8-①
マデリンが晩餐の席につくと、父はギロリとマデリンを睨みつけた。
こういう目をしているときは、悪い日だ。
この五年、この目をした父にどれほどの苦痛を味わってきただろうか。
母も兄もそれを理解しているのだろう。静かに食事に集中している。
この屋敷で父に反抗する人間はマデリン以外にいない。だから、こういう日に痛い目を見るのは決まってマデリンだった。
父は重い沈黙の中、ステーキを乱暴に切る。それを口の中に放り込み、何度も咀嚼したのち、口を開いた。
「狩猟大会の日程が決まった」
「ついこの前行われたばかりではありませんか」
母が驚きに目を見開いた。
「第一王子殿下の立太子に合わせた狩猟大会だ」
「まあ……。結婚式の準備もあるというのに……」
母は小さくため息をつく。
狩猟大会は当日以上に準備が大変だ。だから、母が苦言を呈するのも頷ける。
その手伝いをするマデリンも忙しいのだが、今回はそれほど苦痛には感じなかった。
今回は参加するという楽しみがあるからだ。
(今までは、ほとんど狩りもしないお父様やお兄様のために準備をするのが、本当に嫌だったけど……)
マデリンは二人の話に耳を傾けながら、ステーキを切り分ける。
(今回は楽しみ)
小さく切ったステーキを頬張りながらも、マデリンは頬を緩めた。
父の話はアウルから聞いたのと同じことばかり。目新しい情報はない。
マデリンとアウルの結婚式の準備は滞りなく進んでる。
お互い、派手なものは好きではない。二人は質素にという希望を出した。
しかし、侯爵家ともなると面子がある。
結局、二人の希望はほとんど通らないまま、両家の面子が守れる程度に華やかな結婚式が準備されていった。
狩猟大会が終われば、結婚式に向けて本格的に動き出すだろう。
こわいくらい順調だと思った。
マデリンの人生はいつも邪魔ばかり入っている。
最高のタイミングで最悪が訪れる。まるで呪いのようだと思うときがある。
(あれからお父様は私を、鞭打たなくなったわ。なぜ?)
父は理由を見つけてマデリンを鞭打つような男だ。
彼は狭量な人間で、あまり強くはない。日々のうっ憤をマデリンで晴らしているふしがある。
幼いころはよく母に手を上げていた。
それが、五年前の祖父の死を機にマデリンに移ったのだろう。
「マデリンは当日、参加せず屋敷で休むように。理由は適当に作っておく」
父の言葉にマデリンは手を止める。
「なぜ……ですか?」
「おまえには関係ないことだ」
「私のことなのに関係ないなんて、おかしな話だわ!」
マデリンはテーブルを叩いて立ち上がった。
父はマデリンに怒鳴り返す。
「なんと言おうと今回の参加は許さん!」
父はマデリンの言葉など聞くつもりもないのだろう。
母と兄がわずかに眉根を寄せ、不快感をし示した。彼らに援護を期待したことはない。
こうやってマデリンが父と言い争っているあいだ、いつも彼らは空気のようになる。
そうするのが一番被害が少ないと知っているのだ。
マデリンも「はい」と素直に頷けばいいのだとわかっている。しかし、二人のようにただ頷くだけの人形にはなりたくなかった。
マデリンはマデリンだ。父のための人形ではない。
「そんな勝手な話、理由を聞くまで承知できません」
マデリンはそのまま父に背を向けた。
食事の途中であったが、抗議にはこれしかない。
「なんだろうと、今回は決まったことだ」
父は低い声がマデリンを追う。マデリンは返事をせず、足早に部屋へと戻った。
やはり、いいことは続かない。
今までだってそうだったではないか。
だから、驚くことではない。
マデリンは大股で廊下を歩く。
(そうよ、気にすることはないわ)
確かに狩猟大会は楽しみにしていた。
祖父やアウルとともに狩猟をしたことは何度もある。
けれど、それは社交デビューの前の話だ。狩猟大会には社交デビューした者しか参加が許されていない。
社交界にデビューしたあとの五年間、マデリンは参加しても応援と付き添いだけだった。
だから、楽しみだったのだ。
多くの人と競い合う大会への参加が。
あの様子ではマデリンの大会の参加は許されないだろう。
なぜ、家長の許可がなくてはならないのだろうか。マデリン一個人としての希望は通らないのだ。
マデリンは苦々しい気持ちを胸に自室へと戻った。
扉を開けてすぐ、侍女が目を瞬かせる。
「お嬢様? 今日はお早いですね」
「ちょっと、いろいろあったの」
「いろいろですか?」
「また、迷惑かけるかも」
「はあ……」
侍女はわからないなりに、曖昧な返事をする。
マデリンはベッドに突っ伏した。
「もしかして、また旦那様と喧嘩されたんですか?」
「……そういうこと」
「まあ……」
侍女は心底困ったように眉尻を下げる。
今に始まったことではない。
マデリンはこうやってたびたび父と言い争いをする。
そのたびに侍女には迷惑をかけてきた。
「では、まだ食事はとっていらっしゃらないのですね」
「ステーキを一口食べたわ。お父様ももう少し遅く発言してくれればよかったのよ」
そうすれば、最後まで食べたことができたというのに。
マデリンは頬を膨らませた。
「それでは何か軽食を調達してきますね。旦那様がお怒りでしょうから、今日はお部屋でゆっくりしましょう」
「ありがとう」
侍女はマデリンの言葉に笑みを浮かべると、部屋を出て行った。
マデリンは一人になると、ベッドの上で仰向けになる。
(最悪だわ)
アウルとともにたくさん準備をしてきた。




