8-⑤
「お嬢様、もう一人で無茶な真似はしないでください」
マデリンが帰宅してすぐ、一番に涙を見せたのは侍女だった。
父は怒り、母と兄は迷惑そうな顔をする中、一人だけ。
「家出するために私に休みを与えたのですか?」
「そうよ。怒られなかった?」
「少しだけ怒られましたが、休みだったので注意を受けた程度で済みました」
「よかった」
マデリンはホッと胸をなでおろす。
侍女のことが気がかりだったのだ。
連れて行けば見つかったとき、罰を与えられてしまう。
だから、彼女に非がないようにしたかった。
「でも、次は私にも相談してください。お嬢様ひとりで夜道を歩くなんて危険すぎます!」
(アウルと同じことを言うのね)
マデリンは小さく笑った。
「なんで笑うんですか! 本当に心配したんですよ?」
侍女は目に涙を浮かべながら、頬を膨らませた。
「ごめんなさい。これきりだから。もうおとなしくしているつもり」
「本当ですね? 次があったら、何が何でも私に相談してください。お嬢様が安全な方法を一緒に考えますから」
「そんなことしたら、あなたが罰を受けるでしょう?」
「私が受ける罰よりも、お嬢様の身の安全のほうが大切ですから」
「わかった。わかったから」
もともと最初で最後の作戦だった。
ただ、確実にアウルと会って話がしたかったのだ。
だから、侍女が心配するようなことは二度と起こらないだろう。
それでも彼女の涙を見ていると、その一度すら相談しなかったことが申し訳なく思う。
(でも、きっと時間が巻き戻っても相談はしなかったと思うのよ)
マデリンは侍女に迷惑をかけてばかりだ。
使用人の中で一番危うい位置にいるのは彼女だと言ってもいいだろう。そんな彼女に家出の手伝いをさせることはできなかった。
マデリンが彼女を救える力をつけるまでは。
「それで、お父様はなんとおっしゃっていたの?」
「とにかくお嬢様をお屋敷から出さないようにと」
「そう。部屋に閉じ込めないだけ優しいわね」
ひどいときは部屋から出してもらえなかったことを考えると、寛大な処置だ。
その分監視をするつもりなのだろうけれど。
「あとは社交の招待状はすべて『体調不良』で断るようにと」
「そう。こんなに調子がいいのにね」
マデリンは笑った。
狩猟大会も『体調不良』で欠席させるつもりなのだろう。
では、この謹慎もその布石のためのなのだろうか。
「アウル様の訪問も『体調不良』でお断りするようにとのことです」
「そう」
「落ち着いていますね」
「だって、慌てても現状は変わらないもの」
マデリンは肩を竦める。
嘆いている暇はない。マデリンにはマデリンができることをしなければ。
「今日のお父様の予定は?」
「本日は夕刻まで外出と聞いています」
「そう。なら、怒る人もいないし、散歩でもしようかしら」
「お嬢様!? 帰ってきたばかりですから、お休みしたほうが……!」
「いいの。元気だから」
本当は眠い。寝ずにアウルのもとへ行った。徹夜なんてしたことはない。
眠ってしまいたかったが、できることをしなければならないと思ったのだ。
マデリンは部屋を出て廊下を歩いた。
侍女が慌ててついてくる。おそらく父に「ひとりにするな」とでも言われたのだろう。
「どちらへ行かれるのですか?」
「そうねぇ……」
侍女の問いにマデリンは足を止めて考える。そして、笑みを浮かべた。
「暇だし、お兄様のところにでも行きましょうか」
「坊ちゃまのところですか!?」
「そう、お兄様のところ」
侍女は目を丸くした。
マデリンと兄の仲は悪いわけではない。
ただ、性格が正反対なのだ。おとなしく父に従順な兄。自分を貫こうとする妹。
水と油のような関係だなと思う。
マデリンは兄の扉を叩いた。
「お兄様、私よ。ちょっといい?」
声をかけて数秒で扉が開く。
兄は驚いたような顔でマデリンを見下ろした。
「どうした?」
「暇だから、何か手伝いでもしようかと思って」
マデリンは満面の笑みで見上げる。
兄はほんのわずかに顔を歪めた。
「手伝いと言われても……」
「忙しいでしょう? 最近、アウルの手伝いをしていたから、簡単なことだったらできると思うし」
マデリンは兄の返事を待たずして、するりと部屋の中に入る。
相変わらず本と書類ばかりの部屋だ。
空気が悪い。
「突然どういう風の吹き回しだ?」
「親切心よ。アウルのところに行って気づいたの。次期侯爵って忙しいって」
マデリンのもとにアウルが来ていたときには気づかなかった。しかし、ルート家に通っていればすぐにわかることだ。もしかしたら、両親が領地に行っているせいもあるのかもしれない。
侯爵代理としての仕事がたんまりとあるからだ。
「私は大丈夫だから、部屋に戻れ。疲れているんだろ?」
「疲れているように見える?」
「ああ、ひどいくまだ」
兄はマデリンの下瞼を親指でなぞった。
鏡を見てみれば、たしかにくっきりとくまができている。
(ひどい顔。心配されるわけね)
みんながマデリンの顔を見て驚いていたけれど、納得できる。
「これくらい平気」
「平気なわけがないだろ? 何をしたのかわかっているのか?」
「ただちょっと家出しただけ」
「そんなことをしても意味がないのはわかっているだろ?」
「何もしないよりはいいの。お兄様にはわからないでしょうけれど」
これはマデリンがマデリンとして生きるための意地のようなものだ。
長い物には巻かれろを地で行く兄には理解できないだろう。
マデリンは部屋を見回した。
乱雑に置かれた書類。積まれた書籍。整理整頓が苦手なのは、昔からだった。
「私は何も知らないから、諦めて部屋に戻れ」
兄がマデリンに冷たく言う。
「なんのこと?」
「狩猟大会のことが気になるんだろう?」
マデリンの肩がびくりと跳ねた。




