6-⑧
最初、ルイードの言いたいことがわからなかった。
ルイードからナターシャを引き離したかった? どうしたらそんな発想に行き着くのだろうか。
ルイードと婚約していた五年間、彼の浮気はあの一回ではない。もしも浮気を止めたいのであれば、もっと早くに動いている。
マデリンはこめかみを押さえた。
「おかしなことを仰るのですね。私は未練などありません」
「当てつけのようにすぐ新しい婚約を結んでおきながら?」
ルイードは昔からマデリンの言葉など耳に入れない。彼の中でマデリンは「ルイードとナターシャを引き離したかったのに婚約破棄になってしまったかわいそうな令嬢」なのだろう。
想像するだけでうんざりする。
その上、「当てつけにアウルとの婚約を結んだ」と言い出したのだから。
「そうでなければ、アウル・ルートなんかと婚約を結ぶわけがない」
ルイードは信じて止まないのだろう。
自分と結婚することがマデリンの一番の幸せであると。
公爵夫人になることをマデリンは望んでいると、本気で思っているのだ。
マデリンは深いため息をついた。
「ほんっとうに、うるさい男ね」
腹の底から低い声が出る。
もう婚約者でもなんでもない。顔色を伺う必要もないのだ。
そもそも、婚約者だったとしてもしおらしくしている必要はなかったのではないか。
(婚約者だったときから私はどうにかしていたわ)
祖父が亡くなり、マデリンの周りには味方がいなくなった。だから、身を守ることに徹していた五年だったと思う。
けれど、今は違う。
少なくとも、アウルはマデリンの味方だ。
それが愛ではなく友というなの情だったとしても。
「私のことは好きに言っていいわ。でもアウルのことを悪くいうことは許さない」
ルイードは目を丸くしたまま硬直した。
「あなたにはアウルが下に見えているようだけれど、アウルはあなたたちとは違うわ」
アウルはルイードや父とは違う。
彼の頬が引きつった。
「馬鹿を言うな! 僕よりもあんな地味で冴えない男を選ぶだと?」
「多くの令嬢は結婚相手を選べるなら、派手に遊んでいる男よりも誠実な男を選ぶと思いますが」
アウルを地味で冴えないと評するのは、彼のことを知らないからだ。
彼は誠実で少し不器用なところがある。
彼を知れば知るほど、彼のよさに気づくだろう。
「五年前、選べる立場だったら私はあなたを選んでいないわ。父に押しつけられたからしかたなく受け入れただけ」
ルイードの顔が歪む。
(ようやく言えた)
ずっと、我慢していた言葉だ。
マデリンは思わず頬を緩めた。
マデリンは一度だってルイードとの結婚を望んだことはない。
父が公爵家との繋がりを求めたから。そして、ルイードが求める公爵夫人像にマデリンが一番近かったからだろう。
「あんな男の何がいい? 公爵夫人になるよりも魅力的だと?」
「アウルは私から何も奪わなかった」
「……は?」
アウルのいいところはたくさんある。
それを今、一つずつ並べるつもりはなかった。何を言っても無駄だとわかっているのだ。
ルイードに言葉は通じない。
まったく別の言語を話す別の個体だと思ったほうがいいくらいだ。
「アウルは私を私でいさせてくれる。あなたは私からすべてを奪って、家畜のように飼おうとしたわ」
父もそうだ。父もルイードもマデリンから何もかも奪っていった。
野蛮だという、それだけの理由でマデリンから狩猟という趣味を。
祖父の形見を。
子どものころから連れ添った愛馬を。
「女は男に従うものだ。君に公爵夫人という名誉では足りないというのか?」
「私がそれを欲しいと言ったことがありますか?」
マデリンにだって分別はある。
貴族として、令嬢として生まれた以上、責任が伴うことはわかっている。
好きなことだけをして生きていけるとは到底思ってはない。
いつか他家に嫁ぎ、夫人としての役割をこなしていく覚悟は出来ていた。
しかし、大切なものをすべて奪われ、夫人としての義務だけを押し付けられるのは耐えられなかっただろう。
長い人生の中のたった五年。
その五年ですら耐えがたい息苦しさを感じて生きてきたのだ。
「公爵夫人の価値がなぜわからない?」
「高価な宝石に魅力を感じる人もいれば、いない人もいる。あなたと私の価値観が違うだけでしょう」
ルイードは納得できないといった様子で顔を歪めた。
この男の悪いところだ。他人の気持ちなど考えたことがないのだろう。
「その価値がわかる相手が近くにいるではありませんか」
「あの女にそこまでの器量はない」
「宝石は磨けば輝きますよ」
マデリンの言葉にルイードは鼻で笑った。
(このまま続けていても、時間の無駄ね)
堂々巡りになることは想像に容易い。
「用件がそれだけでしたら、そろそろ帰っていただけますか? 私も忙しいので」
マデリンはルイードに背を向けた。そして、愛馬を撫でる。
このまま馬に乗って逃げてしまえばいい。そう、思った。マデリンがいなくなれば、彼も諦めて帰るだろう。
そう考えたのだ。
「マデリン! まだ、話は終わっていない!」
ルイードがマデリンの腕をつかむ。
「離して!」
マデリンは大きな声で叫んだ。




