていた綾辻だが、この〝恐慌〟のコードを受けてそれを維持することは出来ず、俺と同じように膝を着くのが横目に見える。


 この状況は不味い、俺の使える〝強化〟のコードはどこまでいっても近接戦闘特化。この状態で手近な木偶を数体殴り飛ばしたところで状況が好転するとは到底思えないし、王樹に向かっていけば結果は火を見るよりも明らかだ。


 どうする、どうしたらいい。


 噴き出す冷や汗が不快な感触を残して頬を伝い、目の奥で光が弾ける程の騒音が響き渡る。それらを強引に無視して打開策を考えんとするが、当然ながら思考なんて纏まるはずもない。


 そうしている間にも死の合唱はより勢いを増していき、その音に紛れて着実と木偶たちの足音が近寄ってくる。圧迫感が実態を持って身体を押しつぶしていくようだ。


 そしてついに俺の頭上に影が落ち、月明かりが闇に覆われた。何がなどと考えるまでもない。何故ならつい先程まで俺はそいつと相対し、その猛攻を耐え忍んでいたのだから。


「は‥‥」


 死が迫っている。避け得ぬ運命を前に、ただ乾いた笑いが零れた。俺は夢の中の俺、あるいは前世の俺自身がどう死んだのかを覚えていない。確かなのは一度死を迎えている、それだけだ。


 だからだろうか、こうして目前に同じ状況に陥った時、俺の感情は波立つこともなく静かに沈んでいく。身体の感覚が徐々に遠くなっていき、自分の意識だけが外界から切り離されるのだ。 


 動かなければならないのに、今度こそ守ると覚悟を決めてここに来たはずなのに、身体はまるで言うことを聞いてくれない。


 そんな中最後に耳に入ったのは、ハウリングでも、王樹が振り下ろした大剣の風切り音でもなかった。

これまで聞いたこともない程にか細くとも、自らを奮わせようとする少女の声。


「‥‥まだ、まだ終われないの‥‥こんな、ところで」


 その声に俺は反射的に手を伸ばそうとして、その意思が身体に届くよりも早く俺の意識は夜闇に飲み込まれた。


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