9-⑩
ナターシャがマデリンを睨みつける。
状況を理解できないとはいえ、こんなときでも敵対心を消さない彼女に尊敬の念すら抱く。
「あなたは殺されそうなった」
「そうよ! あなたたちにね!」
「違うわ。確かに最初は獲物と間違えたけど、あなたを撃ったのはこの男」
そうだ。アウルが撃つ前にマデリンが阻止した。
「そんなの有り得ない! だって、彼は私をルイード様のところに連れて行ってくれるって……」
ナターシャの声はわずかに震えていた。
信じられないのではない。信じたくないのだろう。
「こんな危険な場所に真っ黒なかっこうで入ったら、獲物と間違えられるなんて、誰でも知っているわ」
少なくとも、狩猟大会に参加したことのある人間なら、知っているだろう。
お互い獲物と間違えないように、派手なかっこうを心がけているのだから。
真っ黒なかっこうで森に入るのは、自殺しにくるようなものだった。
「あなたは、この男に、殺されかけたのよ」
マデリンがはっきりとした口調で言う。
ナターシャの顔がくしゃりと歪んだ。
アウルがマデリンの肩に手を置いた。
「とにかく、狩場を出よう」
「そうね。ナターシャ様は私のうしろに」
「私があなたのうしろに!?」
「だったら、ひとりで乗る? それともひとりで歩きたいならご自由に」
「……わかったわよ」
ナターシャは渋々マデリンのうしろに乗った。
***
マデリンとアウルが狩場から出ると、会場は騒然となっていた。
その中心にいたのは、ルイードだ。
今回は特別な大会だ。だから、いつもとは違いルイードも大会に参加していた。
いつの間に戻って来たのだろうか。
「ナターシャがいない! 探しにいかなくては!」
「狩場は危険でございます」
お茶をしながら楽しく待っていた夫人や令嬢たちの前で、そんな茶番劇を繰り広げている。
(しらじらしい)
誰よりも先に声を上げたのは、マデリンのうしろにいたナターシャだ。
「ルイードさまぁっ!」
砂糖よりも甘い声で彼の名を呼ぶ。一斉にマデリンに視線が注がれた。
「あれって……マデリン様では?」
「うしろにいらっしゃるのは、ナターシャ様ですわよね?」
ルイードは呆然とナターシャを見つめた。
ナターシャは身を乗り出し、ルイードに手を振っている。
(能天気なものね)
マデリンはアウルと顔を見合わせ、ため息をつく。
ナターシャは何も知らないのだろう。
ルイードこそが、彼女の命を脅かした黒幕だと。
(あの男は、ナターシャを殺して、その罪をアウルに擦りつけようとした……)
そのためにわざとナターシャを狩場に誘導したのだ。
アウルが狙いやすいように真っ黒の羽織まで用意しているところからしても、悪意がうかがえる。
(しかも、失敗したときのために従者まで)
ナターシャとの結婚をなかったことにし、アウルをマデリンから離す。
そのための作戦だったとしても、人としてどうかしているような計画だ。
まだ、アウルとナターシャの色恋の噂を流されるほうが、可愛いと思えただろう。
マデリンは強く手綱を握りしめ、ルイ―ドを睨みつけた。
(絶対に許せない……!)
ナターシャは馬から降りると、一目散にルイードのもとへ飛びこんだ。
「ルイードさまぁっ」
ルイードは困惑を隠せない表情で彼女を受け止めた。ルイードの頬がひきつる。
「い、今まで、どこに行っていたんだ? ナターシャ」
「私、あの男に騙されたんです……!」
ナターシャはアウルを指さす。
ルイードの顔がわずかに緩んだのを、マデリンは見逃さなかった。
アウルはわずかに笑うと、馬から降りた。
「アウル・ルートをとら――……」
「ご安心ください。ナターシャ嬢を狙った男はわれわれが捕らえました」
ルイードの言葉に重ねるように、アウルは冷静な声色で言った。
アウルの言葉を待って、後ろに控えていた従者の一人が捕らえていた男を地面に転がす。
「うっ……」
ルイードは目の前に転がった男を見て、目を見開いた。
突然、周囲がざわついた。
みんなの視線が地面に転がる男から、移っていく。それを追っていくと、王太子が立っていた。
黒の髪がなびく。まだ幼さの残る顔立ち。硬い表情から緊張がうかがえる。
全員が立ち上がり、深く膝を下り礼をの形を取った。
ルイードが慌てて王太子のもとへと駆け寄る。
「殿下、お騒がせして申し訳ございません」
「構わない。何があった? 説明を」
王太子はナターシャに視線を向けた。
ナターシャは小さく「はい」と頷くと、ちらりと床に転がる男に視線を向ける。
「この男にルイード様が待っていると言われて、黒のローブをはおり狩場に入ったのです」
ナターシャは涙ながらに経緯を訴えた。
男はルイードの従者であること。そして、その男に呼ばれ狩場に入ったこと。
狩場で危うく殺されそうになったことを。
「そのとき、ちょうど近くにいたアウル様と、マデリン様に助けていただきました」
王太子はまだ声変わりのしていない声を低くして、アウルに尋ねた。
「今の話は本当か?」
「はい。獲物を追っていた折、猟銃を向けられているナターシャ嬢を見つけ、トルバ家の令嬢、マデリン嬢とともに助けに入りました」
「そうか。二人とも、大義だったな」
「私たちは当然のことをしたまででございます」
アウルが頭を下げるのと同時に、マデリンも膝を折って礼をする。
まだ子どもと言っても、王位継承権第一の王太子だ。
王太子はしばらく思案したあと、口を開いた。
「マデリン嬢、君はたしか今日不参加聞いていたはずだが?」




