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サクラが教えるチートの正しい使い方  作者: 秋道通
第一章 呪殺の王と盲目の剣
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閑話 夢が教える彼女の力

 『掌風竜』は体調凡そ十メートル程度であるが、尾の長さが三分の一程を占めるため見た目の大きさは竜の中でも小柄な部類だ。


 樹海の中に溶け込むような翡翠の鱗に、枝を掴むための頑強な鉤爪と発達した後ろ足。だが何よりの特徴は長い前脚と、その脚と身体の間に張られた翼膜だろう。〝颶風〟の秘言を持ち、風を操ることに長けており、翼で風を掴んで高所ではなく樹木の生い茂るリンカル樹海の中を高速で滑らかに移動する。


 性格は極めて獰猛であり、人間の姿を見れば反応できない程の速度で飛来して容易く骨ごと食い千切ってしまう。まあ、魔物なんてものは大体が獰猛なものだが。


 こいつの厄介なところはその行動範囲の広さでそもそも見つけにくい点と、恐ろしいまでの飛行速度だ。本来高速で移動するには全く向かないはずのリンカル樹海でさえトップスピードを維持したまま飛び続けることが出来るというのだから恐れ入る。


 追い詰めたはいいが、翼膜を傷つけないように戦っていたせいで逃げられたなんてのもざらに聞く話だ。


 もうリンカル樹海に潜ってから二週間は経っている。これで逃げられたのでは笑い話にもならない。


 俺はピリピリとした殺意に肌を焼かれる感触に笑みを深めながら、虫除けの外套を脱ぎ捨て、〝強化〟の秘言を発動させる。穏やかな風は、逆に嵐の到来を告げているようだった。

微かな木漏れ日に照らされて翡翠の鱗が透ける程に輝き、長くしなやかな尾がシャランと剣の如く鋭く揺れた。そして、枝葉の影の下で金色の瞳が見開かれ縦に割かれた瞳孔が俺たちを見据える。


 そう俺ともう一人の連れは今、言葉通り夢にまで見た掌風竜を目前に捕らえていた。


 全く計画も立てずに探索していたにも関わらずこの竜まで辿り着けたのは、偏に同行者である女のおかげだ。目が視えないハンデを背負って尚、否、視えないからこそ彼女には自分と全く別の世界が見えているようだった。


 風の匂い、葉擦れの音、肌を通して感じる空気の質感。彼女はそれらから常人の何十倍もの情報を読み取っていたのだ。


 俺にとっては行き当たりばったりにしか思えない道の選択も、彼女にとっては確固たる理由あってのことというわけだ。その証左が目前の竜である。


 そして、そんな中でも彼女にとって最も信頼する目が一つだけ存在した。


「―――くん、私は今から突っ込みますけど、翼は傷つけてはいけないんでしたよね」


 最強種と名高い竜を前にして、いつも通りの能天気な口調で話す女に俺は頼もしさとともに薄ら寒さを覚える。戦いに入った彼女は放たれた矢と同じだ。恐れず、臆さず、ただ敵の急所を抉るべく飛翔する殺意の塊。


 故に俺は高揚する戦意を落ち着かせながら、女に答える。


「そうだ、翼が依頼の品だからな。俺が前に立って注意を引きつけるから、まずは尾を切り落としてくれ。あいつが超高速で樹海を飛ぶためにはあの長い尾でバランスを取る必要があるんだ。それが機能しなくなっただけでも逃す可能性は大きく減る」

「分かりました」


 そう端的に言うと、女は貫頭衣のような上着から右手を出した。細く、白いその腕は触れれば折れてしまいそうな程に儚げで、しかしそれが死神の腕だということを俺はよく知ってる。


 直後、その腕から秘言の光が燐光となって散っていく。彼女の持つ秘言は単純明快、〝刀剣〟。


 それを象徴するようにして、燐光は銀の光となって帯と化し、編むようにしてその手の中に一振りの剣を顕現させる。それは両刃の片手剣で鍔もない単純な造りのものだった。刀身は薄く、周囲の景色全てを写しだす鏡の如く煌々としている。


 彼女の概念武装、あらゆる刀剣の要素を言霊として宿したそれは、全にして一、一にして全なる剣。


 この剣を見るたびに、この女と初めて会った日のことを思い出す。これがあるからこそ、こいつは糞尿に塗れたスラム街であろうと、貴族に剣を向けられようと、竜の目前であろうと泰然自若としていられるのだ。


 何故なら、それだけあれば自分という存在を確立できると知っているから。自分が自分であるために、他には何も必要がないことを直感で理解しているからだ。


 俺の秘言では少しの反応も見せなかった掌風竜が、鎌首を擡げてこちらをその双眸で睨み付ける。彼女の作り出したたった一振りの剣が、自身を殺し得る脅威だと本能的に判断したのだろう。


 大樹の枝に寝そべらせていた身体を起こし、その四肢に力を蓄える様子が見て取れる。


 全く以て人を馬鹿にした蜥蜴だな。


 俺は軽んじられた事実に内心で舌打ちしながら、納得もしていた。それ程までにこいつと俺との間にある格差は大きい。


 故に俺は無言で拳を握り、一歩前に出る。見ろ、貴様の相手はこの俺だと主張するように。


 シュュゥ、と掌風竜の口の隙間から息が漏れ、風が枝葉を揺らしてその身体へと集中していく。


 そして、それは風に巻かれた砂が視界を横切った瞬間に起こった。


「っ!!?」


 まるでその残影すら捉えさせず、掌風竜が跳ぶ。

 視界から一瞬にして消え失せた竜の姿に驚愕するよりも早く、ゴッ! と足場の枝を蹴り折った音が響き渡った。


 ――初速からなんつー速さだ!!


 もはや視線で追っていられるレベルではない。暴風が最も強く吹き荒れるルートを身体の感覚で予測し、地を蹴る。奴の狙いは、間違いなく俺ではない。自分にとって最も危険と感じた彼女を初手から全力で殺しにかかるはずだ。


 そして、その判断は間違いではなかった。凄まじい速度の中視界に翡翠が割り込み、身体が硬質な感触と衝突した。痛みと衝撃に歯を食いしばりながら、それを強引に殴りつけて、その軌道を変える。直後、圧縮された風が竜の後を追うようにして吹き込み、俺の身体を枯葉のように吹き飛ばした。


 舞い散る血飛沫に、鼓膜に叩き付けられる轟音。そして叩き付けられた衝撃に息が詰まる。


 涙に滲む視界を強引に目を見開いて周囲の状況を確認すると、俺は先ほどまで立っていた位置から随分遠く離れた場所まで弾き飛ばされていた。


 砕けた樹木の破片と破壊の爪痕が竜の超速移動を物語っているが、それを為したはずの掌風竜の姿は見えない。


 視界の中で立つのはただ一人、周囲を血で汚しながらその剣は刀身に血糊も残さず、返り血すら浴びていない女の姿だった。


 俺は思わず呟く。


「マジ‥‥かよ」


 まるで何ごともなかったように立つ彼女。その傍らに切り捨てられているのは、優美な翡翠の尾だった。恐るべきことに彼女はあの一瞬で、俺が目で追うことさえ出来なかった竜の尾を、寸分違わず切り落としたのだ。背筋も凍りつかせるように冴え渡った絶技。


 そもそも竜鱗と言えばこの世で最も硬い物質の一つ。それらが流線型を作るように重なり合った竜の鱗は、竜鱗斬り、竜鱗通しなど武器の銘に使われる程、攻撃を通しづらいのだ。

にも関わらず、女はそれを容易くやってのけた。横合いから殴りつけて吹き飛ばされた俺との実力の差は明確だろう。


 まったく‥‥戦いの度にこうして見せつけられるわけだが、本当に嫌になる話だ。


 だが、その事実に嘆息している暇はない。


 女が俺に背を向けるようにして樹海の奥へと目を向けている。よく見れば、その視線の先の樹々には引っ掻いたような傷跡と血糊が残されていた。


 成程、掌風竜の姿が見えないと思ったら追い打ちされないために樹海に潜ったか。つくづく賢いやつだ。


「‥‥」


 吹き飛ばされただけで、身体に痛みはない。改めて〝強化〟の秘言を発動しながら、俺は油断なく女と同じ方向に視線を向けつつ立ち上がる。


 直後、樹海の奥から低い唸り声のようなものが響いてきた。巨大な口に吸い込まれていくように周囲の空気が渦となって樹海に吹き込み、周囲の枝葉が不穏なざわめきを奏でる。


 その音が消えた時、樹海の影の中から翡翠の竜がその姿をゆっくりと現した。


 微かに血が付着し、尾が半ばから無くなっている以外は、一見先ほどまでと変わりなく見えるが、その瞳に宿る殺意は明らかに別物。微かに存在した侮りは一切消え、油断なくこちらを伺っている。


 しかも変化はそれだけではないらしい。注視すると、その身体の周囲に細かい塵のようなものが舞っているのが分かるが、それらは全て限界まで磨り潰された物質が圧縮された風の中を流れているためだ。


 移動だけでなく。攻撃、防御においても驚異的な力を発揮する暴風の鎧。それを纏って尚、慎重に間合いを測る様子から掌風竜の戦闘能力の高さがよく分かる。


 俺が一人で立ち向かえば、一手仕損じただけで即座に死ぬだろう。それ程までの圧と緊張感を、本気になった掌風竜は放っていた。


「はは‥‥」


 だが、俺は無意識の内に笑っていた。


 掌風竜の動きに呼応するようにして手に提げた剣を構える女の後姿を見ながら、一歩を踏み出す。


「笑っているのですか?」


 隣に立った時、こちらに一瞥くれることもなく彼女が言った。戦いの最中に話しかけてくるなんて、珍しいこともあるもんだ。


「さあ、どうだろうな」


 未だ強敵との戦いを前にすると恐怖に身体が震えるし、高揚した戦意に振り回されることだって多々ある。


 けれど、こいつが隣にいる間だけは落ち着いて自分をコントロール出来る。それは彼女が己の剣を信頼しているように、俺がこの女を誰よりも信頼しているからだ。


 二人でいる限り竜だろうが悪魔だろうが巨人だろうが、たとえどんな強敵が立ちふさがろうと負けることはない、そう直感で理解しているからだ。


「さて、行くか」


 どうせ答えがあるとは思っていないが、俺はそう呟くように言った。

 しかし予想に反して、視界の端で黒髪が揺れ頷くのが見えた。


「はい、行きましょう」


 その一言は間違いなくどんな秘言による強化よりも効果的であったろう。


 俺は竜を見据え、その拳を固く握りしめる。負ける気はしなかった。


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