5-⑥
アウルは無言で薬を塗った。
傷口に手が触れたとき、痛みに身体が跳ねる。
「悪い。痛かったか?」
「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
侍女相手ならば大きな声で痛いと叫んでいただろう。
しかし、そんなことはできない。
この状況だって恥ずかしくてしかたないのだ。
その上声を上げるなど、マデリンには考えられないことだった。
「帰ったら、治るまでは休んでろよ?」
「ええ、そうするわ」
「こんな傷でダンスなんてしようと思うな」
「わかったって。お医者様みたいなこと言わないで」
マデリンはクッションに顔を埋めながら言った。
「もう、こんな状態で無茶をするな」
「無茶ってただ、ちょっとダンスを踊っただけじゃない」
「ダンスもダメだ痛みが医師がいいと言うまではベッドに転がっておけ」
「少しくらいなら平気。これくらい慣れているもの」
マデリンはアウルを心配させないために軽い口調で言った。
結婚まであともう少し。
ルート家に行ってしまえば、父の躾は終わる。
耐えれば、マデリンが一番ほしかったものが手に入るのだ。――アウルの妻という地位を。
そう考えたら痛みなど大したことはないと感じる。
「それに、落馬したときよりは痛くないわ」
「落馬と比べるなよ……」
アウルは呆れたように言った。彼のため息がふくらはぎにかかってくすぐったい。
「マデリン、頼むよ」
絞り出すような声にハッとさせられる。
彼は友人としてマデリンのことを心配してくれているのだろう。
「わかったわ……。当分は部屋でゴロゴロしてる」
「そうしてくれ。よし、できた。どうだ?」
アウルの合図を受けてマデリンは立ち上がった。
ズレた包帯が巻き直されたおかげか、薬を塗り直したおかげか、痛みは軽減された。
「本当に上手なのね」
マデリンは感嘆の声を上げる。
小さく跳ねてみたけれど、包帯はずれなさそうだ。
「だから言っただろう? 毎日巻きに行こうか?」
「うちに? 次期侯爵様のあなたが?」
マデリンは肩を揺らして笑う。
その気遣いはありがたいが、何度も傷口を見られるのには抵抗がある。
それに、やはり足を見られるのは恥ずかしいものだ。
「その気持ちだけ受け取っておくわ」
「今日は帰ろう」
「まだ始まったばかりよ?」
「挨拶はある程度済んでいるし、二人くらい消えても誰も気づかない」
包帯を巻き直したおかげで痛みは随分と弱まった。だから、もう少しいることはじゅうぶん可能だ。
しかし、今日の目的は果たしている。――アウルをダンスに誘うという目的だ。
一曲踊ることはできなかったけれど、マデリンの中にあるどうしようもない不安は消えた。
足の傷の秘密という大きな犠牲を払って。
「心配性なアウルのために、今日は帰ろうかしら」
「そうしてくれると助かる。帰る手筈を整えるからここで待っていてくれ」
アウルは真面目な顔で言うと、部屋を出て行った。
主催者に話を通し、馬車を呼ぶのだろう。
マデリンは残された部屋でクッションを抱きしめた。
まだ心臓は落ちかないままだ。
この胸のざわつきが不安によるものなのか、トキメキによるものなのか正直わからない。
(あんな傷見せられて不快じゃなかったかしら……)
鞭打たれたあとの傷はあまり綺麗なものではない。
見慣れているはずの侍女ですら顔を背けるほどだ。
アウルは傷について何も言わなかった。
だからこそ不安だ。
本当はうんざりしていたかもしれない。
こんなことをする父親を持ったマデリンを嫌うのではないだろうか。
結婚すれば、自然と付き合いは濃くなる。
この結婚は失敗だったと、今ごろ思っているかもしれない。
マデリンは強くクッションを抱きしめる。
膝の裏がジクジクと痛んだ。
***
夜半、アウルは真っ暗な部屋でただ、椅子に腰掛けていた。
夜会から早々に帰宅し、マデリンを家に送り届けた。本当はあんな家に置いて行きたくはない。
このままルート家に連れて来れればどれほど幸せだっただろうか。
マデリンの足の傷。
思い出しただけで頭が沸騰しそうだ。
(あれは一度や二度じゃない……)
アウルは奥歯を噛み締める。
腫れた皮膚。その奥には古い傷あとが残っていた。
躾のために体罰を行う家があるのは知っている。
アウルも幼い頃、悪戯をしたあとは両手のひらを叩かれたものだ。
しかし、あれはそんな可愛いものではない。
マデリンは「慣れている」と言っていた。
慣れるほど、叩かれているのか?
いつもそれを隠していたのか?
疑問は尽きない。
ただただ怒りだけがアウルの中に渦巻く。
こんなに苛立ったのはいつぶりだろうか。
今すぐにでも鞭を持って同じことをしてやりたい。
マデリンが苦しんだ時間、耐えた痛みを味合わせたい。
(悪魔にでもなってしまいそうだ)
アウルは自身の顔を両手で覆った。




