9-⑧
衣擦れの音だけがテント内に響く。
マデリンの心音が混ざり合う。
これくらい。と、言い聞かせるにも限度があった。
やはり、恥ずかしいものは恥ずかしい。
マデリンは脱いだシャツを受け取った。
まだぬくもりの残るシャツの代わりに、真新しいものを広げる。
マデリンは腕に傷を見つけて、思わず触れた。彼の肩が跳ねる。
「いつの傷ですか?」
「子どものころ、落馬したときの傷だ」
アウルは恥ずかしそうに笑った。
(こんな傷があったのも知らなかったのね)
五年のつきあいで、アウルのことは大抵知っていると思っていた。
深く考えていない顔をしていて、実は繊細なところ。
顔に似合わず、負けず嫌いなところ。
責任感のつよいところ。
会話の端々から感じる優しさ。
けれど、マデリンは彼の持つ傷の一つも知らない。
マデリンはそれを知る必要のない、ただの友人だ。
なんだかそれがもどかしくもある。
彼の着替えを手伝いながら、マデリンは思った。
真っ赤な上着を着せながら、マデリンは呟く。
「今日は一段と派手ですね」
狩猟大会で着用する服は派手に作られる。
狩猟大会が王族主催というのが理由でもあるが、もう一つ。他の者から間違えて撃たれないようにするためでもあった。
「人目につくようにな。君の分も用意してある」
ともに狩場に入る使用人は、主人に合わせた服を着る。それを言っているのだろう。
数名分の上着が並べてあった。
彼はマデリンの分をつかむと、マデリンに差し出す。
羽織ってみれば、マデリンのサイズにしっかりと合っていた。
「さて、みんなに挨拶をしにいかなくては」
アウルがマデリンの帽子のつばを思いっきり下げる。
マデリンは無言のまま、彼を睨みつけた。
テントの外はいつも以上に賑わっている。
アウルは友人たちと挨拶を交わしていった。
すると、一人の男から声をかけられる。――ルイードだ。マデリンはさり気なく帽子のつばを下に引き、顔を見せないようにうつむいた。
「やあ、久しぶりだね」
「ルイード様、お久しぶりです」
アウルは頭を下げる。
ルイードは目を細めて笑った。いつもよりも上機嫌だ。
ルイードは狩猟大会が苦手だった。だから、狩猟大会の日はふだんよりも不機嫌なことが多い。
(気味が悪いわね)
マデリンはルイードのよく磨かれた靴を見ながら、頬を引きつらせた。
「マデリンが来られなくて残念だ」
ルイードの口から名を呼ばれ、マデリンはわずかに肩を震わせる。
心臓が早歩きになった。
(平常心よ)
マデリンは自分自身に言い聞かせた。
まだルイードに気づかれるわけにはいかない。
ここで知られてしまっては、すべてが台なしだ。
アウルが一歩前に出ると、ルイードを睨みつけて言った。
「失礼ですが、彼女は今、私の婚約者です。気安く呼ばれるのはあまりいい気がしません」
ルイードが頬を引きつらせた。
しかし、アウルはそんな彼の反応を他所に淡々と続けた。
「私もマデリンが来られなくて残念です。彼女と一緒なら、上位を狙うのも難しくないと思っていたのですが」
アウルの言葉にルイードは鼻で笑った。
「狩猟が趣味とはいえ、ただの女だ。そこまでの実力はない」
「そうでしょうか? 彼女は私や誰よりも狩猟が上手だ。もし、五年のブランクがなければ、誰も勝てなかったでしょうね」
「買いかぶり過ぎはよくない。それに、女は淑やかにしてこそ価値がある」
「そうですか。淑やかな……」
アウルは遠くを見る。
視線を追うと、そこには使用人を叱りつけているナターシャがいた。
アウルの言いたいことを察してか、ルイードの眉根がぴくりと跳ねる。
「では、準備がありますので」
アウルは頭を下げると、ルイードの返事も聞かず歩を進めた。
早歩きになるアウルを、マデリンは慌てて追いかける。
そして、小走りで着いていきながら小声で尋ねた。
「なんであんなことを言ったんですか?」
「別に」
アウルは短く答える。
少し機嫌が悪いようだ。
今、ルイードを刺激するのはあまりよくないのではないか。
ルイードはアウルを狙っているはずだ。
アウルはピタリと足を止めた。
「婚約者をあんな風に言われて、怒らないほうがおかしいだろう?」
「それは……。そうですけど……」
いつものアウルなら、冷静に対処できたのではないかと思ったのだ。
マデリンが近くにいたから、代わりに怒ってくれたのではないか。
そう思うと申し訳ない気持ちになる。
マデリンが受けるはずのルイ―ドからの悪意を、アウルが代わりに受けている形になっているからだ。
(今日は絶対に守るわ)
マデリンはアウルの後ろ姿を追いながら、拳を握った。
***
狩猟は合図とともに開始した。
マデリンとアウルの一行は、計画通り敷地の手前側で獲物を探す。
マデリンとアウルの他に、従者は二人。最悪のことを考えて二手に分かれられるようにと選んだようだ。
アウルは連続で二匹の狐を狩った。
「予定よりも簡単だったな」
「そうですね」
「人を見かけない。みんな、すぐに戻ったのか?」
「それか、特別な大会なので奥に行ったか」
「その可能性もあるか」
大会では数以上に大きさを重視する。
そのためには奥に行くのがいい。
「今日のことは杞憂だったのかもしれないな」
「そうですね」
従者の一人が頷く。しかし、マデリンの胸騒ぎは止まらなかった。
(本当にそうかしら?)
マデリンはアウルから少し離れ、周りを確認する。
誰もいない。聞こえる銃声は遠かった。
手前側にこんなに人がいないことがあるのだろうか?
今までマデリンは趣味でしか狩猟をしたことがない。
大勢で行う狩りがどんなものか、理解できていなかった。獲物を狙うのだから、ある程度距離を取るのだろう。しかし、ここまで静かなものだうか。
少し遠くで黒い影が動いた。
「よし、あと一匹」
アウルが猟銃を構えた瞬間、マデリンは目を見開く。
マデリンは声を上げるよりも早く、猟銃を構えた。アウルに向けて。




