現実が教える本当の戦い
世の中、漫画やアニメを見て非日常に憧れる男子中高校生がどれ程いるだろうか。夜の街に浪漫を求め、何か特殊な能力に目覚めないかと妄想し、非常識な事件に巻き込まれることを求めている。
俺の場合は夢の中で面白味の欠片もないような世界観を体験していたのでそういったことはなかったが、その反面学校での甘酸っぱいラブロマンスには人一倍惹かれていた。
クラス一の美少女と、ひょんなことから知り合い、気付けば色々な出来事に巻き込まれて仲を深め、最後には付き合って‥‥。
そんな可愛らしい妄想を日々したものである。うん、まあそれが実現するレベルっていうのは超能力に目覚めるのと同じくらいあり得ないことなんだけどさ。
さて、結局俺が何を言いたいのかと言えば。
「っらぁああ!!」
樹の隙間から音も立てずに現れた従僕に、俺は腕を振るう隙も与えず拳を叩き込む。
枯れ木の折れる音が響き渡り、粉砕することを確認せぬまま次の標的へと視線を移す。
大地を踏み抜き、巨躯が疾走する。空気を引き裂いてこちらへ突き出される右手の枝槍を、左手で捌きながら外側へと回り込む。左脚を軸に、従僕の枝槍を内へ巻き込みながら回転。その勢いのまま右の肘を従僕の脇腹に突き立てた。
本来であれば首を叩き折る技だが、従僕を相手には体躯の関係上届かない。
だが、それで十分だ。
〝強化〟コードの輝きが夜に散り、枯れ木の破片を後に残して従僕は横へと吹き飛んでいく。腕に残る感覚だけを頼りに殺したと判断した。
これで何体目を倒したか分からない。川べりのここは比較的開けているため、月明かりでもある程度の視界が確保できるが、それにしたってないよりマシ程度だ。樹の化身たる奴らからすればこの山は有利にしか働かない。いつどこから攻撃されるか分からない現状は、想像以上に体力を消耗する。
今ここに、蛇を振るう綾辻はいない。
ほんの少しの間、戦いの中に生まれた静寂に邪悪の気配が入り混じる。残っているのは、後何体だ?
ゆっくりと身体を蝕む疲労と絶望に抗いながら、俺は三神を背に庇うようにして立つ。
現界期真っ只中、俺はどこかも分からない山の中、三神と二人だけでアウターの大群の中に取り残されていた。
「ぁ‥‥はぁ‥‥」
背後から聞こえる途切れ途切れの吐息に、三神の限界が近いことが感じ取れる。
全く以てふざけた話だ。こんな非日常なことが起きるというのなら、是非美少女とのラブロマスが始まる方をお願いしたい。囲まれるならこんな怪物よりも女の子の方がいいに決まっている。
世の中起こって欲しくないことばかりが起こり、人生ままならないと痛感するようなことばかり。
何故こんなことになっているのか、時は十数分前に遡った。
◆ ◆ ◆
「今日は、随分とお客様が多いみたいね」
それは、裏山へと踏み込もうという時だった。
独り言のように呟いた綾辻に、俺は酷く憂鬱な気分で黒く鎮座する山を仰いだ。
綾辻の言う通り、今日は普段よりも空気の密度が来い。まるで海の底に沈んだように、冷たい悪寒が身体に纏わりつく。
ああ、そうだ。思い出したくもないこの気配は、死がすぐ身近に這い寄っている感覚だ。
「‥‥分かっているとは思うけど、君はあまり無理はしないようにして。どこからアウターが来るから分からないから、私から離れないで」
「ああ、分かってるよ」
普段と変わらないような口調だが、三神の声音にもどこか緊張感が感じ取れる。そんな些細な変化にさえ気づいてしまう程、この二人と一緒に居ることに驚くべきか悲しむべきか。もし俺が普通に学校で同じシチュエーションになっていたら、思わずポエムを書くくらいには喜んだかもれしれないが、現実は非情だ。
だが、そんなことをうだうだ考えていられる程、今日は余裕はないらしい。
頼もしいことを言ってくれる三神は、鈍感な俺から見ても明らかに調子が良くない。綾辻の言う通り、この少女は気丈にもその気配を見せまいとしているが、もはやそれも難しい程に憔悴が見て取れた。
こうなると本当に、俺に仕事が回ってくる可能性も高い。
そんな俺の様子に気付いたのか、それとも三神の緊張感を和らげるためか、前を歩いていた綾辻が振り返って言った。
「安心しなさい。いくら木偶が群れた所で大した脅威にはならないわ。私の範囲に居さえすれば、晶葉には寄せ付けない」
実力に裏打ちされた自信のある発言は、その出で立ち振る舞いと合わせて綾辻に相応しいものだった。‥‥ん、待てよ?
「俺はどうするんだ俺は」
「晶葉の側に居れば死ぬことはないわ」
それ、少しでも離れたら死ぬってことじゃないですかやだー。はじめて会った時と違って、徐々に綾辻からの扱いが酷くなっている気がする。
まあ、あんまり女の子に守られてばかりというのも恰好が着かないとは思うが。
そして、そんなくだらない掛け合いをしていられたのは、少しの間だけだった。
暫く三人で歩き、裏山の中でも比較的傾斜が緩やかで開けた場所に出る。戦い易い場所を選んで、わざと樹々を伐採して造った戦場だ。
三神の腕からコードの光が漏れ、幾つかの光球が出現して夜を淡く照らす。
これまでで幾つ目のコードだ? 戦闘系統の物はほとんどないが、本当に万能だな、こいつ。俺の知る限り個人の所有するコードの適正というのは、そこまで多い物じゃない。
よしんば多量のコードを持つ者でも、基本的にエクストラに関係するものだけのはずだが、三神はこれまでに少なくとも〝結界〟系統、〝修復〟、〝治癒〟系統、〝光〟のコードを使用している。明らかに系統としては多様に過ぎる。
たぶん三神のエクストラコードが関係してるとは思うんだが‥‥、今はそんなことを考えている暇はなさそうだ。
「‥‥来たわね」
呟く綾辻の声を切っ掛けにするようにして、周囲から地を踏み、枝を揺らす気配が現れる。光球に照らされて尚深い闇色の洞が次々と覗き、空気の漏れるような奇々怪々とした声が微かに耳に届いた。
ここ最近で酷く見慣れた『朽ち木の従僕』だ。変化があるとすれば、数が徐々に多く、体躯が大きくなっている個体が見られるようになったくらいだろうか。
やり口が延命するオンラインゲームのようで、欠片の新鮮味も見られない。まるで淡々と負荷をかけられるようなストレスにハゲそうだ。この年で十円ハゲが出来たらどうすんだよ、国が補填してくれんのか。
「‥‥結界を張るから、こっちに」
「あ、ああ」
綾辻が無言で前に出て、俺は三神の側に寄る。人払いの結界を学校から裏山にかけて張るだけでなく、俺の周囲にも簡易の結界を張る三神には感心する他ない。
そして、結界の外で綾辻が躍る。
重牙と呼ばれたコード・アームが夜を切り裂き、従僕に牙を突き立てて破砕する。横合いから突き出された剣枝に対しても、綾辻は一片の動揺も見せずに腕を振るった。鎖が渦を巻くようにして剣を絡め取り、そのまま噛み千切る。朽ち木の破片が爆ぜる中、武器を失った従僕に側面から疾駆する蛇が食い破った。
数が多くなろうと、巨躯になろうと彼女には関係ない。天地を問わず、物理法則を無視した軌道で這う蛇は従僕程度に避けきれず、彼らの単調な攻撃は重力を味方につけた彼女を捉えきれない。だが、何より綾辻の戦闘センスがずば抜けている。
速度と力だけを頼りに鎖を振り回すのではなく、周囲の状況を逐一把握しながら短剣を突き立て、時には足を鎖で絡め取り、時には自身の体術で以て確実に従僕を破壊していく。立体的な軌道でありながら、生物を思わせる程に巧みな鎖捌きは、一つの演舞にも見えた。
それは、見慣れない光景だった。戦いとは泥臭く、研ぎ澄まされた刃のような緊張感が張り詰めたもののはずだ。彼女のそれはあまりに流麗で、美しい。
類稀な才能に、一体どれ程の物を犠牲にして綾辻はこれだけの力を手に入れたのだろうか。俺がのうのうと平和を享受し、漫画やゲームに時間を費やしている間、こいつは昼夜を問わず過酷な訓練を続けていたに違いない。
その瞬間、頭の中にバチバチとしたスパークが散るような感覚が起こり、幾つもの光景が浮かんでは消えた。
それはまるで、ノイズの酷い断片的な映像を見るように。
襤褸の外套に身を包んだ女が鏡の如き剣を抜き放ち、一閃が闇夜と共に景色を両断する。月に照らされて散っていく赤の飛沫が雨となって辺りに降り注ぐ中で、眼帯がこちらを向いた。
辺りに立ち込める血臭のせいか、あるいは女の持つ死の気配が見せたのか、薄い布の奥で、光を失った瞳が俺を見つめているような錯覚を覚える。血の池に足を取られるように、魅入られた身体は微動だに出来ない。
そうだ、幾度となく見てきたあいつの戦いも、同様に美しく、そして誰よりも悍ましかった。
「七瀬!!」
瞬間、俺を虚ろな幻想から引き戻したのは、切迫した三神の叫びだった。
「っ!?」
正気に戻ってまず見えたのは、恐ろしい速度で迫る巨躯の従僕だった。その身体は左肩から胴体の半ばまでを消失しながらも、洞から絶叫を響き渡らせ、残った右手を剣と化してこちらへと叩き付ける。
「んぅっ!」
バチィッ! という音とともに三神の張った結界と従僕の剣とかせめぎ合い、力の余波が火花のように散った。衝突音と、背後から洩れる苦悶の声。
待て、何が起こってんだ? 普通に考えれば、綾辻の攻撃から命を拾った従僕が近場にいたこちらに襲い掛かってきたのだろうが、どうして俺はこの瞬間までそれに気づかなかったのか。
気が抜けているなんてもんじゃねえだろっ‥‥!
「晶葉!!」
とても綾辻の物とは思えない悲痛な叫びが聞こえると同時、結界が粉々に砕け散る。
オォォオオオォオォオオオオ―――――!!
洞から響く声が顔面を叩き、髪が揺れて頬が引きつるのが分かった。鼻先数センチにまで迫った凶器を、〝強化〟のコードを発動させて寸前で掴み取り、拳を痩せた胴体に叩き込む。
怨嗟の声に身を震わせながら、倒れていく従僕に、しかし安心している暇はなかった。
大地が鳴動し、足元に揺れと共に違和感が沸き起こる。
それは今まで愚直に突っ込むことしかしてこなかった従僕たちの動きからの明確な変化。元来、こいつらは見ての通り植物から派生して生まれた怪物だ。故にこそ、その本質としてこうした攻撃方法が存在することも想定していてしかるべきだったのだ。
「――なにっ!?」
俺の後ろで同様にその予感に気づいた三神が叫び、こちらへと綾辻が疾駆する姿が見えるが、それは余りにも遅い。
俺は反射的に三神の小さな身体を抱え込み、地面に目を向ける。
直後、大地が割れた。
「チッ!!!」
地面を食い破るようにして幾本もの樹の根が立ち上がり、俺たちを突き刺さんと殺到する。寸前のところで飛び退り避けることは出来たが、片手に三神を抱えている俺では全てを迎え撃つことは出来ない。
次々とこちらを追うようにして地面から乱立する根をなんとか避けつつ、どうしても避け切れない物だけは片手で捌く。暗い景色の中、綾辻も根や従僕に足止めを受けて遠ざかっていくが、綾辻から離れない等と言ってる暇はなかった。
これで晴れて命の保障はなくなったわけだ。気のせいじゃなければ、脇に抱えている三神の身体はグッタリと力無く為すがまま。避ける時の無茶な機動のせいで意識を失ったのか。
ふざけんな畜生。綾辻と昼間にあんな会話をした途端にこれだ。何かに呪われてるとしか思えないタイミングの良さだな。
取り合えず、この根もそこまで広範囲をカバー出来るわけではないはずだ。まずはその範囲外まで逃げて、これを発生させている中核を綾辻が破壊してくれるのを待つのが得策だろう。
そう、そこまで考えた時。
「――は?」
足元の感覚が消失した。振り向けば、何も見通せぬ闇が沼のように広がっている。
どうやら気づかぬ間に崖際まで追い込まれ、根から逃げることに夢中だった俺はその勢いのまま後ろ向きで崖から飛び出したらしい。しかも、脇に不調の少女を抱えたまま。
――冗談だろ?
そんな言葉を呟くことさえ叶わず、先ほどまで居た場所が凄まじい勢いで遠ざかっていく。
ただ手の中の少女を怪我させないように、それだけを考えて俺は三神を強く胸に抱き暗闇の中へ落ちていった。




