9-⑫
しかし、気づいたときには、マデリンはアウルとともに地面に転がっていた。
「マデリン、大丈夫か?」
「ええ……」
覆い被さっているアウルに尋ねられ、マデリンは顔を上げる。恐怖で逃げられなかったマデリンをアウルが助けてくれたのだろう。
アウルが安心したように笑う。
マデリンは彼の助けを借りて起き上がった。
「離せっ!」
ルイードは従者たちに取り押さえられ、叫び声をあげた。
ふだんのひ弱な印象からは考えられないほどの暴れっぷりだ。
火事場の馬鹿力というものだろうか。
従者たちはどうにかルイードを縛り上げた。
「おまえ達のせいで、僕の人生はめちゃくちゃだっ!」
ルイードは吐き捨てるように言った。その言葉にマデリンは頭を横に振る。
「違うわ。これはすべてあなたが蒔いた種よ」
すべて。
女遊びを繰り返していなければ、こんな結果にはならなかった。
誠実であれば、マデリンはルイードの妻になっていただろう。
ナターシャと婚約することもなかった。
だから、すべては自分自身が招いたことだ。
まだルイードは何か言いたいのか叫んでいたが、口を塞がれたため、何を言っているのかはわからなかった。
知る必要もないだろう。
彼とはもう生涯顔を合わせることもないだろうから。
今日の首謀者二人を乗せた馬車を見送ると、王太子がマデリンとアウルに向かって口を開く。
「二人のことは私に任せてもらえるだろうか?」
「はい。殿下にお任せします」
「せっかくの日に残念なことになったが、最後まで楽しんでいってほしい」
「殿下のお心遣い感謝いたします」
マデリンとアウルは深く膝を曲げ、礼を取った。
王太子は満足そうに頷くと、二人に背を向ける。従者を連れて戻る後ろ姿を見ながら、マデリンとアウルは頭を下げる。
彼らの姿が小さくなるのを確認すると、アウルが小さくため息をつく。
「どうにか終わったな」
「ええ、よかった」
マデリンも安堵の息を吐いた。
よかった。
アウルがルイードの計画にはめられなくて。
そして、ルイードが捕まったことでもう二度と同じことは起こらないだろう。
「さて、お父様に怒られに行こうかしら?」
ルイードがいない今、父は何もできない。
嫌味の一つくらい甘んじて受け入れようと思う。
アウルの返事がなくて、マデリンは首を傾げた。
「アウル? どうしたの?」
顔色が悪い。
アウルはわずかに口角を上げて言った。
「大丈夫だ」
「真っ青よ? 大丈夫なわけがないじゃない」
アウルの腕を掴むと、違和感に手を離した。マデリンの手に真っ赤な血がべっとりとついていたからだ。
(血……!?)
アウルの身体が傾いた。
「アウル!?」
マデリンはアウルを支えながら、叫んだ。
***
マデリンはアウルの額の汗を拭う。
狩猟大会から三日。マデリンはルート家に泊まり込み、アウルの看病をつきっきりでしていた。
アウルの腕の傷は深かったらしく、アウルは三日三晩痛みに苦しんでいる。
医師が傷口の消毒をしながら言った。
「もう大丈夫ですよ。そろそろ目が覚めるころでしょう」
「ありがとうございます」
「あなたもそろそろ休息を取ってください。看病するほうが倒れては元も子もないですから」
「はい」
「何かあれば呼んでください」
マデリンは深く頭を下げる。
医師はそんなマデリンを見て、目を細めて笑い部屋を出て行った。
アウルの傷はマデリンを守るためにできたものだ。
マデリンがあのとき、咄嗟に動けていたら。そう考えただけで、自分自身を殴りたい気持ちになる。
「アウル、早く目を覚ましなさい。このままじゃ、一人で結婚式を行うことになるわ」
そんなことはあり得ない。
場合によっては延期になるだろう。それでも構わなかった。アウルが元気になってくれさえすればいいのだから。
すると、手がピクリと動いた。
「アウル!?」
「マデ……リン?」
アウルは眉根を寄せる、何度か弱々しく瞬きをしながら目を開けた。
「ここは……? 家か?」
「そうよ。あなた、会場で倒れて連れ帰ってきたの。覚えていない?」
「ああ、殿下に挨拶をしたまでは覚えているんだが……」
「怪我をしたなら、すぐいいなさいよ」
「これくらい大丈夫だと思ったんだ。実際平気だっただろ?」
アウルが得意げに言う。
マデリンはアウルの鼻をつまんだ。
「馬鹿言わないで。三日も起きなかったくせに」
「三日!? そんなに経ったのか?」
「ええ、そうよ。みんな、どれほど心配したと思ってるの?」
「悪い」
アウルは目を細めて笑った。
いつもどおりの笑顔に力が抜ける。先ほどまで、不安でしかたなかったというのに。
マデリンはベッドの上に腰かけた。
「あの男の処罰が確定したわ」
「ルイード・アレスの?」
「ええ。公爵位は弟に。本人はアレス家の北の領地で幽閉だそうよ」
「随分と重い処罰だな」
「殿下の晴れの舞台を汚したから。もう少しで死人がでるところだったと、お怒りみたい」
「そうか」
しでかしたことを考えれば妥当な処分なのかもしれない。
しかし、王族が絡んでいなければ、ここまでの処罰にはならなかっただろう。
「マデリンのおかげで助かった」
「何が?」
「マデリンがいなければ、私が幽閉されていただろう。いや、もっと悪かったかもしれない」
アウルは右手を握りしめた。
「そのために参加したのだもの。それに、アウルは私を守ってくれた」
アウルが守ってくれなければ、マデリンはルイードの振り下ろした剣で半分になっていただろう。
想像するだけで肝が冷える。
突然、アウルがマデリンの頬を撫でた。
マデリンは目を丸くする。
「な、なに!?」
「怪我はないか?」
「ないわ。ピンピンしてる」
「ひどいくまだ」
「それは、気のせいよ」
アウルの看病でほとんど眠っていないせいではあるが、それを知られるのはなんだか気恥ずかしかった。
マデリンは逃げるように立ち上がる。
「アウルも目を覚ましたし、私は一度家に帰るわね」
「悪い。何か言われたら私のせいにしてくれ」
「大丈夫よ。これくらい。またお見舞いに来るわね」
「ああ。次に来るときには君を抱き上げられるくらいまで治しておくよ」
アウルの冗談にマデリンは肩を揺らして笑う。
マデリンはアウルの家族に挨拶をすると、ルート家をあとにした。
***
マデリンは馬車に揺られる。
荷物はたった一つ。
着替えもルート家からの借り物だった。
マデリンはたった一つの荷物――猟銃を撫でた。




