9-③
強い力で引き寄せられ、抵抗することはかなわなかった。
「ちょっと!」
「静かに!」
文句の一つでも言おうとしたとき、大きな手がマデリンの口を塞いだ。
「んんっ!」
マデリンは全身で抵抗する。しかし、男女の力の差は歴然だ。
拳で殴りつけても、びくともしない。
マデリンが噛みつこうとした瞬間、男が自ら仮面を外した。
「落ち着け! 私だ! アウルだ!」
マデリンは目を見開いた。
アウルは安堵の表情を見せると、仮面をつけなおす。
「アウル……!? なんでいるの?」
「それは私のセリフだと思うんだが」
アウルは苦笑を浮かべた。
「それは――……」
「その前に」
マデリンが口を開いた瞬間、アウルがマエリンの腰を抱く。
胸が跳ねた。
仮面越しではあるが、まつ毛の本数まで数えられそうな距離に、心臓は騒がしくなる。
「ちょっ……」
マデリンが文句を言うよりも早く、パーティー会場に続く扉が開いた。
赤い髪が揺れる。――ルイードだ。まだマデリンを探しているのだろう。
マデリンは慌ててアウルの胸に顔を埋めた。
アウルの心音が聞こえる。
マデリンのそれと同じくらい速くて、自分の鼓動を聞いているような気分だった。
「何か?」
アウルが低い声でルイードに尋ねる。
張り詰めた空気にマデリンはアウルの服を握りしめた。
早く諦めてほしい。
「女性が一人ここを通らなかっただろうか?」
「さあ? よそ見をする暇などなかったので」
「それは失礼した」
ルイードは小さく舌打ちをすると、大股で庭園の奥へと進んでいった。
彼の影がなくなると、アウルは大きなため息をつく。
「はあ……。行ったな。今のうちに別の場所に移動しよう」
「ええ」
アウルは何事もなかったかのようにマデリンの腕を引いて、パーティー会場の中に入った。
騒がしかった会場がやけに静かに感じる。
いや、騒がしさが変わったわけではない。談笑の声もあちらこちらから聞こえるし、ダンスのための演奏も鳴り響いている。
それ以上に心臓が騒がしいのだ。
耳のすぐ側で鳴り響いているような、そんな感覚に支配されていた。
アウルは会場をまっすぐ過ぎ、一つの部屋に入った。
内側から鍵をかける。
マデリンはホッと息を吐いた。
「どういうことか、説明してくれるか?」
仮面を外したアウルが、満面の笑みを見せた。
一難去ってまた一難。
マデリンは苦笑を浮かべる。
「仮面舞踏会ならバレないと思ったの」
マデリンはアウルに倣って仮面を外した。
カツラを被って髪の色も変えた。家族も見ていないドレスを着た。完璧だったはずだ。
たった一つの誤算は、アウルが参加していたことだろう。
「よく私だってわかったわね」
「わかるさ」
「ドレスのせいね。ごめんなさい。狩猟大会の日に着るために買ったのに……」
マデリンは深く頭を下げた。
勝手に判断をして、申し訳ないことをしたと思う。
アウルは小さくため息をつくと、マデリンの頭を乱暴に撫でる。
「別にいいさ。でも、相談はしてほしかった」
「昨日、知ったの。だから、連絡を取ることができなかったのよ」
「相変わらずマデリンは猪突猛進だな」
アウルはカラカラと笑う。
怒ってはいないようだ。
「ごめんね。待っていろって言われていたのに」
「あれ、見つけたのか?」
「ええ、あんな細工までする必要のない手紙だったわ」
「いいだろう? おもしろいかと思って」
アウルは照れくさそうに笑いながら、ソファに腰かけた。マデリンも追いかけて隣に座る。
なんだかこうやって隣にアウルがいるのは久しぶりだ。
「気づかないところだったわ」
気づかずに、ボーッと日が過ぎていくのを待っていたかもしれない。
「気づいてよかった」
アウルは目を細める。マデリンはそんな彼の横顔を見上げた。
ひどく懐かしく感じる。
こんな顔だっただろうか。
長い睫毛と通った鼻筋を眺めながら、マデリンは思った。
「怪我はないわ」
「……え?」
「返事。怪我はしてない」
「そうか。よかった」
アウルが破顔する。
いつものアウルだ。
「どうしてあの男に近づいたりしたんだ?」
「見ていたの?」
「ああ、恋人みたいにくっついて、肝が冷えた」
アウルがまっすぐマデリンの目を見て言う。どこか咎めるような瞳に、気まずさを感じる。
浮気場面を見られてしまったような、そんな感覚だ。
しかし、マデリンとアウルの関係は利害が一致しただけの友人。
罪悪感を感じるのは間違っているのだろう。
「情報を聞き出そうと思ったの。多分、あの男は私だって気づいていないわ」
「だからって、あんな危ない真似するな」
アウルの眉根がギュッと寄る。
「危なくても、必要だと思ったわ。あの男は絶対に何かしでかすもの」
「……ああ。でも、マデリンには危ない目にあってほしくない」
マデリンは小さく息を吐く。そして、眉尻を下げた。
「私の周りには過保護な人しかいないわね」
アウルだけではない。侍女もだ。
彼女もマデリンに対して過保護だった。
「そんなことより、あいつのことよ。あいつ、ナターシャと婚約破棄するつもりみたい」
「婚約破棄? だが、そう簡単な話じゃないだろ?」




