9-⑭
父は大きな声で叫んだ。
「うるさい! おまえも姉さんも、女のくせに大きな顔をして!」
(姉さん……。伯母様のこと?)
父には三つ上の姉がいる。隣国の侯爵家に嫁いで行ってしまったため、会うことはめったにない。
マデリンが会ったのはまだ幼いころのことだ。
太陽のように明るく快活で、頭のいい人だと祖父から聞いている。
祖母によく似ているとも。
比べて父はどちらかというと内向的で表に出るのが苦手な性格だった。
『うちは女のほうが元気だから』
祖父がよくそう笑っていた。
祖父は狩猟が趣味だったが、社交のほうはあまり得意ではなかったようだ。いつも祖母に助けられていたと笑っていた。
(そういうことね……)
女のくせに。
この言葉をマデリンは何度聞いただろうか。
「お父様がどうして私にだけ厳しく当たるのか、ずっと気になっていました」
母や兄は父に従順だから、マデリンにだけ特別厳しいのだと思っていた。
祖父という味方がいることが気に食わなかったのかもしれない。そう考えていた時期もある。
けれど、それも正解ではないのかもしれない。
(私を通して、伯母様への気持ちを晴らしていたのね)
マデリンがおとなしくしていても、父はマデリンを虐げ続けただろう。
「おまえが言うことを聞かないからだ!」
「そうやって、私を従順にさせたら伯母様に勝てたことになるのですか?」
「うるさいっ!」
父は力強く机を叩いた。
「うるさいうるさいうるさいっ!」
叫びながら机の物を倒していく。
まるで子どもが駄々をこねているようだった。
何が不満なのだろうか。伯母は隣国に嫁いでいない。トルバ家を継いだのは父だ。
それだけで十分ではないのか。
マデリンにはわからなかった。
「おまえは私の言うことを聞いて、ルイードのもとに嫁げばよかったんだ! そして、生涯苦しめばよかった!」
「お父様は私を苦しめたかったの?」
「ああ、アウル・ルートと婚約しておまえに笑顔が増えた。それでよくわかったよ。おまえは姉さんと同じ顔をしている。あんな顔は、もう見たくもなかった。私はトルバ家を継ぐために必死に学んできたのに、なぜ姉さんだけ幸せになる? 私は好いてもいない女を妻に迎えたのに、姉さんは愛しているからと遠くに逃げて行った。それが許されると思うか!?」
「私を不幸にするために、ナターシャとアウルを犠牲にすることを選んだの?」
「ああ、そうだ。おまえの幸せな顔を見るくらいなら、そのくらいの犠牲なんてことはない。いや、アウルが捕まれば、おまえは……」
父は狂ったように笑った。
ありもしない未来を見て、笑っている。
マデリンがいくら苦しんでも、父と伯母との過去は何も変わらないというのに。
そんなことでアウルを苦しめたのか。
マデリンには関係のない、伯母への恨みで。
(これ以上は話し合っても無駄ね)
猟銃を持つ手に力が入る。
「お父様とは分かりあえないみたい」
マデリンは猟銃を構えた。
「な、何をするつもりだ」
「私、アウルが好きよ。誰よりも。だから、こんなことをするお父様を許せないの」
マデリンは冷静だった。
いや、猟銃を構えている時点で、本当に冷静なのかはわからない。
父が後退る。しかし、すぐに本棚で逃げ場を塞がれてしまう。
「さようなら」
マデリンは引き金を引いた。
バーンッ。
破裂音が部屋に響く。
バタバタと大きな足音が聞こえ、勢いよく扉が開いた。
「父上、何があったのですか!? ……マデリン!?」
扉を開けてすぐ、兄は目を見開いた。
兄の後ろには数名の使用人たちがいる。
マデリンはいつもどおり、にこやかに返事をした。
「お兄様、ただいまかえりました」
「お、おかえり。今……銃声が」
兄は眉根を寄せ、この部屋を見回す。床に散らばった本や書類。
この状況ははたから見れば異常だろう。
「ちょうどよかった。お兄様を呼ぼうと思っていたのです」
兄は意味がわからないのか眉根を寄せる。
そして、本棚のところで倒れている父を見つけ、駆け寄る。
「父上!? 父上!? 大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。少し驚いて倒れただけですもの」
マデリンは小さく笑って言った。
兄めギョッとしてマデリンを見る。
「もしかして、おまえ……父上を!?」
「お父様がルイード様と共犯だと聞いて、驚いてしまって」
「マデリンッ!? それはどういうことだ!?」
兄は驚きに声を上げた。そして、気絶する父を見下ろす。
こんなに大きい声を出した兄を見るのは初めてかもしれない。
「お兄様だって、薄々感づいているのではありませんか?」
「それは……」
兄は言いよどむ。
「きっと今ごろ、ルイードは殿下に言っているでしょう。『今回のことはトルバ侯爵も共犯だ』と」
今回の事件のことを兄がまったく知らないわけがない。
あの日、アウルが倒れてすぐ、マデリンはアウルとともに馬車で医師のもとへと向かった。
だから、直接父や兄と会ったわけではない。
しかし、この騒ぎを誰からも聞いてないほど無頓着ではないはずだ。
「あの男がお父様を庇うわけがありません。きっと、お父様を引きずり込もうとするでしょう」
もしかしたら、父に責任を押しつけるかもしれない。ルイードはそれくらいする男だ。
「そんな……。うちは、トルバ家はどうなってしまうんだ?」
兄は苦しそうに顔を歪め、胸を押さえた。
「お兄様、一つだけ方法があります」
「方法!? なんだ?」
「お兄様はトルバ家を守るためなら、何でもできますか?」
「もちろんだ」
マデリンは口角を上げた。




