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サクラが教えるチートの正しい使い方  作者: 秋道通
第一章 呪殺の王と盲目の剣
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保健室が教える彼女の温もり

 目覚めた時、深い哀しみと寂寥感、そして充足感が混濁とした言いようのない郷愁に胸が締め付けられる感覚がした。頬を冷たく濡らす感覚と、全力疾走した後のような荒い呼吸。


 また、前世の夢を見ていた。


 どこか鬱蒼と大樹の茂る樹海の中で、俺は女性と共に何かを探して歩いている。地球上では見ることが出来ないような、天地の双方を覆い付く樹林の中、俺は呆れながら歩いて行く。何かを探しているはずなのに、その手がかりもないまま女の背を追うのだ。


 ずっと、ずっと、長い間俺は彼女の背を追い続け、そして――。




「目、覚めたのかしら?」




 横合いからかけられた声に思わず顔を向けると、そこでは椅子に腰かけて作業中だったらしい綾辻日々乃がノートパソコンから顔を上げてこちらを見ていた。


「あ、ああ」


 とりあえずそう返したはいいが、状況が上手く把握できない。蛍光灯の明かりが眩しい振りをしながら、涙の痕を拭う。


 どうやら俺はベッドに寝かされているらしく、純白の布団が身体にかけれているのだが、ここは一体‥‥と周囲を見回すと、覚醒してきた頭が学校の保健室という答えを導き出す。


 同時に、つい先程まで自分がどういった状況にあったのかも思い出した。


「そうだ‥‥はぐれてから従僕共に囲まれて‥‥それから」


 ギリギリの状況で三神を背に庇いながら戦い、そして捌き切れなくなった結果背後から胸を貫かれたのだ。

 そこから記憶がないわけだが、


「‥‥」


 軽く布団をめくって確認すると今俺はいつものジャージではなく学校指定の体操服を着させられており、触った感じでは胸の部分の傷は閉じている。まだ引きつくような痛みがあることから、まだ完治というわけではなさそうだが、三神がコードで治療してくれたのだろう。


 改めて思い返すと、死んでいてもなんらおかしくない傷だったはずだ。


「‥‥三神は?」


 綾辻にそう起き上がりながら問おうとすると、立ち上がった彼女に肩を押されてベッドに横たえられる。アッシュブロンドの髪が流れ落ちて俺の頬をくすぐり、同時に柑橘系のように爽やかな、けれど甘い香りが鼻を抜けた。


 すぐ間近に、整った綾辻の顔がある。宝石の様に美しく透き通った翡翠の瞳が俺を間近で覗き込む。彼女は普段通りの毅然とした表情の中、青色を落とした様に哀し気に、それでいて何かを堪えるような表情でこちらを見つめていた。


「おい、なんだ」

「まだ傷が完璧に塞がったわけじゃないの。まだ暫くはそうやって安静にしておいて」


 俺の言葉を遮ってそう言うと、そのまま綾辻は無言で手を伸ばし隣のカーテンを軽く開ける。

 そこには、俺同様に土埃や泥を落とされた三神が静かに横たわっていた。


「‥‥無事‥‥なのか?」


 見た目表情は安らかで、布団のかけられた胸元はゆっくりとだが上下している。なんとか生きてはいるようだが、まるで生気を感じさせない顔色に静かで緩慢な呼吸は見ている側を不安にさせる。


 綾辻に問う声は自分でも分かるほどに震えていた。あれだけ綾辻に大口叩いた癖に、途中から意識がない上、二人に助けてもらう始末。


 自分のしでかした事態に声が震えるが、聞かないわけにもいかなかった。

 綾辻は俺のベッドに腰を降ろし、静かな口調で答える。


「晶葉は大丈夫、疲労で意識を失ってるだけよ。直に目覚めるわ」

「‥‥そうか」


 正直、安心した。なんとか最低限の仕事は果たせていたらしい。安堵するとともに、重い倦怠感が圧し掛かって来るのは、力が抜けたからだろうか。

「そういや、今何時なんだ?」


 ここからでは窓が見えないのでどれ程意識を失っていたのか分からない。二人でこの保健室に寝かされているということは、まだ朝にはなってないと思う、というか思いたい。朝帰りなんてことがバレたら、鬼畜生の名を欲しいままにする姉からどんな追及、もとい尋問を受けるか分かったものではない。家族会議という名の審問会が開かれること待ったなしだ。


「まだ四時過ぎといったところよ。五時頃になったら家に送るから、今日は休んだ方が良いわね」


 四時、というと現界期がちょうど深夜程だから、意識を失ってから三時間以上は経過しているということになる。あまり長時間という程ではないのは助かった。


 にしても、綾辻にどこか優し気な表情を向けられるというはむず痒い。表情というか、なんとなくの雰囲気だが。それだけ心配をかけたということだろう。


「いや、送るのは別にいいよ。傷自体はもう塞いでもらったし、休む必要もないだろ」


 今は倦怠感に身を委ねているが、これは傷というより出血と疲労によるものだと思う。今生でそんな体験をしたことはないはずだが、少なくとも危険な状態からは脱したと妙な確信があった。


 しかし綾辻は静かに首を横に振る。


「晶葉が治療したとはいえ、本調子で治療できたわけじゃないし、そもそも胸を貫通するような傷よ? 本来なら守り人でも一週間は安静にすべきだわ」


「いや、そりゃそうかもしれんが」


 客観的に起こった事実だけを見ると、確かに相当なものだ。俺も詳しいわけじゃないが、普通ならトラウマとかになっていてもおかしくない。身体の中が熱を帯び、異物が入り込んでいく感覚。薄れゆく意識の中で、自らの命が流れ出していく恐怖は、間違いなく頭の中にこびりついている。


 ただ、それで今身体が震えるようなことはない。まるで無意識下において慣れてしまったような感覚。それは果たして恩恵なのか弊害なのか、正直俺には分からなかった。


 そして、恐らく正当な訓練と戦闘経験によってその場所に至ったであろう綾辻はまるで先ほどまでの死闘を感じさせぬ風情で言う。


「‥‥元々、あなたのその傷は明らかにこちらの落ち度だもの。これ以上悪化させるような可能性は見過ごせないでしょう」


 ああ‥‥、こいつがさっきから複雑な表情をしていたのはそういう理由か。綾辻は突然人を鎖で縛りあげるわ、無理矢理戦場に駆り出すわ、こちらの事情も気にせず教室に押し掛けるわとやりたい放題な女だが、戦場に立つ者としての覚悟と責任感は間違いなく本物。


 だからこそ、こいつにこんな顔をさせているのは俺が原因だ。


 しかし、ここで俺が謝罪をすることを綾辻は決して求めないだろう。そんなことくらいは俺にも分かる。故に、これ以上の負担をかけるわけにはいかない。


 俺は綾辻にも分かるように、隣のカーテンへ視線を流した。


「大体、綾辻はそいつを見とかなきゃいけないだろ? どちらにせよ送るのはいいよ」


 それこそ、朝帰りの挙句に同級生の女の子に家に送ってもらったなんてことがバレたら、審問会が一足跳びで処刑場に早変わりである。まだ死にたくないよぉ‥‥。


 綾辻は三神に弱い。実際、俺の言葉に綾辻は視線を彷徨わせ、とても悩まし気な表情を作った。ここが押しどころだ。ついでに俺の生と死の境界性である。


「明らかに俺より体調悪いんだ、見といてやれよ」

「そう‥‥ね。ごめんなさい」

「おお、気にすんな」


 俺の言葉が一押しになったのか、綾辻は頷いた。

 これでなんとか朝帰りに女子同伴で帰るってことだけは免れた。身体に力を込めて、上体を上げる。


「まだ寝てなさいと言ったはずよね‥‥」

「いや、流石にそろそろ帰らねーと下手すりゃ起きた母親と鉢合わせするからな。言い訳が思い付かん」


 切実な問題を言葉にすると、綾辻は複雑そうな表情で頷いた。いや、確かにさっきまでの命のやり取りに比べれば大したことないかもしれんけどさ。


「‥‥そう。あなたのジャージはそっちに置いてあるから」


 その言葉に見やると、そこには丁寧に畳まれた俺のジャージが見える。どんな方法かは知らんが血糊も落ちているらしい。綾辻も〝清浄〟のコードとか使えるのかしらん。プラスコードの中でも比較的使える人間が多い覚えはあるが、俺は使えないので羨ましい。


「ありがとよ」


 そう言いながらベッドから降りると、血が足りないせいか身体がふらついた。うまく脚に力が入らず、頭が普段の何倍も重くなったようい感じる。ヤバい、何かに捕まらないとと手を伸ばす。


 瞬間、柔らかい手がしっかりとした力で俺の身体を支えた。


 アッシュブロンドが視界にチラつき、ついさっきも感じた香りが鼻腔を擽る。


 倒れそうになったところを綾辻に支えられたのだと理解したが、身体は言う事を聞かず綾辻に体重を預けるようにして寄りかかる。沈み込むような柔らかい感触と服越しに感じる仄かな体温、そしてその中にある確固とした芯は俺の身体程度は揺るがなかった。


「わ、わりい」


 ぼやけた思考と視界の中、ゼロ距離で感じる綾辻の感触と匂いに頭が別の理由でクラクラするが、なんとかそれだけを絞り出すように言った。


 これは色んな意味でヤバい、なんであんな戦える癖してこんなやわっこいんだよ。その上あれだけ動いた後なのになんでこんな良い匂いすんだ、同じ人間か。


 今俺の顔が綾辻からは見えてないということだけが不幸中の幸いだろう。俺の動揺にも気づいた様子はなく綾辻は言う。


「だから言ったじゃない‥‥」

「大丈夫、少しフラついただけだ」


 言いながら綾辻から身体を離そうとするが、どこに手を置いていいのか分からず無様に宙を描く。もがけばもがく程、暖かく柔らかな沼の中に沈んでいくようだった。


「まったく」


 そんな呆れ声と共に力強い手が俺の肩を掴み、その瞬間背筋が伸び、顔が上がる。

 綾辻が立たせてくれたのだろうが、不思議と足腰に力が戻りなんとか自立出来るようになった。


 なんだこれ、マジック? 綾辻は〝治癒〟のコードは持っていなかったはずだ。


「‥‥悪い。なに‥‥したんだ」

「少しばかり活を入れただけよ。ちょっとした技術だから、一時的なものでしかないけど」

「なんだそれすげー」


 マッサージとかストレッチの延長線上にあるものなんだろうか。どちらにせよ一般的な女子高生が持っている技術ではない。それに関しては今更に過ぎるか。


 どうにか立てるようになった俺は気恥しさのせいでうまく綾辻の目を見ることも出来ず、


「ありがと」


 と少し俯きがちで礼を言うと、綾辻は口元に微笑みを浮かべて答えた。


「こちらこそ。晶葉を守ってくれてありがとう」


 直後、顔を上げた俺の視線と綾辻の視線が結びつく。


「こんな傷を負っても晶葉を守り続けてくれた。どう言ったら伝わるか分からないけど、すごい感謝してる。ありがとう」


 世界は彼女以外の色を失ってモノクロに褪せ、アッシュブロンドの髪が薄明けのように淡い光を伴って揺れた気がした。


「‥‥っ」


 ‥‥なんだよ、その顔。


 こいつと関わりはじめてから、俺は綾辻日々乃は生涯を賭し、戦う人生だけを選んだ人間だと思っていた。


 けれど、違う。凄絶に死と生の境目で輝く月のような綾辻も、そして仲間と共に日常に帰れたことを笑うこの彼女も、全て同じ一人の少女なのだと俺は遅まきながらに気が付いたのだ。


 結局三神に負担をかけてしまったとか、俺のせいで窮地に陥ってしまったとか言わなきゃいけないことは沢山あったはずなのに、俺は彼女の笑顔の前に全て忘れて見入ってしまったのだ。


 綾辻と寝たままの三神に別れを告げて、何かに憑かれたように上の空のまま家に帰った俺はなんとか家族に見つかることなく自分のベッドに潜り込み、適当に理由をつけて学校を休んだ。


 綾辻の言う通り俺の身体は限界に近かったらしく、そのまま夜まで起きることなく泥のように眠り続けた。何故かその日、前世の夢を見ることはなかった。




 だから、気付けなかったんだ。俺の携帯に一通のメールが入っていたのを。






【今回の件で七瀬くんの自己防衛能力が確かであることが確認出来たため、暫くの間ですが保護を学校活動時間内にさせていただきます。  綾辻日々乃】


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