第44話 数々の犠牲
レオポルドたちはメガロシュに向けて、馬をかけていた。メガロシュはもうすぐ目の前に見えていた。
「味方の損害は!?」
レオポルドは兵士がどれぐらい死んだのかわからなかった。
「ここにいる1000を除くと、ほぼ全滅かと……」
シルヴァが恐れ多くもレオポルドに申し上げる。シルヴァとしてもこの数の損害は予想外であった。
「なんということだ……」
レオポルドはうなだれる。レオポルドは自分は兵法においては少し抜きん出ているところがあると思っていた。いや、少しではなく、かなりだと思っていた。しかし、今回、それは勘違いだったと思い知らされた。自分でも信じられないほどの損害を出してしまったのだ。レオポルドは自身の矮小さを思い知った。
「おいレオ! 後ろから追っ手が来ているぞ!」
アレクセイの呼びかけに振り返ると、そこにはエルンスト軍の追っ手がすぐそこまで迫っていた。最早どうしようもなかった。
「このままでは逃げ切れない! 追いつかれてしまいますぞ!」
エステバンの言葉に全員が最早これまで、と覚悟をした。しかしここで一人の男の大きな号令が響いてきた。
「1000の兵士諸君、これよりこのダリオ=サヴォイアはエルンスト軍に向かって攻勢を仕掛ける! このままでは誰一人として助かることはない! このレオポルドさまはなんとしても生き残なければならない方だ! 私は将軍として、レオポルドさまに最後まで尽くそうと思う! 諸君、今こそレオポルドさまに恩を返すときではないだろうか!?」
そう言って、ダリオは反転して、エルンスト軍に突っ込んでいった。
「ダリオ!」
レオポルドの叫びはダリオに届いたのだろうか、ダリオの遺言とも取れる言葉が聞こえてくる。
「レオポルドさま、このダリオ=サヴォイア、レオポルドさまにお仕え出来て、まこと幸せでありました! この身朽ちようとも、我が魂はいつもエミリアのそばにいるとお伝えくだされ! それでは、今はこれまで!」
そんなダリオに兵士たちは次々と続く。
「レオポルドさまのために!」
「いくぞぉ!」
兵士たちは大声をあげてエルンスト軍へと向かう。
「やめろ! 死ぬ気か!?」
レオポルドは馬を止めて、反転しようとする。
「おやめください!」
シルヴァの叫びがあたり一帯に響き渡る。
「あいつらが死んでしまう! 助けないと!」
「馬鹿をおっしゃられるな!」
レオポルドの両親はシルヴァに打ち砕かれてしまう。そうしていう間に兵士たちは次々と倒れていく。もうダリオはどうなったかわからない。
「ダリオさま始め、多くの兵士が作ってくれたこの好機、逃すわけにはいきません! レオポルドさま、あなたは生きなければならない! 今はただ、彼らの思いを無駄にしないためにも、メガロシュへ戻りましょう!」
シルヴァは冷酷なのかもしれない。そう取られても無理はないだろう。しかし、シルヴァは至極論理的な決断を下したのだ。感情を抜きにした決断を。レオポルドはシルヴァの目元には確かに涙が浮かんでいることを見て、シルヴァもレオポルド同様、辛いのだと感じた。
「メガロシュへ向かう! 彼らの命、決して無駄にはせん! 生き残るぞ!」
そう命令を下して、レオポルド始め、生き残った者はメガロシュへと急いだ。
レオポルドたちは命からがら、メガロシュへ逃げ帰った。彼らは生きた心地がしなかった。レオポルドは初めての修羅場を経験した。
彼らは急いで領主邸へと、作戦を立てるために戻った。扉を開けると、そこにはフェリス、エミリア、リンダ、エレオノーラがいた。彼女らにでもこの戦況はかなり危険なことがわかったらしい、彼女なりに何か助けにはなれないかを話していたようだ。
「レオ、戦況はどうなの? 何か私たちにできることはない?」
フェリスの優しい呼びかけすらも今のレオポルドにとっては、ただ不愉快なものにしか感じられなかった。レオポルドはフェリスに応じる余裕がなかった。そんな中でエミリアはダリオがいないことに気づく。
「お父様は……?」
エミリアの疑問は全員の心を射抜いた。レオポルドはまるで、見えない鋭利な矢に胸をえぐられた心地がした。全員は黙ったままでいる。
「死んじゃったの?」
エミリアの無垢な疑問がさらに雰囲気を凍りついたものにする。
「ああ、俺たちを逃がすために、敵の軍に突っ込んでいったよ……。すまない、ダリオが死んだら、俺のせいだな」
レオポルドはエミリアの発言に耐えかねて、真実を告げるほかなかった。エミリアはその場に崩れ落ちる。
「そんな……」
エミリアは信じられなかった。あの強くて優しい父が死ぬなんて、考えることもできなかった。エミリアは悲しかった、というよりは事態にただただ、呆然としていた。
「とにかく、会議室に集合だ。これからについて、話し合おう」
レオポルドはシルヴァらにそう言って、会議室へと向かった。
「くっそおおぉ!」
レオポルドは会議室の机を蹴り飛ばす。自分の不甲斐なさ、脆弱さ、矮小さを思い知ったからだ。レオポルドはそれに耐えきれなかった。
「レオポルドさま、どうなさいますか?」
シルヴァはレオポルドのこれからの意向を知ろうとする。
「このメガロシュは捨てる」
「なんですと!?」
この発言に一番敏感に反応したのはエステバンだった。
「しかしレオポルドさま、ここはレオポルドさまがこれまでずっとお治めになってこられた地! それを捨てるのですか!?」
エステバンにしてもこの地を離れることは喜ばしいことではなかった。エステバンはこのメガロシュに人一倍、愛着を感じていた。エステバンにとっては故郷にようなものだった。
「命には代えられん。仕方ない」
レオポルドとしても不本意なことは十分エステバンに伝わった。エステバンはそれ以上何も言わなかった。
「とにかくこのメガロシュにいるもの全員に避難の準備をするように伝えろ」
「どうするつもりですか?」
シルヴァがレオポルドに真意を確かめる。
「俺たちがゴリモティタに逃げるまで、護衛して連れて行く」
レオポルドの答えは愚行とも取れる発言であった。彼らがメガロシュから逃れたとしても、必ず、エルンスト軍は追っ手を差し向けてくる。そんな中で領民を連れて行くのは自殺行為に等しかった。
「でもレオ、そんなことしちまったら、絶対に逃げられないぞ!」
学問がからっきしなアレクセイにもそれくらいのことはわかった。
「そんなことはわかっている! だからと言って、領民は見捨てられんだろう……」
レオポルドらしい思いだった。領民を思う、思慮深い領主だ。
「わかりました、そうしましょう」
シルヴァは納得する。シルヴァはレオポルドについていくと決めたのだ。ここでもレオポルドを信じようと思った。
「ところでレオポルドさま、私に残りの1000の兵を与えてくださらんか?」
エステバンが兵の貸借を申し出る。レオポルドはエステバンが何を意図しているのかすぐにわかった。レオポルドは黙っていた。
「何、このエステバン、少し歳をとりすぎたようにございます。レオポルドさまの周りにはもう既に若き、頼もしい仲間がいらっしゃるではありませんか。もう私が気がかりなことは何もございません。安心して、シルヴァ殿とアレクセイ殿に任せられます。それに私はこのメガロシュを離れたくはござらん。この老いぼれに死に場所を与えてはもらえませんでしょうか?」
レオポルドは自分の唇を噛み締めて、悔しさをこらえて、黙っていた。シルヴァ、アレクセイもそうだった。
「すまない……」
レオポルドは涙を抑えて、エステバンに感謝の意を表した。
「何をおっしゃられますか。私は嬉しいのです。私が養育係になってから、もう10年が経ち、レオポルドさまはこんなに立派になられた。そんなレオポルドさまのお役に最後に立てるのですから、私は幸せ者です」
レオポルドは涙を我慢できなかった。目から涙がひとりでに溢れてきた。止めることなどできなかった。
「では、エステバン、我々のゴリモティタ退却のため、このメガロシュで時間を稼いでもらう。それでいいな?」
レオポルドは命令を出すのが辛かった。俺たちのために死ねと言っているようなものなのだから。
「御意、お任せくだされ」
エステバンは胸を叩いて、そう言った。




