7-②
『いいえ、結構です。ひとりで見てまわりたいので』
マデリンは冷たく言うと、ルイードに背を向けた。
瞬間、血管中の血液が沸いたような、そんな感覚に陥った。
あれを捕まえて、自分のものにしたい。
そう強く思った。
今までルイードの誘いを断った女がいただろうか。
たいていの女が頬を染め、しおらしい顔をして頷くのだ。そして、期待の眼差しで見上げてくる。
しかし、マデリン・トルバは違う。他の女よりは価値があると思った。
マデリンの小さくなる背中を見送りながら、ルイードは思わず笑みを浮かべる。
それからルイードの行動は早かった。
『母上、未来の公爵夫人を決めました』
ルイードはにこやかに笑みを浮かべる。
母は目を細めて笑った。
『あら? 気にいる子ができたのね』
『ええ、マデリン・トルバ。彼女にしましょう』
『トルバ家の。家格も申し分ないし問題ないわね。すぐにでもトルバ侯爵夫人に手紙を送りましょう』
『はい。あと、彼女のことを詳しく知りたいので、調査してもらっても?』
『あら、そんなに執心なの?』
母は「しかたないわねぇ」と言いながらも満足げに頷いたのだ。
マデリンの調査書はあっさりとしたものだった。
そもそも交友関係は狭く、ほとんどお茶会には顔をだしていないらしい。
先日のお茶会に参加した理由も、祖父と狩猟に行くことを許可してもらうためだった。
『趣味は狩猟か……』
調査書を眺めながらルイードは呟く。
『野蛮な趣味だな』
ルイードは狩猟が嫌いだ。
貴族たちの中には狩猟を好む者も多い。
しかし、ルイードにはその楽しさがわからなかった。
汗臭くなるうえに血生臭く、準備も面倒だ。その上、成績がすべてなのだ。どんな獲物を何匹。
その成績ですべてが決まる。
そこには爵位もなにもない。それがルイードには耐えられなかった。
ルイードは調査書をぐしゃぐしゃと丸める。
(磨く……か。それも悪くない)
マデリンの野蛮な趣味はいただけないが、それ以外は及第点をつけることができるだろう。
ふだんは母親を手伝い、屋敷の管理もおこなっていると調査書には書いてあった。
狩猟を定期的に楽しむくらいだから、健康面も問題ない。
なによりもあの目。
ルイードをまっすぐ見つめ返す、あの猫のような目が忘れられなかった。
こうしてルイードは公爵家の力を使って、マデリンを婚約者にした。
初顔合わせの時のことは五年経っても忘れることはないだろう。
『こちらが婚約者のルイード・アレス様だ。ルイード様、わが娘のマデリンです』
トルバ侯爵の言葉に、マデリンは無反応だった。
ルイードは期待していたのだ。「ああ! あの時の」とお茶会での一件を思い出すのではないかと。
しかし、彼女はまるで初めて会ったというような顔でルイードを見た。
ルイードはこの日を期待してまっていたというのに、彼女は違う。それが無性に許せなかった。
『ああ、君が噂の。想像していたよりも美人だな』
ルイードは負けじと言った。
胸に渦巻く黒い感情。
それを隠すのに必死だった。彼女がルイードをほんの少しでも覚えていたら、もう少し優しくなれたかもしれない。
しかし、彼女はルイードの期待に応えなかった。
すべては彼女がいけないのだ。マデリン・トルバが。
『僕の婚約者になった以上、もう野蛮な遊びは辞めにしてもらう。いいね?』
『野蛮……。狩りのことですか?』
『ああ。僕は血生臭いのは嫌いなんだ』
その日、ルイードはマデリンから狩猟という趣味を奪った。
トルバ侯爵はできる男だ。ルイードが言わなくても、マデリンから狩猟に関するすべての物を奪った。
彼女の猟銃、愛馬……。そのすべてを。
五年間、確かに順調だった。
マデリンはそれから、ルイードに従うようになったのだ。
婚約の期間もマデリンは普通の女のようにしおらしくはならなかった。しかし、そういうところも公爵夫人にはふさわしいと言えるだろう。
母も「申し分ない」と彼女のことを絶賛していた。
それに、彼女は美しい。着飾った彼女を連れて歩くのは、何よりも楽しかった。
今まで表にほとんど出てこなかったマデリン・トルバがこんなにも美しくて、悔しい思いをしている男はたくさんいるだろう。
彼女を連れて歩くだけで優越感が満たされる。
欲は外で発散すればよかった。
ルイードの人生はうまくいっていたはずだ。
なぜ、それが。
なぜ、それが。
なぜ、それがこうなったのか。
ルイードは親指の爪をかみしめる。
手はぶるぶると震えた。
マデリンはルイードの手から離れて行った。
それは、一瞬のできごとだ。
いつものように、欲を外で発散していただけ。
たったそれだけだというのに、ルイードはマデリンと婚約破棄をすることになった。そして、つまらない女と婚約する羽目になったのだ。
(こんな予定じゃなかった)
ルイードは奥歯をかみしめる。
毎日のように母はルイードに「マデリンさんのほうがよかったわねぇ」と愚痴をこぼす。
なりゆきで婚約することになったナターシャに結婚する前に母について学んでもらっているが、何もかもだめだった。
しかも、ナターシャはルイードの婚約者になったことを鼻にかけて歩いているらしい。
こんな女が生涯隣に座っていると考えるだけで虫唾が走った。
(マデリンはあの男にはふさわしくない)
アウル・ルート。冴えない男だ。
特筆すべき才を聞いたこともない。
ただ、マデリンとアウルの祖父同士が仲がよかったという接点しかない男。
『アウルは私から何も奪わなかった』
マデリンの言葉を思い出し、ルイードは顔を歪める。
「何も奪わなかった……? 奪えない甲斐性なしなだけだろう?」
ルイードは小さくなるルート家の屋敷を睨む。
「絶対に奪い返す」
もともと、マデリンはルイードのものだ。ルイードが望むのであれば、返すのが道理というもの。
ルイードはゆっくりと目を閉じ、馬車の揺れに身を任せた。




