9-⑦
アウルはマデリンの手のひらにゆっくりと文字を書く。
『今日は注意しろ』
マデリンは小さく頷いた。
その言葉は耳にたこができるくらい何度も聞いた。アウルと直接会うのは仮面舞踏会以来だから、本人ではなくハンナからだけれど。
しかし、悪い気はしない。アウルがマデリンと同じくらい心配している証拠だからだ。
(普通に話せないのは、思ったよりも不便ね)
しかし、どこで聞かれているのかわからない。屋敷とは違ってテントに防音性能はまったく期待できないからだ。
使用人たちがテントを見張っているが、完璧とは言い難い。
マデリンの演技が完璧だったならば、もっと会話をすることもできたのかもしれない。
しかし、付け焼き刃の準備だ。会話は最低限がいいのだろう。
そのためにハンナを通して何度も相談してきたのだから。
「今回はあまり深追いはせず、手前の小さな獲物を二、三匹狙う予定だ」
「はい」
アウルは地図に丸をつけた。
奥に行けば大物が狙える。上位を狙う人は奥に向かうだろう。手前は人が多いのだ。
人目の多い場所に留まるのが安全だという判断だろう。
それからアウルは詳細な動きをマデリンに説明した。
いつもよりもぶっきら棒な言葉。マデリンではなく、使用人に対する言葉遣い。
それがなんだか新鮮で、少しだけ浮かれてしまう。彼の知らない一面を知ったような、そんな不思議な感覚だ。
今日の動きを頭に叩き入れる。難しいことはない。
手前の人が多いところで適当に狩りをこなす。それだけだ。
アウルは猟銃を置いて言った。
「悪いが、少し一人にしてくれないか?」
マデリンは目を瞬かせる。そして、しばらくのあいだ思案した。
ここは安全とは言い難い。まだ狩猟大会は始まっていないし、周りには人が多くいる。
しかし、何も起こらない保証はないのだ。
誰もいない状態では、何かあったときにアウルを守ることができない。
「それは、いけません」
マデリンは低い声で言って、頭を横に振った。
「私がいて何か問題がありますか?」
「いや、私は構わないんだが……」
アウルは言葉を濁した。
マデリンは訝しげにアウルを見つめた。
彼は困ったように、目を泳がせて頭をかく。言葉を選んでいるのか、空いたままの口が塞がらない。
「何かあるのなら、教えてください」
「いや……。わかった」
アウルは観念したかのように小さくため息をつく。そして、弱々しい声で言った。
「着替えを……」
「きっ……!?」
マデリンは大きな声を上げそうになって、慌てて両手で口を押さえる。
アウルが躊躇った理由をようやく理解することができた。
マデリンの前で着替えること避けようとしたのだろう。
頬が熱い。慌ててアウルから顔を逸らした。
(も、もう少しで結婚するんだし……。これくらい恥ずかしがっているほうが恥ずかしいわ)
そう考えると、更に頭に熱がのぼっていくような気がした。
結婚すば、着替えを手伝うこともあるかもしれない。
二人の結婚は契約的なものになる予定だ。しかし、この事情は二人だけしか知らないもの。
屋敷に住む使用人たちや義両親は当然、普通の夫婦だと思ってマデリンとアウルを扱うだろう。
これくらいでドキドキしているのはおかしい。
(これは予行練習みたいなものよ)
マデリンは唇を噛みしめると、アウルを睨みつける。
「着替えはどちらに?」
低い声で言ったつもりだったのに、声がわずかに裏返った。
アウルは何も言わず、視線を奥に向ける。視線の先には綺麗に服が降りた畳まれていた。
マデリンは足早に向かい、服を乱暴に手に取ると彼のもとに持って戻る。
彼は少し照れくさそうに笑った。
「着替えくらい、ひとりでできるから」
「そういうわけにはいきません」
「だが……」
アウルはマデリンから目を逸らす。
マデリンは彼にグイッと顔を寄せた。そして、囁くほどの小さい声言ったのだ。
「私の足は見ておいて、アウルは見せられないっていうの?」
アウルの頬が引きつる。
心臓はうるさいくらい高鳴っている。しかし、それを悟られないように、マデリンは不敵な笑みで笑う。
そう、二人の関係はただの友人。
たかが肌が見えたくらいで恥じらうような関係ではない。
マデリンは何度も自分自身に言い聞かせた。
「わかったよ……」
彼は観念したのか、シャツのボタンに手をかける。手伝うと言ったものの、マデリンはどうすべきかわからなかった。
男性の着替えはどこまで手伝うのが普通なのだろう。
女性の着替えはほとんど何もかもを侍女にやってもらうことが多い。令嬢の着るドレスは一人では着るのが難しいからだ。
露わになった肩から、マデリンは慌てて目を逸らした。




