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サクラが教えるチートの正しい使い方  作者: 秋道通
第一章 呪殺の王と盲目の剣
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月が教える七瀬凛太郎の力

 生暖かい血飛沫が頬を濡らし、晶葉は叫ぼうと口を開けたまま瞠目した。


 視線の先で、向かってきた木偶を一蹴した七瀬が立ち尽くしている。


 その胸からは血に塗れた枝が飛び出し、切っ先から雫がぽたぽたと落ちるのが見えた。その背後には、大きな影がそのまま立ち上がったかのような木偶が佇んでおり、七瀬が晶葉を守るために背中で攻撃を受けたのは誰の目にも明らかだった。事実、木偶が突き出したもう片方の枝槍は七瀬の手によって掴まれている。


 ――どうして。


 七瀬一人であれば、こんなことにはならなかっただろう。晶葉は、いや普段から綾辻日々乃という天才と共に行動する彼女だからこそ、その事実を如実に感じる。


「がっ‥‥」


 直後、七瀬から粘ついた血の塊を吐き出す。

 それはまるで魂を搾り出すように、月の明かりを受けて怪しく輝く血はそれだけで見る者の不安を掻き立てた。


「‥‥七瀬!」


 堪えきれなくなった晶葉が叫ぶと、七瀬が焦点の合っていない目でこちらを見る。徐々に光を失って淀んでいくそれに晶葉が慌てて〝治癒〟のコードをかけようとするが、疲労と痛みが集中力を奪い、コードの光が無為に散るだけで効果は発動しない。そもそも〝治癒〟のコードは患部に手を当てることで最も効果的だ。この距離、今のコンディションで使用したところでこうなるのは目に見えていたし、七瀬の胸にはまだ槍が刺さったままだ。傷口が閉じるわけもない。


 そんな簡単なことも判断できないほどに今の晶葉は動揺していた。


 そして七瀬の目から完全に光が消え、がくんと頭が落ちる。まるで電池の切れたおもちゃのように、晶葉が幾度となく訓練の中で、実戦の最中に見てきた光景だ。


「あ‥‥あぁ‥‥」


 ズッ、と背後の木偶が七瀬の胸から腕を抜き、その動きに合わせるようにして七瀬の身体が頼りなく揺らいだ。


 まだ日々乃が助けてに来てくれるような気配はなく、晶葉の持つコードに戦闘に使えるようなものはほぼ存在しない。


 〝受容〟のエクストラコードを持つ彼女は他者よりも圧倒的にプラスコードの適用が広い代わりに、何かに強力に干渉、影響するようなコードを全く使えない。


 便利で、器用だが、所詮はそれだけ。守り人としては三流で、同業の人間からはおまけ、金魚の糞とまで揶揄されるような存在だ。


(私じゃ、私じゃなければ)


 ここに居る人間が日々乃とは言わずとも、せめて普通の守り人であれば七瀬にこんな負担をかけることにはならなかっただろう。


 一刻も早く木偶を倒し、七瀬を治療しなければならない。そうしなければ、本当に手遅れになると分かっているのに、夜空を背負ってこちらを見る洞を見た瞬間、晶葉は自分が勝てないことを悟った。


 身体に刻まれた恐怖が身体を縛りつけ、心さえも折ろうとする。


「いや‥‥来ないで‥‥」


 粘ついた音と共に七瀬の胸から槍が引き抜かれ、木偶が晶葉へと向きなおる。徐々に近づく木偶の巨体に月が隠れ、これまでどれだけ調子が悪くともおくびにも出さなかった少女は、その瞬間弱音を呟いた。


 直後、晶葉は信じられないものを見る。 


「‥‥ぁ」


 小さく、か細い呟きと共に立ったまま意識を失っていたはずの七瀬の身体が僅かに震え、顔を上げたのだ。


 その目には未だ理性の光は灯っておらず、焦点の合わない視線はどこを見ているのか分からない。


 その動きに気づいたのか、木偶が七瀬の方に洞の顔を向ける。


--逃げて! 


 そう自身の恐怖も忘れて晶葉が叫ぼうとした瞬間、彼女の目前で時が跳んだ。


「‥‥え?」


 クルクルと、月明かりに照らされて丸い物体が宙を舞う。

 まるでコマ落ちしたかのように、晶葉の捉えきれないスピードで何かが起きていた。


 トンッ、と軽やかに着地する音のすぐ後で、晶葉のすぐ横を鈍い音と共に落ちてきた木偶の頭が転がっていく。


夜闇の中で、瀕死寸前だったはずの少年が立っていた。


その姿に、七瀬が回し蹴りで木偶の首を刈り取ったのだと理解するが、晶葉の頭の中ではありえないという声が響き渡る。


七瀬の胸に痛々しく刻まれた傷跡は開いたままで、俯いた顔に浮ぶのは感情を感じさせない虚ろなもの。

動くことはおろか、立っていることさえままならない傷のはずだ。


しかし、この場に七瀬以外に木偶を倒せる人間は他にいない。

納得しがたい現実を前に、しかし時間は待ってはくれない。新たに現れた木偶が周囲からこちらに距離を詰めてきている。


だが、どうしてか晶葉はその瞬間周りに注意を払う気になれなかった。何かに魅入られたかのように、枯れ枝の如き頼りなさで立つ七瀬を見つめる。


直後、晶葉はあり得ない事象を見た。


木偶たちが二人へと近づき、その距離が一定のラインを割った瞬間、七瀬が動く。それは決して素早い動作ではなかったが、恐ろしく静かで無駄のない動き。


晶葉がなんとか首を回して彼を追う視線の先で、一体の木偶が膝を折られ、膝をついた瞬間には首が手刀で落とされる。それに反応しようとした一体はまるで吸い込まれるようにして七瀬の間合いに踏み込み、直後には胸を掌底で打ち抜かれた。


洞から上がる絶叫が周囲に響き渡り、醜く悍ましい攻撃的な生存本能露わにした木偶が腕を振るう。

しかし、当たらない。


〝強化〟のコードが闇の中で光の破片を散らしながら、七瀬は危なげもなく木偶の胴体を砕き、首をねじ切り、腕を取って叩き伏せる。


 もう限界のはずなのに、意識さえ明瞭でないはずなのに、七瀬の動きは夜に溶け込むように、邪魔な全てを削ぎ落して洗練されていく。


 置き、流れ、崩れ、跳ねて烈火と化す。


 それは初めて見るはずなのに、晶葉は幾度となく見続けたことがあるような既視感を覚えた。


 そうだ。この七瀬の動きは、日々乃のそれによく似ている。戦闘スタイルがというわけではなく、身体捌きが似通っているわけでもない。


 ただ、何千何万と自身の身体に叩き込んだ型と、経験に裏打ちされた迷いのない動き。


 絶えず修練を怠らず、骨の髄まで闘い方を染み込ませた戦士がある一線を越えたところにある偉容を、七瀬はその瞬間確かに見せていた。


 迫りくる樹の剣を七瀬は自身の腕で受け流しながら、次の瞬間には肘をへし折り、バランスを崩したところに膝蹴りを叩き込む。


 背後から振るわれた枝爪もまるで見えているように半身になって躱し、振り向きざまの裏拳で朽ち木の巨躯を粉砕した。弾け飛んでいく破片がその威力を物語っているが、いくら〝強化〟のコードを発動していたとしても、そう容易く破砕出来るほど木偶とて脆くはない。晶葉では同じコードを使用しても素手では倒すことさえ難しいだろう。


 単純に、日々乃の錬度と七瀬のセンスが頭二つも抜けているのだ。

 既に晶葉には木偶に囲まれていた時の恐怖は存在しない。ただ困惑と焦燥、そして妙な安心感を感じていた。


 そして七瀬が最後の一体を貫き手で沈黙させた時、周囲に蔓延していた怖気は消失しており、新手が現れる気配もない。


 今この時、怪奇蔓延る現界期が終わったのだと理解する。


 未だ月は高く夜が明けるにはまだ時間があるだろうが、この瞬間が訪れるまでに随分と長い時が経ったように感じてならない。


 直後、木偶を倒してからぼんやりと立っていた七瀬がグラリと傾げた。


「あっ」


 それに慌てて駆け寄ろうとするが、晶葉も立てぬことさえままならない身。傷が開いたまま動き続けた少年の身体は全身が血に染まっており、倒れた少しの衝撃でさえ危ういものに違いない。


 それが分かっていても見る事しか出来ない晶葉の視線の先で七瀬がそのまま崩れ落ち、地面に倒れ伏す直前で黒い影が割り込んだ。


「あ‥‥」


 夜の中で尚月に映えるアッシュブロンドの髪が慣性に靡き、相当急いで来たのか珍しく荒い息を吐きながら七瀬を抱き留めている。


 それは晶葉にとって最も信頼できる人物であり、最高の相棒。


「‥‥日々乃」


 離れていたのはほんの少しだったはずなのに、泣きそうな程に彼女の姿を見た瞬間安堵した自分に晶葉は気付く。


 日々乃はそのまま七瀬を背負い晶葉に近寄ると鉄のように冷たい表情を崩し、その頬に手を当てた。


「晶葉‥‥ごめんなさい。七瀬までこんな傷だらけになってしまって」

「私は‥‥平気だから‥‥」


 そこまで言うと、晶葉はギリギリの中で集中力を繋ぎ止め、何とか手に〝治癒〟のコードを発動させる。今にも消えそうに仄かな燐光がはらはらと舞い落ちた。


 日々乃はその明らかに無茶な行為に一瞬顔を歪めるが、しかし無言で七瀬を降ろして晶葉の目前に横たえた。そして、眼を見開いて思わず口元を覆った。


「こんな、酷い‥‥」


 改めて見る七瀬の状態に日々乃は驚愕と共に言葉を失った。夜のせいで分かり辛いが全身は裂傷だらけで黒く濡れそぼ理、呼吸は酷く浅い。最も深い胸の傷は赤黒く底の見えぬ穴となり、七瀬の命が際限なく吸い込まれていくようにも見えた。


 晶葉が手を翳すと、儚くも力強く光が七瀬の胸の傷を伝って流れ落ちて消えていく。徐々に閉じていく傷。それはまるで晶葉の命そのものを与えているようにさえ見えた。


 しかし、治療の中で腕から力が抜けていく。今意識を失ってしまえば七瀬は助からないだろう。


 あと少し、あと少しでいいからっ‥‥!


 その願いを汲むように、そっと晶葉の手首を日々乃が掴む。言葉はなく、ただ微かな力だけが晶葉を鼓舞してくれた。


 暫くすると暗くても分かる程に青白い顔をしていた七瀬の顔にじんわりと赤みが差し、なんとか傷も止血することは出来た。まだ血は足りず、意識を取り戻すには時間もかかるだろうが、比較的呼吸は安定している。急所を外れていたのが幸いだろう。


(よかっ‥‥た‥‥)


 自分を死力を尽くして守ってくれた人をなんとか死なせずに済んだ。そのことに安心した瞬間、晶葉は自らの意識が一気に遠のいていった。


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