恐れが教える王樹の存在
「上等」
剣と槍と爪と棘と、隙間なく視界を覆い尽くす殺意に、しかし日々乃は笑う。自らを奮わせるようにそう口の中で呟き、単身で凶器生い茂る樹海へと止まることなく突っ込んでいく。
進行の邪魔となる木偶に逆手に握った重牙を突き立てて細い体をへし折り、出来上がった微かな間隙に更なる重牙を喰い込ませて身体をねじ込む。
敵の数はほぼ無尽蔵と言って良い。先ほどの一撃のような派手な攻撃は多数の木偶を一度に殺すことが出来るが、その分体力と集中力の消耗も激しく、疲労が蓄積すれば王樹との戦いの前に数に押しつぶされる。
故に、必要最低限の力でもって自らの突破力を生かして突き進む。
日々乃の右手から放たれた重牙が前方の木偶をまとめて串刺しにし、鎖が波打って地面へと叩き付けた。空いた空間へと流れ込む木偶の頭を踏みつけ跳躍すると、下から振るわれる枝槍を身体を捻って躱しながら首筋へと左の重牙を突き込んで頭を飛ばす。
地面に着地すると同時、倒れ込むような低さで地を蹴り、振り下ろされる大剣の更に下を掻い潜って胴体を重牙で抉った。
弾けた木偶の破片が頬を切り裂き、アッシュブロンドの毛先を散らした大剣が背後で地面を斬り付ける。木偶は返り血の心配をする必要がない代わりに、破片が目に飛んで来たら面倒だな、とどこか冷静に思いながら、日々乃は重牙を突き刺した木偶を近場の一体に叩き付けた。
鎖を引き戻した右の重牙で木偶を背後から貫き、それを一瞥もせずに日々乃は飛ぶようにして走る。
金色の尾を引きながら木偶の合間をすり抜け骸を量産する彼女の動きを捉えることが出来るのは、月の光だけだ。伸ばされる木偶の手は妖精の鱗粉に巻かれるように金の残滓を掴み、次の瞬間には意識の外から飛来する牙に噛み千切られる。
しかし、木偶に恐れという感情は存在しない。血飛沫のように夜空に散る枯れ木の欠片を意にも介さず、消えゆく仲間だったものを踏みつけて日々乃へと突進する。
だが、
「‥‥見えた」
日々乃は防御した腕ごと木偶を蹴り砕きつつ、そう呟いた。鋭く尖った視線の先にいるのは、闇の中に佇む巨悪。
微かな月明かりの中で、擦り切れた襤褸切れの如き外套をはためかせ威容が動いた。この距離まで来れば、その姿が他の木偶と大きく異なっていることが分かる。
木偶三体分にもなろうかという巨体が立ち上がり、外套の下から三対、計六本の腕が夜空を掴むように広がった。胴体は多数の木偶が捩じり絡まりあうようにして造られ、何本もの根が脚となって地面を突き刺す。
「っ‥‥!」
そして外れたフードの下から覗く、三つの洞によって出来た髑髏の如き顔と枯れ枝の冠。日々乃は洞の眼に見つめられた瞬間、確かに恐怖した。
王樹。この死と怨嗟の怪物を前にして、自分のどれ程小さく、命の儚きことか。
幾多もの木偶を屠ってきたはずの重牙の重みが頼りなく、コードの輝きが闇に飲まれて明滅する。
その時、王樹が動いた。大地を割って根が成長し、動きを止めた日々乃の足元から突き上げ槍衾と化す。それはまさしく彼女が見せた一瞬の隙を完全に突いた一撃だった。巻き上げられた土や枯葉の残骸と共に血飛沫が散り、天へと伸びる根を濡らす。
不意に訪れた静寂が異界の密林を包み込んだ。
木偶が槍衾を包囲し、その輪を徐々に狭めていく。
その様子を見つめる王樹は、あることに気付いた。今日は比較的月の光が明るく、開けたこの場所なら地表まで光が届く。密集する突き出した根のせいで分かり辛いが、夜の中で一層濃い影が不可思議な揺らめき方をしたのだ。
――オオオオォォオォオオオオオォオ!!
その意味を理解した瞬間、王樹は天に向かって〝恐慌〟の叫びを上げた。
「ああぁあっ!!」
そして、そのハウリングをかき消すように鋭い声が響く。
王樹が視線を上げた先、月を背負った日々乃が重牙を構えて一直線に落ちて来る。あの槍衾を即座の判断で空へ逃れた日々乃だが、その身体には避け切れなかった故に無数の裂傷が刻まれていた。しかしその目は爛々と獰猛な光を湛えて王樹を捉える。
そして衝突は瞬きする間もなく為された。
一閃の矢と化して飛び込む日々乃に対し、王樹がその巨体に似合わぬ速度を以て迎撃する。王樹は〝恐慌〟の雄叫びを上げたまま六本の腕を剣や槍に変えて振るい、日々乃を叩き斬らんとするが、彼女もまた限界まで集中力を研ぎ澄ませてそれを見ていた。
加速する思考とそれに反比例して遅延する視界の中、目前まで迫る槍に日々乃は重牙を放つ。正面から迎え撃つのではなく鎖を巻き付けて機動の起点とするために。
直後、巻き付けた重牙を使うことで直線的な動きから曲線的な物に切り替えた日々乃は王樹の攻撃を避けながらすれ違いざまに胴体を斬り付ける。
「かたっ‥‥!」
だが、その刃の通りにくさに日々乃は悪態を吐いた。硬質的な硬さではなく、繊維が密集した斬りにくい硬さ。これまで一蹴してきた木偶とは外見だけでなく中身からして作りが違うということを、改めて痛感する。
しかし、それを嘆いている暇はない。
時に周囲の木偶を踏み台にしながら〝重力〟のコードを使用して王樹の周囲を飛び回る。その手から放たれる重牙は様々な角度から王樹の身体を削り、更にはアンカーとなって日々乃の機動に変化を加えていた。
一見したところ王樹の攻撃は宙を空振るばかりで、日々乃が押しているように見える。
けれど、攻勢を続ける彼女の顔には徐々に焦りが生まれ始めていた。
本来強力無比であるはずの重牙は決定打になり得ず、その一方でこちらは攻撃が掠っただけでも即詰みに繋がってしまう。
しかも気を付けなければならない敵は王樹だけではない。周囲の木偶もまた虎視眈々と日々乃を引きずり落とそうと枯れ木の身体を鳴らしているのだ。
(しっかりと溜を作れる余裕があれば、有効打にもなり得るけど‥‥)
日々乃は自身を追う巨腕を避けながら思案する。
日々乃の重牙は集中してコードを何重にも組んで発動すれば、通常の比ではない威力を出すことが可能であり、その一撃は王樹の身体さえも穿つ。それは前回の戦いの時に確認している。
問題はその時間を稼ぐ方法。
たった一人では避けることに相当な意識を割かねばならず、そんな余裕などあるはずもない。下手に距離を取ればこれまでの努力も水の泡だ。
それでも、やらねばならない。被害を受けることを覚悟し、一撃で殺せる技を放つ。
もしその結果、相討ちになったとしても。
日々乃がそう決意した瞬間だった。
「がっ!?」
強烈な衝撃が胸を打ち、視界が予期せぬ方向に吹き飛んでいく。決して油断していたわけでも、思考にかまけて集中力を乱したわけでもない。故に、その直撃は日々乃にとって全く青天の霹靂であった。
まるでどんな攻撃を受けたのかも分からないが、今重要なのは何らかの方法で日々乃が空中から叩き落とされたということ。
「ぁぐぅっ!」
肺が痙攣し、食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。体勢を崩されたせいで回る視界、インパクトの際肺から空気を吐き出してしまったにも関わらず、身体にかかるGのせいで呼吸すらもままならない。
このままでは受け身も取れずに地面に叩き付けられる、そう判断した日々乃は王樹に突き刺してアンカーとしていた重牙を使って強引に体勢を立て直そうとする。右腕に千切れそうな程の負荷がかかり、ミシミシと身体の内側から悲鳴が上がった。普段なら〝重力〟のコードで和らげるところだが、今はそれに意識を割くだけの余裕もない。
なんとか勢いを殺して地面に着地した日々乃は、呼吸する間もなく顔を上げて王樹を睨み付けた。
一体何が自分の注意を掻い潜ったのか。こちらを見下ろす王樹は六本の腕を振り上げようとしているところだったが、その中で日々乃は明確な変化を見つける。
一本の腕が、これまでの剣や槍ではなく、細長く撓る形状へと変わっていたのだ。注視すればそれは歪な棘のように枝がささくれ立っており、まさしく茨の鞭と化している。
日々乃の動きに対応出来ていないと判断した王樹が武装を作り変えたということだろうが、これまでそんな行動は一切取って来なかった故に、まともに受けてしまった。
手で胸を押さえれば、流れ出た血の感触が傷が決して浅くないことを教えてくれる。遅れて灼け付く痛みが身体を侵し始めた。




