10-①
アウルは部屋の窓から空を見上げた。
青い空だ。
まだ思い通り動かない腕に力を入れる。ほんの少しだけ動かしただけで、痛みが走った。
(これじゃあ、マデリンを抱き上げるのはだいぶ先だな)
つい口から出た約束を思い出して、アウルは苦笑する。
あのときはマデリンを守るのに無我夢中だった。
マデリンに向かって振り下ろされた剣先。あのままの軌道を通っていれば、確実にマデリンは死んでいただろう。
あのときのことを思い出すだけで、この身が震える。
(もどかしいな)
動かない手を見ながら、アウルはため息ついた。
今ごろ家で怒られていないだろうか。
痛い思いはしていないだろうか。
トルバ侯爵はマデリンに厳しい。今回のことで叱責されるのは間違いないだろう。
アウルはマデリンを送り出したことを後悔した。
アウルはベッドから降りると部屋を出る。
怪我をした左腕は上手く動かすことができないが、歩くのは平気だ。
廊下を歩き、家族が集まるサロンに顔を出すと、両親と祖父が神妙な顔で一枚の手紙を見つめていた。
「みんな葬式みたいな顔で集まって、どうしたんですか?」
「アウル……」
母はこまったようにアウルを見上げた。父も祖父も何も言わない。
すぐに何かよくないことが起きていると、直感した。
祖父の隣に座ると、父が手に持っていた手紙を無言でアウルに差し出す。
アウルは何気ない気持ちで読んだ。
「これは……」
「婚約を撤回したいという申し出だ」
アウルの右手が震える。
たしかにそう書かれていた。
(これは、誰の字だ? なぜ、こんな悪戯……)
悪戯でなければおかしいではないか。
なぜ、婚約を撤回する必要がある?
ルイードの計画は阻止した。ナターシャは死ななかったし、アウルはその罪を着せられることはなかった。
アウルは手紙を握りしめ、両親を見た。
「なぜですか?」
アウルの問に、母は言葉を探すようにゆっくりと答えた。
「前トルバ侯爵が、今回のアレス家の件に関与していたそうよ」
「前……?」
「昨日、トルバ家の爵位は息子に移ったと通達があった」
父が補足する。
「それと婚約の撤回が何か関係があると言うのですか!?」
アウルは思わず叫んだ。
マデリンの父が今回の件に関係していることなど、想定済みだ。
しかし、それと婚約破棄はまた別の話ではないのか。
「トルバ家の元当主はアウル、あなたを排除しようとした」
「それが何だというのですか!? それを阻止したのはマデリンだ! マデリンがいなければ今ごろ……」
左手に力が入ってアウルは痛みに震えた。
奥歯を噛みしめる。
「父上も母上も、これに賛成なんですか?」
「トルバ家が今後どうなるのかわからない」
「当主が交代したのであれば、そんな心配はありません。それに、トルバ家と婚姻を結ぶくらいで、うちが傾くわけではないでしょう?」
ようやく、手が届くところまで来たのに、なぜ手放さなければいけないのだろうか。
「父上、どうか、どうかこの結婚は私の好きにさせてください。今まで以上に努力します。ルート家をもっと大きくすると誓います。だから……」
アウルの声は震えていた。
深く頭を下げる。
どうしてつかんだ手を離すことができるだろうか。
トルバ家が撤回を申し出ても、こちらがそれを了承しなければ、婚約は続行される。
「アウル……」
「私にできることは何でもします。だから……」
アウルの目から一筋の雫がこぼれた。アウルは慌てて拭う。
すると、突然祖父が口を開いた。
「いいじゃないか。家の事情なんて」
「お祖父様……」
「トルバはだめでも、マデリンまではだめにならん」
「それはそうですが、好奇の目にさらされるのはアウルなんですよ?」
「婚約をなしにしても続けても好奇の目は向けられる。マデリン以上にいい子は知らんよ」
祖父はそれだけ言うと、ゆっくりと立ち上がった。そして、アウルの頭を乱暴に撫でる。
「怪我まで負って守った女性との結婚、認めてやりなさい」
「ですが、婚約の撤回は向こうの意志ですよ?」
「父上、母上。時間をくれませんか? トルバ家と、いや、マデリンと話をしてきます」
一方的な提案に納得ができるわけがない。
マデリンが今、何を考えているのか知りたかった。
両親はしばらくのあいだ悩んだあと、顔を見合わせ頷いた。
「……そうね。あなたがそこまで言うなら、しっかり話てきなさい。私たちは二人で決めたことを尊重するわ」
「この手紙の返事は保留にしておく。だが、相手の気持ちもきちんと汲み取りなさい」
「はい。ありがとうございます」
アウルは再び頭を下げた。
***
マデリンは部屋の中、ベッドの上で転がっていた。
ベッドの上で銃弾を転がす。
「お嬢様、いいお天気ですよ? もう謹慎が解けましたし、お出かけになられては?」
「そうね……」
マデリンはボーッと空を見上げる。
いい天気だ。
空が青い。こんなにいい日は馬に乗ったら気持ちがいいだろう。
「なんだか疲れているから、今日はやめておくわ」
「お嬢様……。最近そればっかりですよ?」
マデリンは枕に顔をうずめた。
これ以上、聞きたくない。そういう意味を込めて。
父の処罰は兄が王族と相談して決めたようだ。




