6-⑤
マデリンは首を傾げる。
侍女は眉尻を下げた。
「お嬢様がぐっすりだったので、お帰りになられました」
「でも、これ……」
アウルの上着が残っている。
忘れたとは思えない。
「明日も来るから取りに来るそうです」
「本当に来るって言っていたの?」
「はい。明日も楽しみですね」
侍女はニコニコと笑った。
含みのある笑みに、マデリンは思わず目を逸らした。
差し出された水を一気に飲み干す。
寝入ってしまったからか、喉が渇いていたようだ。冷たい水が喉を通る感覚にマデリンは目を細めた。
「せっかく来てくれたのに、寝ちゃうなんて失礼なことをしてしまったわね」
「大丈夫ですよ。怒っておりませんでしたし。アウル様なら大丈夫ですよ」
「あら、急にアウルの肩を持つのね」
侍女はビクリと肩を震わせた。
マデリンは肩を揺らして笑う。
「賄賂をもらったからって。私も何かプレゼントしたほうがいいかしら? 三日後にはあなたを取られちゃいそうだわ」
「そんなことしなくても、私はお嬢様の側におりますよ~」
「本当かしら?」
「アウル様がお嬢様を大切にしてくださっているから、私もアウル様を信頼しただけで……」
侍女は今にも捨てられそうな子犬のような顔で訴える。
マデリンは声を出して笑った。
「わかっているわ。あなたはいつも私の隣にいてくれたもの」
どんなときも侍女はマデリンの味方だった。
だから、マデリンも信頼しているのだ。
「明日は眠らないように、今日は早く寝ようかしら?」
マデリンはふわりと欠伸をする。
「まだお疲れですか?」
「そうみたい」
「晩餐はお部屋でとるように伝えますね」
「そうね。お願い」
「食事とお風呂までは頑張ってください」
マデリンは侍女の言葉に小さく頷いた。
しかし、あまりの眠気に再びソファに倒れてしまう。そして、アウルの上着に顔を埋めた。
まだわずかにアウルの香りが残っているような気がする。
彼の香りがわかるほど側に寄ったことがあっただろうか。
友人の距離、婚約者の距離。それではわからない香り。
恋人だけが得られるものだ。
マデリンは息を吸い込んだ。少しだけ、恋人の気分を味わうのも悪くない。
***
次の日、アウルは昨日よりも早くにやってきた。大量の荷物を持って。
アウルはすかさず侍女に賄賂を渡す。
二日連続でスイーツを貰った侍女は、天井に頭がつきそうなほど飛び跳ねていた。
マデリンは昨日と同じように侍女を追い出した。
「この荷物はどうしたの?」
「今のうちに狩猟大会の準備をしようと思って」
軽い口調でアウルは言った。
マデリンは目を丸くする。
「まだ、決まっていないわ」
「ここまで噂が回ってるんだ。ほぼ決まりだよ」
「そうかもしれないけど……」
父が何と言うだろうか。
それだけが気がかりだった。
「父君になら、話はつけてあるから安心しろ」
「どういうこと?」
「昨日頼んでおいた。『狩猟大会でマデリンを貸してください』ってさ」
マデリンは驚きに目を見開いた。
(いつの間に……?)
「もしかして、私が寝ているあいだに?」
「ああ、ちょうど侯爵が帰宅していたから。タイミングがよかった」
アウルは嬉しそうに目を細める。
(そんな都合よくお父様が帰って来ているなんて)
マデリンはアウルをジッと見つめた。
そんなに都合のいい話があるのだろうか。
しかも狩猟大会を嫌う父が、マデリンの参加を許すとは思えない。
相手がアウルだとしてもだ。
「ひどいことされてない?」
マデリンは思わずベタベタとアウルの腕や肩を触った。
痛がる様子がないことから、少なくとも傷はなさそうだ。
「されてないって」
「お父様は狩猟が嫌いなの。そんなに簡単に許してくれるとは思えないけど……」
「他人に頼まれたほうが断れないんだよ。それと結婚前に仲良しアピールがしたいって言っておいた」
「仲良しアピールって……」
聞き慣れない言葉にマデリンは苦笑を漏らした。
「もし何か言われたら私のせいにすればいい。『アウルに言われた』と」
「そんなことしたら、あなたがお父様に嫌われるわ」
「構わない。マデリンが痛い思いをするほうがいやだ」
アウルの真剣な顔にマデリンの胸が跳ねる。
「ほら、構える練習に必要かと思って猟銃を持って来たんだ」
アウルは箱から猟銃を一丁取り出した。それは、アウルに預けた祖父の猟銃だ。
「わざわざこれを?」
「ただ、馬車に乗せただけだ。大した労力は使ってないよ。構える練習くらいなら、足に負担もないだろ?」
「……ありがとう」
「ああ、これで優勝を狙おう」
「馬鹿ね。五年もブランクがあるのに、優勝なんてできるわけないでしょう?」
先日二人で行った時の無様な結果を思い出せば、優勝なんて遠い。冗談にしても、大きすぎる目標だと思った。
「目標くらいは一番がいいだろ?」
「まだ一匹捕まえるのほうが現実味があるわよ?」
「それじゃあつまらない。それに、今から入念に準備をすれば、きっといい線いくって」
アウルは相変わらずヘラヘラと笑う。本気なのか、冗談なのかわからない。
けれど、そういうのも悪くないと思った。
練習する暇はあまりない。けれど、アウルと一緒なら。
アウルは思い出したように口を開いた。
「そうだ。傷が治ったら、服も買いにいこう」
「この前使ったやつがあるわ」
「あれは既製品だろ? せっかくだから、オーダーメイドがいい」
「無駄遣いって怒られる」
「五年分だと思ったら、黄金の服を買ってもお釣りがくるさ」
「黄金はいやよ」
ギラギラしていては愛馬も驚いてしまうだろう。
「でも……」
マデリンは言葉を口に出しながら、心臓が早歩きになる。
でも。
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明日は諸事情により投稿をおやすみさせていただきます。
次の更新は8/1の予定です。




